laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
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さびしい・疲れた・当代一

2013-11-20 | kabuki a Tokio

伊賀越道中双六通し?@国立劇場見てきました。

通しにあえて?をつけたのは、結局発端と大詰めと沼津だけだったから。それでも四時間超。話の筋が通るわけでもなく、ただ疲労しただけかも、という印象。
国立の存在意義である、通し上演と復活狂言という二本柱、最近どちらも有名無実になっちゃってるような。通しを見たければ文楽に行くからいいよ、とついついこういう中途半端な半通しを見るたびに思っちゃいます。

いや、国立さんは営業的にはがんばってるとは思います。先月の文楽の伊賀越・・・と両方見たらチケット割引、筋書割引、イヤホンガイド割引、そして記念品プレゼント、となかなかのキャンペーン。チケットは割引対象外の安いランクだったし、イヤホンガイドは借りないので、筋書と記念品だけありがたく。筋書は800円のところが500円だから相当太っ腹!歌舞伎座もせめて1000円にならんか?

開演前には入り口でお出迎え、幕間には一階から三階まで練り歩き、愛嬌を振りまき写メのモデルになり・・・と涙ぐましい愛嬌を振りまくくろこちゃん(可愛いよね!)といい、本当にがんばってる。

…これだけ営業努力してるのに、そして人間国宝の至芸がみられるというのに、客席は・・・ここまで入りが悪いのは本当にひさしぶり、という閑古鳥状態。
一階が6割?2-3階を見上げたら2割入ってるかどうかという悲惨な状況。

芝居は・・・発端はともかく通しのなかでも重要かつ面白いはずの政右衛門屋敷(饅頭娘)の盛り上がらなさはなんなんだろう。客が盛り上がらないから役者が乗らないのか、役者がいまいちだからただでさえ少ない客が全員寝静まってしまうのか。

先月文楽で見たときには退屈してしまったのだけれど、今回は割りと面白く見ただけになんだかもったいないなあ、と。これ、技術はともかく政右衛門が海老蔵だったら客は寝ないよなあ、橋之助って顔もいいし芝居も悪くないのになんで人気ないかなあ・・・などと考えながら見ていました。ま、こういう余計な考えを浮かばせちゃうところが橋之助の橋之助たる由縁なのかもしれません。どっか散漫なんだよなあ。
孝太郎は最近絶好調だと思ってたんだけどお谷というある種現代では理解しにくいキャラクターのせいか、本人の柄にあってないせいか、いまいちだったなあ。
沼津は親子三人でやるのが一種の売りになってるので仕方ないんだけど、お米孝太郎、お谷扇雀のほうが役としてはなじんだんじゃないかしら。
沼津での扇雀を見てますますその感を強くしたのですが。

で、客のほとんどがお目当ての国宝様。
役者の出でこの日初めて手が来たよw出入りの拍手が好きじゃない私ですが、なんかほっとした。あ、みんな起きてるのねって感じw
国宝様特注wのなだらかなスロープ上になった階段を降りての客席お散歩はこの日いちばん、つか唯一の盛り上がりを見せてwここの場面の翫雀はよかったな。アドリブ混ぜて、父親の足取りに合わせつつ、ちゃんと自分のほうが年寄りに見える足取りで。

親子三人での沼津っていうのは中村屋でも見てますが、ここんちは何が凄いって、父親が息子の役をやっちゃうところ。すなわち息子が父親の役なんですがw
国宝様の十兵衛は、これはもう、そりゃコレだけ見とけばよろしい、つーくらいに素晴らしいです。
よく勘三郎が「舞台の上でなにもしないでそのままで役になってるような役者になりたい。最近ようやくそういう感じがつかめてきた」という発言をしていて、そんなことありえんやろ、と思ってたのですが。
この日の十兵衛はまさにそんな感じ。
なんつか、ヘンな言い回しですが

てぶら

なんですわ。

余計なもの持ってこない、余計なもの身につけてない。
何するわけでもない。もちろん台詞はしゃべってるんだけど、声は小さくて全部聞き取れるわけでもない。(ゆえに初めて見る、筋を知らない客にはお薦めできません)。

