ウロコのつぶやき

昭和生まれの深海魚が海の底からお送りします。

高橋大輔のロング・アンド・ワインディングロード

2014-01-04 21:42:00 | 日記


あけましておめでとうございます。

…といいつつこのブログを読み返したら夏の終わりで止まってました。相変わらずのサボりっぷりです。
申し訳ありません。

私事は別の機会に(書ければ)書くとして、大ちゃんです。
相変わらずのジェットコースターっぷりでした。皆様振り落とされずに着いて来れていますでしょうか。

正直に言えば悔しい思いはあります。
大ちゃんもきっと悔しいでしょう。

夏のオフシーズン、いつになく早い仕上がりでジャンプの調子も(オフの時期にしては)よかった。プログラムも早めに準備して、「集大成の」ソチに向けて万全の状態でシーズンインに望むべく着々と準備が進んでいた…ように見えました。

夏のアイスショーとスケートアメリカの間に何があったのか。大ちゃんサイドからは(いつも)そういう情報が余り出て来ないので確実な事はわかりません。
靴の調整もなかなか上手くいかない部分はあったのでしょうが、その後のあれこれから考えるに、脚もその頃から、何らかの不調を抱えていたのではないのかなと推測致します。

スケートアメリカもNHK杯も、「棄権する事も考えた」という情報がありました。
実際に棄権せざるを得なかったGPFを経て、全日本でも、また。

それでも試合に出るからには全力を尽くし、出た結果は正面から受け止めて来ました。

これまで私が見て来た大ちゃんの歩みを振り返って、2006年のNHK杯は大きなターニングポイントになったと思っています。

そして今シーズンもまた、NHK杯が大きなポイントだったんじゃないかと思いました。
決して万全ではないあの状態で、あの演技。あそこで底力を見せつけた事が、最終的にソチオリンピックを呼び寄せる大きな原動力になったのではないでしょうか。

そして、運命の全日本。
優勝ではない。それどころか、表彰台にも乗れなかった。
それでもあの大会で、後々まで語り継がれるのは高橋大輔の演技だと思います。

思えば2006年、最初に大ちゃんの存在を知った時の私の印象は、「よく崖っぷちに追いつめられるけど、絶対に落ちない人」でした。
あともう一つ、歩くパワースポットというか、持っている運が強すぎて周囲も巻き込まれる、それどころか本人もちょくちょく翻弄されているんじゃないかと思いました。
生まれ年である「五黄の寅」の意味を知ってさもありなんという感じ。

そして今回の全日本で、改めてその辺りの事を思い出しました。

全日本でのフリーの演技。手のひらから血を流しながら舞う姿。
演技への影響という点では膝の故障とは比べるべくもありませんが、流血しながらも、時には笑みさえ浮かべて踊り続ける姿が、フィギュアに興味を持っていない人たちにも強烈なインパクトを与えたであろう事は想像に難くありません。

彼は自己陶酔しているのではなく演じているのだという事。手が痛かろうが脚が痛かろうが、音楽が流れている限りは「演技」を続ける表現者としての凄みを図らずも伝える流血に、結果的にはなりました。

実際映像を見ると、ジャンプのミスは点数的には痛いけれど、演技の「印象」にはほとんど響いていません。
スムーズでスピード感のあるスケーティング、指先まで神経が行き届き、ポーズからポーズへ移る間の動きまで洗練されて美しい所作、ジャンプをミスしても止まらない流れが音楽と調和して最後まで保たれ、高いPCSが出るのも納得です。
(ていうか、こういう「技術」を評価するためにこそPCSてものは存在してるんじゃないの?)

「高橋大輔は氷上のアーティスト」とはよく言われるフレーズですが、今回の演技はガチな意味で「芸術」と呼べるものだったなと結構真剣に思います。

フィギュアスケート自体を「芸術とスポーツの融合」という向きもありますが、ガチな芸術の世界では、ただ美しいだけでは芸術として評価して貰えないじゃないですか(現代アートだと特に)。
作品が生まれた背景、作品を通して伝えようとする作者の思想やメッセージ等々のコンテクスト(文脈)があって初めてアートとして評価される感じで。
(そこが現代アートのめんどくさい所だとも思うけど、よく考えたら古典作品でも結構「背景」込みで感動してたりする訳で、個人的には、予備知識なしで作品だけ見てもうっすらコンテクストが伝わって来て心が動かされて、興味持って背景を調べるとより感動が深まるというのが理想形かと思います)

高橋大輔というスケーターがこれまで経てきた紆余曲折、直近の試合を棄権せざるを得なかった状況も誰もが知っていて、正に後がない崖っぷちまで追いつめられたこの状況。

そんな中で、彼がこのプログラムで、ビートルズの曲に乗せて伝えようとしたメッセージは「感謝」の気持ち。

それらを伝える、「なんかよくわからんけど見ててきれいに/かっこよく見える」と思わせる「魅せる」ための技術とセンス。

美術が芸術となるための条件は十分揃っていると思うのですが、如何でしょう。

追い詰められた悲愴感を強調するかのような血の赤と、感謝を示す暖かな表現の対象性、そしてその後に見せた表情のドラマと合わせての一連の流れは、ファンでなくとも強烈な印象を残すコンテクストとして、彼の演技を芸術たらしめていたと思います。

今回の五輪の代表選考は、選考基準に照らし合わせれば至って順当なものだと思いますが(これについては別途書けたら書きたいです)、そういう細かい事情を知らない層にも概ね「高橋大輔ソチ行けて良かったね!」と好意的に受け入れられているのには、今までの彼の積み重ねと共に、今回の演技で彼が見せた、決して点数や順位だけではない説得力があるかと思います。

ていうか、今回の全日本を見て、「やっぱりこいつ、何か持ってるぞ」と思ったのって私だけではないと思うんですけどね…。

大ちゃんには、堂々と胸を張って五輪の舞台に立って欲しいと思います。
そして彼の持っている能力を存分に発揮して欲しい。
スケーターとしての才能だけでなく、ガチなアーティストとしての才能。
結果はその後に着いて来ると思います。

まずはその為にも、怪我の状態が良くなり、存分に力を発揮できる状況が整う事、何よりそれを祈っています。


倉敷駅前商店街にて。地元の愛を感じます…。