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ウロコのつぶやき

昭和生まれの深海魚が海の底からお送りします。

三日月よ、怪物と踊れ 〜男性作家の描くフェミニズム〜

2024-06-08 10:13:20 | 読書感想文

藤田和日郎先生と言えば「うしおととら」。

30年くらい前に友達に借りて全巻読みました。名作です。

 

「スプリンガルド」「ゴースト&レディ」に続く黒博物館シリーズ第三弾で前2作も面白かったのですが、順番を無視してここから感想文を書きます。

この記事のサブタイトルにあるように、男性作家、それも少年漫画の王道ど真ん中みたいな作品を描いてたあの藤田先生がフェミニズムを題材にするなんて、という驚きがありましたので。

 

今回の主人公はメアリー・シェリー。

ゴシックホラー御三家の一角、「フランケンシュタインの怪物」の産みの親です。

このメアリー・シェリーの母親のメアリー・ウルストンクラフトという人を私は今回初めて知ったのですが、「女性の権利の擁護」を著し、後にフェミニズムの先駆者と呼ばれるようになった社会思想家という事で、避けては通れない題材だったのでしょう。

結論から言えば大納得&大満足でした。

 

以下、私の個人的かつ基本的な考えです。

 

(1)フェミニズムとは、つきつめれば「当たり前を疑うこと」である。

(2)女性差別(を含めたあらゆる差別)とは、つきつめれば弱いものいじめである。

 

(1)フェミニズムとは当たり前を疑うこと

 

別のまんがですみませんが、「ミステリという勿れ」から台詞を引用します。

“しきたりとかルールとか伝統とか それって天から降ってきたわけじゃないんで”

“(中略)その当時 誰かが都合で決めただけなので”

洋の東西を問わず、社会を支配し動かして来たのは大多数が大人の男性なので、世の中のルールも彼らに都合よく決められているものが多い。

多くの人がそれを当たり前に受け入れている中で、「ちょっとその前提取り払って、一回ゼロから考えてみようか?」という発想ができる人は、男性であっても自然と思考がフェミニズム的になると思います。優れたクリエイター=柔軟な思考ができる人は当然そこに含まれるのではないでしょうか。

残念ながら逆もまた然りで、その象徴として描かれているのが後述する校長先生だと思います。

 

この作品、テーマがテーマなだけに、メアリー先生やもう一人の主人公・エルシィなど魅力的な女性キャラがたくさん登場します。

それも若くて美しい女だけではありません。メアリー先生は当時45才くらいだし、エルシィは傷だらけの顔で登場して怪物扱いされてるし。料理長のアトリーさんとか、家政婦長のウィルキンズ夫人とか、若くも美人でもない「怖いおばさん」だけど、仕事が出来てかっこいい女性たちも出て来ます。

 

そんな中、ほとんど唯一、徹頭徹尾醜悪な存在として登場する女性が2巻で登場する寄宿学校の校長マイラ・エイマーズ。

学校とは名ばかりの劣悪な環境に貧しい少女たちを集め、なけなしの仕送りまで懐に入れる紛う事なき悪者キャラ。

この校長先生が繰り返し主張する訳です。

 

“女は男と結婚して生きてくのが幸せってもんなのさ”

「インターナル・バイアス(内なる偏見)」という言葉があるそうです。女性同士の場合、古い価値観で自身を規定している女性が、変わろうとする女性と連帯できない現象のことになるのだとか。

女は男の経済力に依存して生きるしかない。そのためには男に従属しなければならない。

絵に描いたような「古い価値観」でありますが、今なお根強く生き残っているのは、ある意味それが現実でもあるという事で、メアリー先生は中々反論できません。が、その一方でエルシィの切れ味は鋭い。

 

“アンタは神サマか…?”

