ウロコのつぶやき

昭和生まれの深海魚が海の底からお送りします。

岸辺露伴は動かない

2021-01-24 18:36:00 | ドラマ
NHKが何故唐突に「ジョジョの奇妙な冒険」のスピンオフドラマを制作したのかはわかりませんが、ご覧になった方には「脚本:小林靖子」の素晴らしさをよくおわかり頂けたのではないかと思います。

私が小林さんの名前を認識したのはタイムレンジャー(2000年)ですが、「子供番組なのに、なんかシナリオに高度なレトリック使ってない?」とびっくりしたのはギンガマン(1998年)でした。
あれから23年。本当にこの方はコツコツと実力で実績を積んでここまで来られたんだなーと思うと、これからのご活躍も楽しみです。

私も久しぶりに小林脚本を堪能できました。楽しい年末年始でした。

ちなみに「ジョジョ」はあんまりちゃんと読んだ事ないけど、第4部を連載してた頃にWJ本誌を買っていたので4部だけは読んでたりします。もう大分遠くなってる記憶ですが、露伴先生のインパクトは強烈だったので覚えていました。

【全体として】
散々言われていることですが、スタンドの持つ特殊能力は出て来るけど、「スタンド」そのものは出さないの良かったです。
「スタンド」について1からちゃんと説明するととてつもなく長くなるけど、ヘブンズ・ドアーの能力だけならそこまで大変じゃないですし。
いきなりCGで人型のヘブンズ・ドアーくんが現れても、知らない人は「何それ」ってなるけど、顔がページになってペラペラめくれるのは絶妙に気持ち悪くて面白い絵面でした。
荒木先生ってこれに限らず、こういう気持ち悪い事よく思いつくなあと思います(褒めてます)。

原作では「富豪村」にしか出ない(らしい)泉京香をレギュラーにして、漫画家と担当編集者のバディものにしたのも良かったと思います。露伴先生が動かないというかあんまり動きたがらない分、泉ちゃんがアグレッシブに動いてストーリーを動かしている感じがするし、二人のかけあいも面白い。

小林さんが脚本を手がけた作品を見て印象に残るのは、キャラクターがしっかり描かれている事です。
こんな性格で、こんな生い立ちで、過去にこんな出来事があって、故に彼は彼女はこんな考え方を持っている、というキャラクターの行動原理がオリジナル作品ならしっかり作り込まれているし、原作付きならちゃんと読み込まれている。
だから、「このキャラはこんな事言わない」「このキャラらしくない」という言動がなく、ストレスなく見られます。
今回の話でも、原作にないセリフや展開はあっても、「露伴先生ってこういう人だよね」という部分をしっかり抑えているから、原作のファンが見ても違和感がなかったのではないかなと思いました。

そして今回期待以上だったのは、脚本以外も良かった事でした。

ジョジョのキャラクターのファッションセンスは漫画の中でもかなり独特ですが、あれをそのまま出さずに、「すごく変わってるけど実際になくもないかもしれない」ところまで落とし込んでいるのも良かったです。
露伴先生の衣装は、デザインは奇抜だけど全体に彩度を抑えてるのでシックでおしゃれに見えるし、あのギザギザのヘアバンドも髪に馴染む色合いにしてギリギリ有りな感じになっている(そして後頭部のヘアセットが素晴らしい)。
泉ちゃんの衣装髪型も可愛いしアクシーズっぽいけどジョジョっぽくもある。日傘とかバッグとかの小物も可愛い。

アニメや漫画を実写化する時、余りにもそのまんまだと嘘くさくなるし、かと言ってアレンジし過ぎて原作の面影がなくなると、「だったら最初からオリジナルでやれ」って言いたくなります。
その点今回のドラマの、原作っぽさを残しつつ、現実にありそうな感じに落とし込むさじ加減は絶妙でした。

そして主役の高橋一生は、顔はそんなにジョジョっぽくないのに、表情とか口調とか動きとかでちゃんと露伴先生になってました。

映像も美しく、陰翳の深い屋内と緑滴る屋外の対比がステキです。聖地巡りとかあんまり興味ない方だけど、このドラマのロケ地は行って見たいと思いました(横浜は行った事あるけど)。

