Jalan Jalan Pelancongan
『世界遺産に登録されたGeorge Townにある主な文化遺産と街並み』
ハーモニー通りとクー・コンシー周辺 -モスク・中国寺院・ヒンドゥー寺院など多彩な文化がミックスされたこのエリアのメインストリート、 マスジッド・カピタン・クリン通り、通称ハーモニー通りの名前の通り様々な文化が入り混じり、 独特の調和(ハーモニー)をかもしだしています- |
 |
12.St. George's Church |
20.Teochew Temple |
13.Goddess of Mercy Temple |
19.Kapitan Keling Mosque |
21.Cheah Kongsi |
22.Khoo Kongsi |
23.Masjid Melayu Lebuh Acheh |
24.Yap Kongsi |
25.Dr. Sun Yat Sen's Penang Base |
26.Islamic Museum (Syed Alatas Mansion) |
B.Pusat Warisan Pulau Pinang (Penang Tourism Information Centre) |
25番に注目
2010.05.21(Fri)
13th Penang trip -3日目-

Yap Kongsi前の小道を奥へ入っていくと、住宅の並びの中に紫色の家があります。
ここがDr. Sun Yat Sen's Penang Baseです。
“100年先を見た男”と称される世界的革命家・孫文(孫中山)のミュージアムです。

開館時間を過ぎていて見学できなかったので、案内板を撮影してきました。
孫文がペナンに滞在していた時の家で、当時使っていた家具等が展示してあるそうです。
孫文の事はほとんど知りませんでしたが、この記事を書くにあたって調べているうちに映画を知り、読んでいるうちに興味が沸いてきました。
次回があれば、映画を観てから見学に行ってみたいと思います。

1910年、孫文は9回目の武装決起に失敗し、国外での逃亡生活を余儀なくされていました。
清朝政府は70万両の白銀を懸賞金にして彼の命を狙ったため、やむなく孫文は革命地盤の日本を脱出し、清朝政府の手の届かないマラヤ
(現マレーシア・ペナン)へ向かい、革命資金の調達を続けようとしました。
ペナンでは大恋愛もしたようで、ペナンは孫文にとって思い入れの強い地ではないでしょうか。

(映画
孫文HPより抜粋 /
↑は
Peranakan Mansionで撮影)
1800年代終りから1900年代初めにかけて激動の時代を駆け抜け、中国、アジアのあるべき理想を高らかに謳いあげた世界的革命家・孫文(孫中山)。
2000年続いた皇帝支配による専制政治に終止符を打ち、国をアジア初の共和制国家、中華民国建国に導く辛亥革命を起こしたのが1911年。
それから約100年経とうとする今、彼が唱えた理念は、まさに世界規模で花を咲かせようとしている。
国際感覚に優れ、遥か未来を見通す先見性、そして類まれなリーダーシップから、彼に魅了された人物は世界でも枚挙に暇がない。
日本においても、時を担う政治家、実業家、文化人の多くが彼と交流を持ち、支援を惜しまなかった。
辛亥革命を成功させ、中国の近代国家への礎を築いていく直前の“革命前夜”、亡命の地、英領マラヤ(マレーシア)・ペナンを舞台に、度々の革命失敗の苦境と失意の中、暗殺の危険にさらされながらも、愛する人に支えられ、希望を失わなかった孫文の愛と闘いの日々を描く一大叙事詩。
<関連記事はこちら>
世界遺産の街 “George Town” (2009.12.09)
ランキングに参加しています。
1日1回ポチッと応援ヨロシクお願いします
(↓1クリックde10pt入ります!)