“神サマでないのなら 黙れ”

 

メアリー先生は母親の思想の影響で女性の権利や自立について意識は高いけれど、同時に上流階級の女性として「淑女は慎み深くあるべき」みたいな規範も守ろうとしてよく板挟みになっている。

一方のエルシィは「怪物」として社会の規範の外にいる、ある意味自由な存在なのです。

この2人の関係と、その変化もストーリーの重要なテーマではあるのですが。

 

(2)女性差別(を含めたあらゆる差別)とは、つきつめれば弱いものいじめである。

 

校長先生には3人の粗暴な息子がいて、何かあったら息子たちの暴力で相手を押さえつけている。

この息子たちがエルシィにボコボコにされた時に、校長先生はこう言います。

 

“女のくせに男たちによくもそんなヒドいことを〜!!”

エルシィはそれにこう答えます。

“男はヒドいことをすんのに 女はしちゃ…ダメなのか…”

 

実際に女「だけ」に暴力が禁止されている訳ではありませんね。有体に言うとどっちも良くない。

ただこの場合、女の側から暴力でやり返されることなど全く予想していなかったから、「女の暴力」を理不尽に感じて思わず口走ったのでしょう。

 

この時はエルシィに守られた形のメアリー先生も、この後色々あって5巻では自ら危機に立ち向かいます。

 

“男は 女を利用する”

“女が男より劣っているから…  低級な生き物だから…”

“違う! 女が立ち向かえないからだ!!”

 

正しい意見でなくとも、力で反論を押さえつければ通ってしまう。

力のある方が、自分の都合の良い理屈を力で押し通した結果、不正が罷り通る。

〇〇差別、〇〇ハラスメントと言葉は山ほどありますが、結局のところはそういうことじゃないかなと思います。

 

この漫画に出てくる「卑怯な男」が女に暴力をふるったり暴言を吐くのは、相手が絶対に反撃して来ないから。

安全な立場で、安心して好き勝手にできるという訳ですね。

 

そこでパーシー・フローレンスです。

メアリー・シェリーの息子で大学生。

「うしおととら」の潮が大人になったらこんな感じかなと思うような純粋熱血くん(そしてちょっと天然)。

終始一貫して「差別しない男」として描かれている彼の対戦相手は

1.ウォルター(fromスプリンガルド)

2.ハイウェイマン(強盗団)

3.「父」(黒幕)

見事に自分より強い相手としか戦ってない。

 

ああ、そういうことなのね。

 

藤田先生にとって、「フェミニズム」を描くのは特別な事ではなかったのかもしれない。

最初からずっと、ヒーローは弱いものいじめなんかしなかった。

潮もとらも、弱い者たちを守るため、自分より強い相手に立ち向かう。その姿をずっとかっこよく描いてきた。

実はそれこそ、フェミニズムの真髄だったのかもしれませんね。

 

「うしおととら」は昔の少年漫画だから、女の子のパンツやら裸やらバンバン出て来ます(このシリーズにも出て来ます)。

でも見ててそれほど不快じゃないのは、男性側からの性的な視線よりも、戦い、立ち向かう女性たちのかっこよさが前面に出てたからかもしれません。

「三日月よ、怪物と踊れ」にもかっこいい女性(一部男性も)が沢山出て来ます。

本当はもっと色々書きたかったけど、ここまでで長文になってしまって書ききれなかった。

最終巻、メアリー先生とエルシィの関係も良いけど、「また明日」のコール&レスポンスも最高に感動的。そして怒涛の華麗なラストバトルと見どころしかありません。

自信を持っておススメできる作品です。


鎌倉殿と北条執権

2022-04-24 18:23:49 | 読書感想文

執権 細川重男

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NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

 

真田丸が面白かったので三谷脚本にも期待できるし、久しぶりに戦国でも幕末でもない時代で新鮮味あるよね♪ と思って見出したは良いものの。

 

新鮮通り越して私この時代よくわからんわ。

 

…と思ったので慌てて買って来て読みました。

大河ドラマが決まってから慌てて編集して出して来たものじゃなくて、前からあったやつを今この時と掘り出して来たような本がないかな、と探した結果、2011年に出版した本を改題して文庫版に再編集したこの本が良いんじゃないかと思ったのです。

 

全5章のうち、1・2章が北条義時、3・4章が北条時宗に焦点を当てていて、第5章はエピローグ。

なので、大河ドラマのネタ本としては前半1・2章を読めばOKです(後半も面白かったけど)。

 

