ウロコのつぶやき

昭和生まれの深海魚が海の底からお送りします。

金沢に行きます。

2010-06-28 23:42:00 | 日記
その昔、金沢には2回ほど行った事がありまして(うち1回は修学旅行)。すごく雰囲気のいい町だったのでまた行ってみたいなーと思っていたのですが。最近いろいろご縁があって、どうにも“まるびぃ”こと金沢市立21世紀美術館に行ってみたくなり、そんな時に大ちゃんゲストのプリンスアイスワールドが開催される訳ですよ。
これはもう、金沢が私を呼んでいるに違いない!と自分に強く言い聞かせて、お金がないことはこの際無視することにしました(笑)。

ところで、倉敷の人間にとって美術館と言えば大原美術館な訳ですが、私が初めて大原美術館に連れて行って貰ったのは、小学校の3年だか4年だかの頃でした。もう大分記憶もおぼろげですが、名画よりも額縁の立派さに感動し、「この額縁すごーい!」と思わず歓声を上げてしまい、通りすがりのおじさんに笑われたことは今でもはっきり覚えています。

その他色々ありまして、全然芸術に造詣が深くなったりもしなかった代わりに、芸術というものに対して、変に知ったかせずに済むようにはなりました。
そりゃ音楽だって芸術だって、知識を持つ事は絶対に無駄ではありませんが、でもどんなアホだって自分がそれを好きかどうかは分かるはず。
そしてどんな芸術でも、観賞する側に最低限必要なのは「自分がそれを好きかどうか」だけで、それ以外はおまけみたいなもんだと思うんですけどね(単なる「鑑賞者」ではない立場に立つならその限りではないと思いますが)。

でも何だろう、どうも日本人って『芸術』ってものに対して大上段に構えてる人が多いと言うか、知らなければならない、理解しなければならないって感じが息苦しい。

***

随分遠回りしました。私が『フィギュアスケートのファン』を名乗らない理由その2。
古参の『フィギュアスケートのファン』って、大抵オペラとかバレエとかクラッシック音楽とかのファンを兼任していて、そしてそういう人たちからはしばしば、上記のような大上段な構えを感じる訳です。
「私は、芸術が分かる『通』なのです」みたいなみたいな。
そしてそういう人ほど、作品(フィギュアなら演技)を見て感じる「自分が好きかどうか」っていう素直な感想から離れて行って「何を言えば『通』だと思って貰えるか」「何を好きと言えば『通』っぽいか」みたいな思考というか見栄の意識が垣間見えるんですよね。でもそういう意識が入り込んで来ると「自分が好きなもの」っていうより、既に評価の定まっているもの、誰かが「これは良い」と保証してくれたものしか「好き」と言えなくなって来そうな気がする。
(大ちゃんが「ボクらの時代」で言ってた「一番にならないと演技を見て貰えない」っていうのも、そういう意味が含まれているような気がする)
だから寧ろ、「私は通」みたいなプライドとかない方が、自由に演技を楽しめるような気がします。

何となく見ていて感じるのは、古株のファンの方が固定観念強い気がするんですよね。「日本人の演技が良いと思う人はマスコミに騙されてるのよ!」みたいな。でもその、『日本人は表現力では、手足が長くてバレエのできる欧米人にはかなわないから、必殺ジャンプで対抗しなければ』っていうのが、そもそもマスコミが昔作った古い幻想のような気がするんですけど…。

私的には大ちゃんの『ノクターン』を見た瞬間「あ、私が見たかったのってこれだわ」と迷わず思いました。
アホと思われようがミーハーと思われようがこの選手の演技が好きだと。

話が長くなりましたが、要するにフィギュアを含めて、芸術として楽しむなら、審査員がどんな点付けるとか、他の人がどんな評価をしてるかとか関係なく、自分が見て『素敵』と思うかどうかを大切にしたい、という事です。
そりゃもちろん、自分が『素敵』と思うものを、多くの人たちや審査員も『いいね』と言ってくれる=価値観を共有することができれば、それはすごく幸せなことですけどね。
でも、一番大事なのは自分です。
最終的には、私にとっては、私さえ楽しめればそれで良い。
大体私、イナカモノだし、庶民だし、オタクですしね。今更見栄張ってもしょうがない。
知らないことが恥ずかしいとは思わないけど、知らないことを知ったかしたり、知ったようなつもりになるのは恥ずかしいと思う、今日この頃。

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という訳で、大ちゃんの新しいEXです。
写真は三宮のカフェ『AMERI』の看板。「その後のAMERI」がコンセプトだそうです。元町駅の近くなので、マリアンベスに行ったついでに寄れますよ♪

で、関西ではCSの放送を待たなければならないため、『そんなん待てるか!』と動画を見てきました。
率直な感想としましては、

怖っっっっっっ!

です。

ニュースでは「しっとりと」とか書いてあったからてっきりるぶれたーみたいな情緒的で大人しいプログラムかと思ったら、全然そんなことなかったよ。
寧ろ、濃い。激しい。鋭い。そう感じました。

白状すると、実は私はランビエール氏の演技をあんまり真面目に見たことがなくて、故に氏の動きに似てるかどうかは全く!わからないのです。
ただ、今まで以上に曲線的でなめらかな動きができるようになっているのは感じる。
でもそれが『優雅』とか『しっとり』とかいう方向に向かってるような感じじゃなくて、どっちかというと武術の達人が『弧の動き』を会得しました、みたいな。

そしてこれ、深読みしなくても分かる分かりやすい狂気を感じるんですが。
前半、ゆっくりと踊り始めながら、時々唐突に素早い手の動きが入るのが、抑えようとしても抑えられない衝動みたいでなんか怖い。
後半になると激しく踊ってるのに音楽が静かなのが、なまじ激しい音楽で踊るよりも狂ってる感じがして更に怖い。
そして最後、それでも外へ出ることを拒絶して内側に向かって閉じて行くとか怖すぎる。
ランビエール氏もこれ、何をどこまで狙ってるんでしょうね…?

まだまだできたてほやほやで未完成なプログラムかも知れませんが、個人的には、えらい強烈なファースト・インプレッションでした。大ちゃんの好きなプログラムは数あれど、こんな、見た瞬間に何かが突き刺さったような感じを受けたのは初めてです。
私の感覚が変なのかも知れませんが、でもこれが正直な私の感想です。

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□拍手コメントへのお返事。毎度遅くてすみません。

■2010/5/24 2:20
ありがとうございます。意見が別れそうな内容だっただけに、同意して頂けると心強いです。スポーツである以上、いつも自分の望む結果が出る訳ではないですよね。でもファンがどんなに騒いだ所で結果が変わる訳でもないし、思うようにならない事があるからこそ、良い結果が出た時により一層喜べるのがスポーツの醍醐味でもあると思います。選手だけでなくファンの側も、負けた時こそ勝者を素直に祝福できるグッド・ルーザーでありたいものですね。

■2010/5/24 22:20
こんばんは。いつも読んで下さってありがとうございます。オフの間も大ちゃん情報が途切れず嬉しい悲鳴。ありがたいことでございます。
ちなみに私はバンクーバーの録画の編集が未だに終わっておりません(笑)。

■2010/5/26 8:43
こんにちは、同意して頂いてありがとうございます。
マスコミにとっては人気選手は金のなる木ですから、話題性や知名度のある選手=お金になる選手を持ち上げるのはある程度は仕方ないかなと思います。彼らもご飯を食べて行かなくてはならない訳だし。でも余りにもそれが露骨だと、「ジャーナリズムって何なの?」と言いたくなりますね(笑)。