この美しい画面に、不安な気持ちにさせる怪しい音楽と活字っぽいフォントとの組み合わせで、古典ミステリーのような雰囲気が出ているのも素晴らしいです。

以下はネタバレを含みます。
【第一話 富豪村】
冒頭に原作にはない窃盗犯のエピソードを入れて、原作を知らない人に基本設定を説明する小林さんの手腕はさすがでございます。
あの短いエピソードで、露伴先生が人気漫画家である事、自分の漫画に強い自負と拘りがあり、漫画のためなら割と何でもやっちゃうヤバい人である事、特殊能力を持っている事、等が自然に説明されています。
そして本題である「富豪村」の重要なテーマである「マナー」。その本質の「敬意」をキーワードに、最後に再びその後の窃盗犯で締めるのも上手。

露伴先生に取って、自作の「ピンクダークの少年」のファンが読むのをやめるのって最高の屈辱なんだろうな。最初から読まないなら、「知らないから」とか「好みが合わない」とかで納得できなくもないけど、一度は面白いと思ってた読者が「面白くなくなった」と離れて行くのはゆるせない。
だから、窃盗犯くんが読むのをやめた理由が、大人に取り上げられたからであって本人の意思ではなかったと分かった時、露伴先生本当に嬉しかったんだろうなあ…とあの笑顔を見て思いました。
故にラスト、あの「差し入れ」が誰からのものなのか一言も語られていないけれど、露伴先生の「敬意」の形なんだろうなと思わせて幕を閉じるの、本当に上手いと思います。
自分の意思で読むのをやめた訳ではないあの窃盗犯くんは先生に取って現在も「読者」という認識で、故に敬意の対象なんだろうなと。

本題の「富豪村」ですが、単なるマナー試験なのに緊迫感がすごい。
一究役の子役くんが、礼儀正しい子役にありがちなやらされてる感を全く感じさせないのすごいと思いますが、物腰の柔らかさを保ちつつ、「見てるぞ」オーラを全開で出して来るから怖い怖い。

特に「再試み(トライ)」以降はリアルタイムに「失敗すると喪う大切なもの」がビジュアルで示されるもんだから、これ以上失くす訳にはいかないと、見ているこっちまで焦りました。
いやもう、CGでもクリーチャーでもなくただのトウモロコシがあんなに怖いなんて。

ヘブンズ・ドアーの、本に命令を書き込める能力ってすごい万能なように見えますが、敵はそこにピンポイントでカウンターを当てて来るから油断できないですね。

最終的に「最も失礼なマナー違反は、マナー違反をその場で指摘すること」で危機を脱する訳ですが、言われてみると露伴先生、「畳のへりを踏んでるぞ」とか「それはマナー違反だ」とか一言も言ってないですね。
「足元は大丈夫か?」で気づかせて相手の方から言わせている。芸が細かいと思いました。

実は私、ずっと昔映画「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の感想で「何かがいる場所」について書いたんですが、「富豪村」ってまさにそういう場所なんだろうなあというオチでしたね。

昔話にもよくありますよね。スズメのお宿・見るなの座敷・コブ取り爺さん etc. 得体の知れない不思議なものに対して、敬意を持って謙虚に接すれば富や幸福が与えられるが、欲に駆られて相手の怒りに触れると罰せられる。

山の神様は荒ぶる神様、さわらぬ神にたたりなし、というお話でした。

【第二話 くしゃがら】
志士十五先生を演じる森山未來がすごく楽しそうでした。
ダンサーとして鍛えた身体能力を、「何かに取り憑かれた人の普通でない動き」の表現に使うとは。地面に一旦へたり込んでから、瞬時ににゅっと立ち上がるのとか普通の人に絶対できない動きをしれっとやっていましたね。

露伴先生との会話もテンポが良くて掛け合い楽しかったですね。
冒頭のカフェのシーン、十五先生はぱっと見露伴先生と全然違う(ていうか露伴先生が嫌いな)タイプですよね。
おしゃれで高級そうな革のバッグを愛用する露伴先生と、イケアの袋(NHK故にロゴはなかったけどあの青い袋はどう見ても)を普段使いする十五先生。

なのに漫画の創作について語らせると、如何にも露伴先生が言いそうな言葉が十五先生の口からぽんぽん出て来る。
それで最初は無視する気満々だった露伴先生が段々無視できなくなって行くのが面白い。

クリエイターとして自分と同類だと(認めたくないけど)認めざるを得ないと思ってるから、謎の禁止用語に取り憑かれて行く十五先生に対して(本人比で)親切だし、「明日は我が身」という当事者意識もあったように感じました。