著者はこの時代を専門とする歴史研究者のようですが、この本は論文のように難しい訳ではなく、寧ろ「ちょっとおふざけが過ぎやしませんか?」と言いたくなるような親父ギャグくだけたノリなので、専門的な書物はちょっと…と思う私にも安心です。

 

何よりも、丁寧に説明する所は紙面を割いてじっくりと、そうじゃない所は思い切りよくドンドン飛ばすメリハリっぷりが気に入りました。

お陰様で、ドラマにわらわら出て来て誰が誰やら、な坂東武者たちの立ち位置や力関係、人間関係なんかを全体的にうっすら把握する事に成功しました。

 

そしてこの本、ものすごい勢いでドラマの今後の展開をネタバレしています。

史実だから当たり前っちゃ当たり前なんですが、今ドラマで見えている仲良し北条ファミリーも、ゆかいな坂東武者の仲間たちもいずれは…と思うと複雑です。

 

ていうか、先々どうなるか分かってるからこそ、敢えて狙って仲良しファミリーや愉快な仲間たち描いてるんだろうな、三谷幸喜。

この脚本家、コメディタッチな作風でぱっと見奇を衒うイメージがありますが、実はかなり基本に忠実な手堅い作劇をする人だと思います。

最後のオチから逆算して、そこへ至る筋道を入念に引いて置くことで「歴史」を「ドラマ」に変える、という割と職人芸のようなことをやっている。

 

すごくわかりやすいのが、第5回「兄との約束」

「坂東武者の世をつくる。そのてっぺんに、北条が立つ。そのため、源氏の力がいるんだ」

これ、視聴者に対してすごく親切に、「このドラマは最終ここに向かっていますよ」と示してくれるセリフだと思います。

源頼朝が武家政権である鎌倉幕府を打ち立てるが、直系の将軍は三代で途絶え、北条家が執権として実権を握るのが史実。

そこから逆算して、序盤のこの時期にこのセリフを仕込んでおく事で、主人公が兄から受け継いだ志を果たさんと歩んで行くという物語が出来上がるのです。

 

先日の第15回では上総広常の最期が描かれました。ロスを通り越して追悼会が開催されそうな勢いに「良いキャラだったからなあ…」と思いかけてふと気づきました。多分逆だと。

ここで謀反の嫌疑により討たれるという史実を、ドラマの中でのターニングポイントにするため、敢えて狙って魅力的なキャラクターとしてここまで描いて来たのではないかと思います。

「執権」を読めばわかるけど、広常が味方になった時の交渉の場に義時がいたという記録はないみたいなんですよね。でも「いなかった」とも書かれていないので、そこは創作で空白を埋める形で義時との間に接点を作り、その後もちょこちょこ絡んでみんなが広常大好きになったところで事件が起きる訳ですよ。

上手いやり方だと思うけど、やるせないなあ…。

 

ちなみに著者の方には、義時の人生からは「もう帰っていいですか?」という心の声が聞こえるそうです。大河ドラマを見ていると、小栗旬の声で脳内再生余裕です。


「若冲」〜実在の人物とフィクションの狭間で〜

2022-04-10 09:27:53 | 読書感想文

若冲 澤田瞳子

火定が面白かったので読んでみました。

同じ作者の作品で「若冲」。

言うまでもなく江戸時代の京都で活躍した絵師・伊藤若冲の生涯を描いた物語…だと思っていたのですが。ところがどっこい、という話でした。

 

こういう、実在の人物を主人公にした「小説」って、小説=フィクションとは知りつつ、どこかで史実なり、その人物の実像なりを追う事を期待するものじゃないですか?

