laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
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円熟の秀才&天才少年に酔う

2013-11-21 | kabuki a Tokio

歌舞伎座仮名手本忠臣蔵通し後半(夜の部)見てきました。

今月の大歌舞伎、何をみても「さびしい」が先に立ってしまってなんだかなあ、だったのですが、大歌舞伎最後でようやく満足、というか、楽しめました。

五、六段目は正直またまた「さびしい」をタイトルにつけなくちゃいかんなあ、という感想だったのですけれどね。
音羽屋の勘平、やってることに間違いはないんでしょうが、どうにもあっさりしてる。あっさりしてるのが音羽屋の魅力だし、本来の勘平って早とちりさんだし、意外とこういう風にあっさり死んでいくのが本当かも、などと頭では理解するのですが、個人的に中村屋、とくに長男のほうの汗と涙と唾と涎と埃にまみれた事件現場的死にっぷりに洗脳されちゃってるので、どうにも物足りない、と思ってしまう。

時蔵のおかる、いい意味で目立たない。この段のおかるはあくまで脇役なので、これでいいんだと思う。
東蔵のおかやは悪い意味で達者すぎかな。巧い役者だけど時として巧すぎる。吉之丞や田之助にはそれがなかった。
あと、いかんともしがたいことだが、丸々としていて視覚的に哀れさが出ないなあw
定九郎の松緑、どうなの?と思っていたけれど美脚と怪しい雰囲気は良く出ていたと思う。死に際の所作はちょっとわざとらしくて笑ってしまったけれど、だんだんおとっさんに似てきたなとも。
祇園の女将と女衒コンビ、別に秀太郎と松之助ほどこてこての関西の必要はないと思うのだけれど、特に團蔵の源六はいくらなんでもちゃきちゃきの江戸っこすぎないか?

…三階だったせいか周囲はほぼほぼ寝静まって客席もさびしかったので、ああまたやっちまったか、状態だったのですが。

七段目、これがなんと目覚しくよかった。!!!

何がいいって、とにかく梅玉の平右衛門!!!
例によってまったく予習せずに来てるので、梅玉が「ねい、ねい・・・」言いながら出てきたときには呆然としましたよ。ええええええええええええええええ貴公子の奴さんかい!とね。
いくら達者で代役キングといわれている梅玉さんでも無理でしょ、とね。

いやあ。びっくりしました。
すっごくいいのよ。
最初こそこちらに先入観があっていまいち品がありすぎじゃないの?とか思ってしまったのですが、二度目の出以降は、もうすんばらしいとしかいいようがない。
とくに芝雀のおかるとの兄妹の掛け合いは、今までみたどの七段目より愛情と愛嬌のほとばしる、素晴らしいものだったと思う。
正直人気コンビのじゃらじゃらした兄妹というより恋人に見えちゃう掛け合いにはどうにも違和感があったので、個人的には「七段目はこれだよ!これでなきゃ!」と深く納得しました。
中村座での中村屋兄弟のもよかったけど、いかんせんまだ若すぎた。兄弟にはぜひこっちを目指していただきたい。某じゃらじゃらコンビではなくて。
というか七段目を勘九郎は今月見に来るべき。勘九郎の目指すべき平右衛門はここにある!
個人的に福助のおかるが見られなくて残念ではあったのだけれど、兄妹の掛け合いの場面に関して言えばきっと福助がおかるのときよりずっとよかったのじゃないか、と推察。
福助おかるの真髄はむしろ前半の由良之助との掛け合い、いやそれ以前の出の場面のなんともいえないけだるさだと思ってるので。

もうひとつの大満足ポイントは、鷹之資。
いやあこの子すごいわ。台詞はまだまだだし、外見は子供残しの太めなんだけど。
身にまとった空気感が・・・なんというか・・・10代ではない。
いやそれどころか、その前日に国立劇場で見た山城屋の「なんでもないてぶら感」に近いものを感じてしまったのよ。
一生懸命演じようとか所作に気をつけようとか(いや本人は思ってるかもしれないけど)そういう気張りが一切感じられない、ただただ自然にそこに立っていて、ただただそこに力弥がいる感じ。
なんなんだろうこの自然っぷりは。
絶対に絶対に大器だと思うので、なんとか上手に育てていただきたい。播磨屋はこの子を一人前に育てることが今後の残された課題だと思う。

芝梅鷹のすばらしい芝居と存在を見せてもらっただけで十二分に満足したのですが、もちろん七段目の吉右衛門はすばらしいし(先月とかと比べると全体的に省力運転?まあいいよねw)、十一段目では萬ちゃん種ちゃんも見られたし、ひさびさに充実した歌舞伎鑑賞でした。

最後の最後の佳次郎の「えい!」(首を落とす掛け声)で腰砕けになったのと、梅蔵さんが師直にしてはちょっとメタボすぎません?と思ったのはまあご愛嬌。