そしてやっぱりピンポイントで狙われるヘブンズ・ドアー。
禁止用語だから書き込めないッ!どうする露伴?!
…それに対する対処法が、現実の禁止用語の取り扱いそのまんまなの、とても上手いと思いました。
直接その言葉を使わず表現する。が、正解なんですね。
意味さえわかれば、別の言い回しで何とでも言い換えられる。意味がわからなくても…まあ何とかなるというが強引になんとかした。

言葉それ自体に実態はないけど、言葉として認識する事でイメージが固定され、強化される。例え意味のわからない言葉であっても、それを耳にし、口にして認識してしまうと…いやそれにしても、やっぱりただの言葉ではない、だからこその「禁止用語」だったのかも知れないですね。

そして最後。NHKからの「おことわり」にちょっとぞわっとするものを感じて終わります。
実は「くしゃがら」は安全のために言い換えた言葉です、なんて言われたら、問題の禁止用語は別に(本当に)ある。…なんて気分になっちゃいますね。

ドラマを見て、思わず「くしゃがら」を検索しちゃったそこのあなた。
「くしゃがら」はフェイクだそうですよ。


【第三話 D・N・A】

アニメや漫画に左右で色の異なる瞳を持つキャラクターが出てきたら、それは何か特別な事を意味している。…というこちらの思い込みを逆手に取った作品。

泉ちゃんの訳アリな「ふんわり彼氏」太郎ちゃんについて、第一話の段階でコーヒーに大量の砂糖を入れていたのが意味ありげだったのですが、この第三話への伏線だった事が判明。

同時に、第一話で露伴先生が「普通とは何だ?!」と泉ちゃんを問い詰めていたのももしかして伏線だったのかな、と2周目で思いました。
一般人が何気なく使っている言葉でも、その意味する所を突き詰めた上で使うのがクリエイターというもの。
母親の「この子は普通じゃない」という思い込みに対して「この子は普通だ」と返す先生。
見た目や言動が変わっていると言う意味では普通じゃないかも知れない。でもこの母親は、その「変わってる」理由をもっとすごく深読みしていた。
そして見ている私たちも、知らずに母親の視点に同化して、ミスリードさせられていました。

左右で色の異なる瞳。逆さ言葉。自作の「巣」に引き篭もる。一緒にいる時によく事故が起きる。
これらをひとつにつなげてしまうと、何やら不吉で邪悪なものが子どもに取り憑いているように思えてきます。

でもそれぞれを個別に見ていけば、瞳の色はとても珍しいけれど有り得ないものではないし、子どもが意味もなく変な言葉あそびをするのもよくある事。
大きな街では物損レベルの交通事故ならしょっちゅう起きているので、気になり出すとやたら目に付くのもありそうな話です。
そして自分で作った「巣」に篭ってしまうのも、子どもを隠したい母親の気持ちを、娘が敏感に感じ取って反応した結果。

「ヘブンズ・ドアー」で見た結果、怨霊に取り憑かれているのでなければ宇宙人と入れ替わっているわけでもない。ちょっと変わっている「だけ」の、普通の子どもという結論を一旦出してから、物語の焦点は太郎ちゃんに移ります。

何故真央ちゃんは太郎ちゃんに反応したのか?
これ、原作では体外受精の話だったらしいのを、臓器移植の話にしたのは良アレンジだと思います。

臓器提供を受けた側が、その臓器の元の持ち主の性格や嗜好を引き継いだ話は実際にあったみたいですし、それも含めて最近では脳以外の臓器にも記憶や感情を司る役割があるのではないかと言われているらしいので。

死んだ父親のDNAを、娘である真央ちゃんは当然引き継いでいるし、太郎ちゃんも提供された臓器を通して引き継いでいる。
その「つながり」が、ヘブンズ・ドアーで本になった姿で表現されているのは絵的にも物語的にも美しい図ではありました。

ただこの話、単に良い話だけでは終わってないような気もします。

露伴先生がヘブンズ・ドアーでのぞいた、途中の真っ黒なページが何せ怖い。
あの黒いページを挟んだ前のページと後のページは連続していないので、泉ちゃんが好きだった、スタイリッシュで都会的な写真を撮るかつての太郎ちゃんはもう2度と帰って来ないっていうのがわかってしまう。

ロマンチックで幸せな結末ではあるけど、やっぱり一抹の怖さと悲しさと切なさがあるなと思いました。

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