例えば、司馬遼太郎の坂本龍馬や吉川英治の宮本武蔵のような。あくまで作家の創作した人物像でありながら、みんなもう史実がそうだったと思っているみたいな。

 

しかし、この作品は違います。

この作品の主人公を実在した絵師としての伊藤若冲に重ねてはなりません。

 

ぱっと見、史実に忠実です。

池大雅・丸山応挙・与謝蕪村ら名だたる絵師たちが腕を競っていた当時の京都の画壇の華やかさや実際に起きた出来事が生き生きと描写されています。

恥ずかしながら私、宝暦事件や天明の大火などはこの作品で初めて知りました。

天明の大火では実際に若冲が焼け出されているし、錦市場の閉鎖騒動に至ってはど真ん中の当事者です。

 

そんな京都を舞台に、物語の中心にあるのは「恨み」の感情。

若冲の亡き妻の弟である弁蔵は、姉を喪った恨みから絵師となり、市川君圭と名乗って若冲の絵を執拗に模倣する。その恨みに追い立てられるように絵に打ち込む若冲を軸に、宝暦事件で運命を分けた公家の兄弟、若冲とも親しい池大雅に向けられた与謝蕪村の逆恨みにも似た複雑な感情や、その蕪村を恨む蕪村の娘等。

恨む側にも恨まれる側にもどうにもできない負の感情が新たな表現を生み、芸術へ昇華されていく様を、京都の文化・歴史を絶妙に交えて活写しながら描いて行く。

フィクションとしてはとても良くできていて面白いのです。が、しかし。

 

しかし、ですね。

そもそも伊藤若冲に【妻】はいないのですよ。

 

これがあるゆえにこのお話、個人的には、チンギス=ハーンの正体が源義経だったとか、上杉謙信が女性だったとか言うのと同じくらいのとんでもネタになっているような気がします。

 

若冲に奥さんがいたかも知れないという事自体は、それほど荒唐無稽ではないかも知れません。

彼が生涯妻を娶らなかったと書き残しているのはこの作品にも出て来る大典禅師ですが、若冲の立場(錦市場の大店の跡取り)から考えれば、大典に出会う前の若い頃に結婚していてもおかしくない。それが何らかの原因で上手くいかず、大典に会った時には既に独り身だったという事自体はあり得る話です。

ただですね、その「仮定の妻」の物語への影響が大き過ぎるのですね。

 

端的に「みんな奥さんのせい」と言っても過言ではない。

 

この物語にはもう一人架空の人物として若冲の腹違いの妹が出てきて、そしてこの異母妹の出番も異様に多い(なぜならこの異母妹がナレーター役だから)のですが、それでも物語の中の立ち位置としては圧倒的に奥さんの方が上です。

 

それともう一人、市川君圭という絵師は実在していますが、君圭と若冲を繋ぐ君圭姉=若冲妻が架空の存在なので、実在の君圭には若冲との繋がりはありません。

君圭が若冲に向ける恨みや憎しみや執着は100%のフィクションです。

 

この話の中では、若冲が絵を描く理由も、絵に込めた想いもほぼ100%この奥さんに帰結しています。

だからと言って実際に若冲の描いた絵を見て「これを奥さんのために…」等と思った所で、そもそも奥さんは実在していない訳で。一体、どんな気持ちで若冲作品に向き合えば良いんでしょうか。

 

という訳で、あくまでもフィクションとして物語を楽しむには良いですが、間違っても実在の絵師・伊藤若冲の実像に迫ろうという考えで読んではいけないし、若冲の作品を鑑賞するための参考資料にしてもいけない、そんな一作でございました。


火定(かじょう)~パンデミックと「利他」の心~

2021-09-20 16:01:00 | 読書感想文

火定(かじょう)~パンデミックと「利他」の心~

私が昔から好きな言葉に「情けは人のためならず」というのがあります。
「誤解されやすいことわざ」としても有名ですね。

誤)情けをかける(甘やかす)のは相手のためになりません。
正)(相手のためだけでなく)自分のためにも他人には親切にしておきなさい。
   他人にかけた情け(親切)は、巡りめぐって自分の所へ帰って来ます。

私が好きなのはもちろん、正しい方の意味ですが、最近知った仏教用語で「利他(りた)」っていうのも同じことを言っているのかなと思いました。

コロナで世界が変わって久しいですが、こういう時に「利他」の心が試されているようにも感じられます。
「利他」の対義語は「利己」ですが、自分さえよければ、自分だけ助かればという考えでみんなが行動すると、結局はいつまでたっても流行が収まりません。
「自粛疲れ」なんて自分に言い訳して遊びに行った先で感染してしまったら、苦しむのは自分。