だけどそこにいるのは間違いなく十兵衛なんですなあ、これが凄い。とにかく見てごらんというくらいに凄い。
昨今のように早世したり若くて大病したりする人が続いている現状でこれを見ると、もうまさに「有り」「難い」としかいいようがない。
どんなに天才でも、どんなに綺麗な役者でもこの味だけは年輪を重ねないと得られないものだもんな・・・勘三郎がここまで来たらすごかっただろうな・・・(生前好きじゃなかったくせに死んじゃったら惜しい惜しいいってすんませんw)。

この十兵衛を見られただけでよしとすべきなのかもしれませんが、沼津という優れた場面の芝居全体としては・・・不満だったなあ。
まあ現存の役者なら誰でも無理だと思うんだけど、翫雀の平作は、藤十郎の十兵衛を受け切れてない。がんばってはいるんだけど、滑稽味ひょうきん味以外の、平作の心の描写は残念ながらほとんど出来てないので。
沼津というのは、平作の物語だ、と思っている私にとっては酷く物足りない段になってしまった。
千本松原で一滴も涙が出なかったのは初めて。
お米の扇雀はその段階にすら達してない。まるで七之助並(失礼w)に浄瑠璃に乗れてなくて、クドキの場面など体が完全に男になっちゃってて、思わず笑ってしまった。なんだあれ。

息子相手に家の芸をやる、というのは確かに伝承芸の世界で重要なのかもしれないし、まあ勉強させてやってるってことなんだろう。それに現存してる平作役者でこれを受けきれる役者は我當以外にいないんだが、体のことを考えるともう無理そうだし。
翫雀が急成長する奇跡がない限り、藤十郎十兵衛が本領を発揮する舞台はもう見られないのかもしれないなあ、などとまたまたさびしくなってみたり。

ああ、最近歌舞伎みるたびにさびしくなっちゃうなあ・・・

気を取り直して他の役者についても。
今回いちばんよかった!のが彦三郎。
一時、足元も台詞もおぼつかない感じでかなり心配していたのだけれど、今回は足もしっかりしていたし、何より口跡がはっきりしてきて、声も通って、お、回復した?って感じ。
こういう役者がゲンキになってどんどんいい芝居を見せてくれることがどれだけ若手にとって勉強になるか、と思うと本当に彦三郎よかった!と嬉しくなった。
亀鶴はいつもの「役不足」状態。誤用じゃなく本当の役不足w
こういう小さい役ばかりやってるうちにだんだん小さい役が似合う役者になってしまうのが不安。そういう役者、けっこうみてきてるからなあ・・・
虎之介は、この役をやらせるのが無理。扇雀が命をかけて守る夫には見えないwま、並ぶ場面はないからいいんだけどさ。
それこそ力弥あたりだったら綺麗にこなせそうなのに。ま、無理な役を必死でがんばる孫を叱咤激励?あるいは目を細めてみる?国宝様のじいちゃんぶりを楽しむのもこれまた歌舞伎の醍醐味、と無理やり思い込んでみるw

冒頭にこれじゃ通しじゃないじゃん、といいましたが、半分くらいでも十分、と思うくらいに主筋や父親の敵討ちのために無理する人が続出。
本来この話の主人公である政右衛門なんて、義理の父親(逢ったこともない!)の仇を討つために

1.女房を離縁
2.親類に自害強要
3.失職
4.実子(嬰児)を殺害

…まだあったかも。とにかくなんでそこまで?と思ってしまうわけで。
平作はもちろん、女子供弱いもの何人がたったひとつの敵討ちのために人生を台無しにされたことか。
うーん。こういう典型的敵討ちものって、いくら現代の道徳観と切り離して味わおうと思ってもここまで極端だと引いてしまうのも事実。
敵討ちのパロディでありアンチテーゼである研辰の討たれ(野田版)がなんだかまた見たくなってしまったのだった。わ、気づいたらまた勘三郎惜しんでるしわたしwww


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