ウロコのつぶやき

昭和生まれの深海魚が海の底からお送りします。

コトバのチカラ、コトバの罠。

2008-12-13 21:45:59 | 日記
「結果を出して脚光を浴びるのは、それはたまたまのことに過ぎない。人間が本当に成長できるのは、試練の中で苦しんでいるとき。君が今苦しい思いをしているのなら、それは君が成長している証拠だ」
…とこないだ会社の人が言ってたんですが、これってどこか出典があるんでしょうか。
確かに最近の私には苦しみが足りないかも。安穏とした日々ばかり過ごしていたんでは、人間、進歩できないのかも知れませんね。

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私は基本的にコトバの国に生きている人間なんですが、大ちゃんと「言葉」の係わりには、感心させられることがしばしばあります。
言葉を操るのに器用な方ではなさそうなのに、「何を言うべきか」の選択がいつも的確でびっくりします。いいんですよ、そこさえ押さえていれば。「正しい日本語」として体裁を整えるのは、ライターなりなんなり、それこそプロの「日本語職人」がやれば良い事。プロの日本語職人が正しい日本語を操れなかったらとても困りますけどね。

そしてもうひとつ、今回ちょっとびっくりしたのは、「ネガティブな事は思っても口に出さない。言葉にすると頭にインプットされてしまうから」という発言でした。
(これの引用元も明示した方がいいのかな。Web上での発言です。ここに来る方はご存知かも)
言葉の役割は情報の伝達。そしてもうひとつの重要な作用は、意識を明確にすること。
思うだけなら漠然とした影に過ぎなかったものが、言葉になり、名前を持つことで明確に認識され、実体を持つ。
そういう言葉の性質を、あの若さで認識してるってちょっとすごいかも。

でも同時に、言葉に依存しない表現を実現できる彼らしいかも、とも思いました。
音楽の元となるストーリーやその登場人物を演じるのではなく音楽そのものを表現する、とか、敢えて「どう演じる」とは自分では言わない、見た人に感じ取って欲しい、とか。
普通の人には言えないと言うか、言っても実現できないと思うんですが。

言葉というのは便利なもので、思考を明確にし、整理した上に記録して他の人に伝えることまでできてしまいます。この便利なツールを使わずに表現を理解し、自分のものにするのは難しい。少なくとも私には、それがどういう作業なのか見当も付かない(私は言葉に依存しちゃってるから余計にそうかも知れません)。
でもその反面、言葉によって明確になった思考は固定化する。
思い込みは思考にバイアスをかけ、目に映るものまで変化させてしまう。

言葉に捉われない自由な表現は、言葉を使わずに感覚をダイレクトに表現できる人だけに許されるものなのかも知れません。彼はそれができる人…と感じたことが、未だに彼にどっぷりハマっている原因であります。
だから私は、彼のスケートに惹かれたというよりも、彼のその、言葉によって固定されない自由な感性と表現に惹かれたのだと思います(でも同時に彼の生い立ちを思えば、スケート以外の方法では、彼の表現は世に出ることはなかったのではないかとも思いますが)。

以上、言葉の国の住人のたわごとでした。

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Web拍手へのお返事

12月5日0時頃
ベルネル選手が寅年なのは知ってましたが(衣装的に)、ポンセロ選手もそうだったんですか。言われてみるとそれっぽいですね(笑)。バンクーバーでは、年男組の活躍を期待したいですね。

12月5日17時頃
オタクはファンタジーには詳しいのです。アニメやマンガの元ネタだから(笑)。
前向きに待ちましょう。

12月5日23時頃
これまでも十分、数奇な運命を乗り越えてここまでやって来たのです。彼の強運を私も信じてます。

12月7日23時頃
こちらこそ、ご丁寧にありがとうございます。
信じることで、皆で良い空気感を作って行けたらいいですね。

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誰も期待してないかも知れないけど、F1のネタもそのうち書くつもり…。
その他、オタクなネタの数々も(笑)。