前置きが長くなりました。
澤田瞳子作・火定(かじょう)

奈良時代の平城京を襲った天平の疫病大流行を題材にした物語です。
天平7年(735年)~9年(737年)に発生した天然痘の大流行は、当時政治の中枢を占めていた藤原四兄弟の病死・墾田永年私財法や奈良の大仏建立など、日本の歴史に少なからぬ影響を与えた事件でした。

「火定」は、この天平のパンデミックを、二人の医師を中心に描いた物語です。
一人は施薬院という、都の庶民に向けた無料の診療所で働く里中医(町医者)の綱手(つなで)。奈良版の赤ひげ先生のような人。
もう一人は元は内薬司の侍医、つまり宮仕えのエリート医師でありながら、何者かに嵌められて投獄された過去を持つ猪名部諸男(いなべのもろお)。物語の開始時点では恩赦を受けていて、藤原房前(四兄弟の次男)の使用人として登場。

但し、町医者・綱手側は綱手本人ではなく、施薬院に派遣された若い官人・蜂田名代(はちだのなしろ)の視点で語られていてつまりこの名代が主人公。

描かれている時代が時代なので一見難しそうな感じがしますが、どこか宝探しみたいな治療法探し(当時最先端の治療法を示した唐の書物を探すミッション)や、諸男が投獄された事件の真相究明など、謎解きの要素を孕んでテンポよく物語が進むので、意外にサクサク読めました。

それにしても、初版2017年の本なのに、この中で起きている出来事は2020年に始まったコロナ禍での出来事と大差ないじゃないか…と思ってしまいます。

外(この話では九州方面)から入って来た者たちが最初に倒れ、酒席で彼らを接待した女性たちの間に感染が広がり、そこからあっという間に市中感染が大爆発。

人の足元を見て薬(漢方薬ですが)の値段を釣り上げる者。それどころか何の効果もない怪しいお札を高値で売りつける者。そのお札に大枚をはたき、「これさえあれば」と本来の医療を拒否する者。感染を広げた責任に打ちひしがれる者があれば、自分だけ助かろうと引きこもる者もいます。
政府は有効な対策を打てず、混乱した民衆がついには暴動を起こすまでに。

人間が1300年前も今も変わらないなと思うのは、未知の病気に対して、どうにかしてわかりやすい結論と手っ取り早い対処法に飛びつこうとする所ではないでしょうか。

ウイルスの存在が知られるようになるのは1000年以上も先の話。でも現場の医師たちは、手探りで感染予防法や対症療法を見つけて行く。それは例えば、何を食べれば良いかとか体を冷やすなとか病人の衣類の扱いに注意するとか、細々した地道な対策の積み重ねなのですね。

それを面倒だと思う心理が「これさえあれば」と怪しいお札に頼ったり、無関係な外国人を攻撃したり、不織布マスクを高額で買い漁ったり、消費者庁等からNGが出ている空間除菌グッズを首からぶら下げたりと非合理的な行動に人を走らせるのではないかなと思いました。

この話の主役の一人・綱手と共に施薬院で働く若き官人の名代(なしろ)は、当初は利己的な人物として描かれます(いや、いい人なんだけど)。
彼にとっては施薬院は窓際部署なので、どうにかして脱出して出世コースに戻りたい。しかし根が真面目なのか目の前の仕事を放り出すこともできず、不本意ながら伝染病との戦いに明け暮れる事に。
そんな名代が、「利他」の心に目覚める場面がこのお話の一番のハイライトでした。

自分一人のために生きるなら、死ねばそれまで。
しかし他人のためにした事は、自分が死んでも相手の中に残って生き続け、受け継がれて行く。
そして病に倒れた人々の記録が後の世に語り継がれ、それが別の人々を救うなら、その死はただの終わりではない。
人の命を救うだけでなく、救えなかった命に意味を与え、次の命に繋げるのもまた医師の役目なのだと彼は気づくのです。

本文にそのものズバリの「利他」という言葉が出て来る訳ではないのですが。
でも「自分さえよければ」の行動が結局は自分を苦しめ、人を助けようとする事で自身が救われるあの感覚は、「利他」の精神の真髄を表しているのではないかなと思いました。
ひたすら己の利益=「利己」を追い求める札売りの男の顛末を含めて、考えさせられるお話でした。

作者の澤田瞳子さんはこの度めでたく直木賞を受賞されたそうで、受賞記念にこの本も文庫版が出ています。この機会に是非。



ルビンの壺が割れた

2021-02-07 16:17:00 | 読書感想文

ちょっと大分前に話題になっていたのを今頃になって読みました。
一応ネタバレはしない方向で書いてます。

本の表紙(と見せかけてあれは帯らしい)等でさんざん「衝撃の結末!」と煽られていたのが却って緩衝材となり、結果それほど衝撃を受けずに軟着陸したというか、衝撃を受ける代わりにげんなりして読了しました。

面白いか面白くないかで言えば面白いのですが、同時に「こんなの読んで面白いと思ってる自分ってどうよ」というモヤモヤ感が残りまして。
端的に言うと、下世話な話です。

あとがき解説には「分類しようのない作品」とありましたが、個人的にこれに一番近いなと思ったのはなつかしの「電車男」です。
あっちは2ちゃんねる(当時)に書き込まれた内容で、こっちはフェイスブックを通してのやりとり。地の文がなく、Web上のやりとりをそのまんま転載しましたという体裁を取っているという点も共通。

その上でこの作品、「SNS」などとぼかさずに、そのものずばり「フェイスブック」と名指し指定してある所がポイントです。
ネットの匿名性が何かと話題になる今日この頃ですが、フェイスブックは原則実名なんですよね。そうすると、ネットの世界が外の現実に直結してしまう。ネットを宣伝に使って現実の商売に結びつけたい人には役に立つツールかも知れませんが、個人の趣味で使うにはうっとおしくて、一度アカウント作りかけてすぐやめました。

何が悲しくて、現実世界でお義理で仕方なく付き合っている相手に、ネットの中でまでお追従を言わなきゃならないのか。
ていうか、どういうアルゴリズムになってるのか分かりませんが、昔関わった事のある、もう何年も連絡を取ってない人のアカウントを「もしかしてお友達ですか?」と拾って来るのが大きなお世話過ぎました。
何年も連絡を取っていないのは、取る必要がないからです。
理由があって切れた縁を、わざわざ結び直しても良い事なんてありません。

「偶然あなたのアカウントを見つけて、懐かしくなって連絡しました…」なんて調子で送られてくるメッセージには、悪い予感しかしない。
そんなろくでもないメッセージからこの物語は始まります。

フェイスブックのメッセージ機能でやりとりをしている2人と、読者の間には情報の格差が存在します。
2人は30年前の学生時代を、お互い相手が知っている前提でやりとりしているので、読者の知らない情報が説明なしに飛び出して来る。そしてその中に、気になるワードをさりげに散りばめてくるので、「何?どういうこと?」と気になってついつい読み進めてしまうのです。

思い出を語る2人のやりとりから、過去の出来事が次第に明らかになり、そこから徐々に相手が知らない情報を告白し合い…という感じ。
自分が当事者なら絶対深入りしたくない所ですが、他人事になった途端に野次馬根性でどんどん読み進んでしまう自分に軽く自己嫌悪に陥ります。

電車男に似てるなあと思ったのは、その辺の引きの強さです。
あれはこの話とは逆に、匿名掲示板だから成り立った話で、語り手も謎のままだし実話かどうかも分からない。
ただ個人的に、その辺の素人が書いたにしては上手過ぎると思いました。
最初の書き込みは短くて唐突でさっぱり要領を得ない。そのくせ思わせぶりな書き方で、「何なに?何があったの?」と聞きたくなる。
そうして、別の住人に「詳細キボンヌ」と書かせた上で徐に長文で語り始める。野次馬根性を刺激して、ぐいぐい読ませるあのやり方に近いような気がしました。

「ルビンの壺が割れた」も、編集部に突然原稿が送られて来た作品で、作者の正体は不明なんですよね。その正体ってまさか…ねえ。

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