倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

私もそう思う「大阪万博は 中止または延期すべきじゃないか」

2024-01-28 | 日記

よりによって元日に発生した「令和6年能登半島地震」は、各地・各方面に大きな損害を与え現在に至っています。

地震の揺れ・津波・液状化現象・大規模火災などにより、多くの人命を奪い 命が助かった人々についても過酷な避難生活に追い込んだほか、建屋損壊・道路破壊・社会インフラ損壊など 地域社会そのものを非常に厳しい状況へ至らしめています。

これから 私たち国民は、被災地を初め関係方面の復旧・復興に それぞれの立場で心を砕き、とりわけ政治・行政に関わる者は 被災地へ一点集中の姿勢で臨むべきと言っても過言ではないと強く思います。

 

 

そのような社会情勢の中、既成の事業でありながら その「今後の推移」が注目されている一大プロジェクトがあります。

『2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博』です。

大阪府大阪市此花区 夢洲(ゆめしま)を会場とし、2025年(令和7年)4月13日~10月13日の184日間に亘って開催が予定されています。

主催は 財界を中心に構成される「公益社団法人2025年日本国際博覧会協会」で、準備から開催運営までを行なうことになっています。

 

 

 

主催者によると「大阪・関西万博は、格差や対立の拡大といった新たな社会課題や、AIやバイオテクノロジー等の科学技術の発展、その結果としての長寿命化といった変化に直面する中で、参加者一人一人に対し、自らにとって「幸福な生き方とは何か」を正面から問う、初めての万博です。近年、人々の価値観や生き方がますます多様化するとともに、技術革新によって誰もがこれまで想像しえなかった量の情報にアクセスし、やりとりを行うことが可能となっています。このような進展を踏まえ、大阪・関西万博では、健康・医療をはじめ、カーボンニュートラルやデジタル化といった取組を体現していくとともに、世界の叡智とベストプラクティスを大阪・関西地域に集約し、多様な価値観を踏まえた上での諸課題の解決策を提示していきます。」と、その開催意義を謳(うた)っています。

 

『EXPO2025 日本国際博覧会(大阪・関西万博』公式Webサイト

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EXPO 2025 大阪・関西万博公式Webサイト

2025年の万博、日本、大阪・関西で開催!テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。

EXPO 2025 大阪・関西万博公式Webサイト

 

 

 

 

2015年に「国際博覧会大阪誘致構想検討会」を立ち上げて以降 構想に相当の経年を経たうえで 満を持して建設に入った大阪・関西万博ですが、その雲行きが怪しくなってきています。

多くの方々から、このまま開催に向け突き進むことに 疑問の声が挙げられているのです。

果たして、その開催意義は今の社会情勢に見合ったものなのだろうか?

この点について、私も大いに疑問を呈する者の一人です。

「万博」といえば、私が真っ先に思い出すのが、同じ大阪で行なわれた『1970大阪万博』です。

岡本太郎さんデザインの「太陽の塔」をシンボルに掲げ、多くの近代インフラの展示・とりわけ「月の石」の展示などが人気を集め、入場者数は実に6,000万人を超え 事業は194億円の黒字となった巨大イベントでありました。

 

 

 

 

当時は、日本も高度成長時代の真っ只中。社会全体も「これから」感が満ちていました。

それに呼応するように開催された大阪万博は さまざまな近代社会を象徴するパビリオンやアクティビティが展示・展開され、多くの国民が近時代 さらに将来社会に〝未知なる期待〟を抱き来場したものと思います。

これに前後して 1970年には東京⇔大阪間の新幹線が開業、大イベントは社会インフラを連れてくるとの相乗効果が大いに評価されたところでもありました。

 

が、あれから半世紀以上…社会は成熟を極め その状況も大きく様変わりしています。

いや その成熟の一方で、社会は「プラトー期(伸び悩み期)」を迎えたとも申せ さらに言えば、人口減少・少子高齢化に伴う〝縮小社会〟を迎えているとも申せます。

この期に及んで〝あのとき〟と同義のイベントを開催する意義を どこに見出せばいいのでしょうか?

 

そのような疑問符を覚える中『2025大阪・関西万博』においては、さらなる〝現実的な問題〟が浮上しています。

「上振れ」が続く建設整備費です。

資材価格や人件費の高騰により、当初の1,250億円から 倍近い2.350億円に膨れ上がっていることが伝えられています。物価上昇や現場の人手不足は続いており、今後はさらに膨張する可能性さえあることがささかれています。

中でも、約350億円を費やす予定の 木製の巨大環状屋根「リング」への風当たりは強くなっています。

日本国際博覧会協会によると「多様でありながら、ひとつ」をコンセプトとする〝万博のシンボル〟で、約2kmの円周で会場を取り囲み 高さ12〜20m・内径約615mの〝世界最大級の木造建築物〟と謳われています。

 

 

 

この「リング」を巡っては、今月6日に 万博協会トップの十倉雅和・経団連会長が「必要である。ぜひ完成させたい」と記者会見であらためて強調し、8日の内閣委員会では 自見英子万博担当大臣が「夏の日よけとして大きな役割を果たす」と珍答弁を発したとのこと。

 

今のままの推移について専門家は「五輪(オリンピック・パラリンピック)よりもタチが悪い。五輪施設は そうはいってもスポーツ施設等として後利用ができるものの、万博については イベント終了後には建物が解体・撤去され、跡地には何も残らない」と指摘。

さらに 前出の「リング」についても「実質はただ長いだけの建造物で、高さは3〜5階建てのビル程度。中はガラガラで海の家みたいなもの。やはり最終的には壊され、開催意義を強調するだけのまやかしだ」と切り捨てていることが伝えられています。

さらに別の識者は「そもそも、この万博は カジノを含む「統合型リゾート施設(IR)を建設するための〝露払い的な役割〟で、単体での経済効果は大阪にとどまり限定的」と懐疑的な見方も。

さらにさらに メディア系の識者は「予算は膨れ上がっているが、東京五輪の際と同じで責任の所在が不明確にされている。そして、百歩譲って 五輪の際はテレビ等で好きな競技を観ることができたが、万博は行かなければ御利益(ごりやく)は無く、遠方に暮らす人(行けない人)にとっては税金をむしり取られるだけの〝ぼったくり事業〟だ」と断じています。

そんな中、地元の大阪では「中止でええやん」と銘打った署名活動が行なわれているとのこと。主催者の「どないする大阪の未来ネット」の事務局長は「あやふやなことばかり言わんと、もう「中止」と決めてしまったほうがええ。早くすれば 賠償金も低額で済むんやから。遅くなればなるほど、代償は高くついてしまうんやないか。」と関西弁でまくし立てていました。

 

 

 

 

現在の顛末の中で 経済産業省博覧会推進室は「総会で延期を発案し、総会参加者の3分の2以上の議決があれば(延期)できる」と説明しています。総会は年2回で、今冬にも開催予定とのこと(実際、ドバイの20年万博はコロナ禍で1年延期されました)

では「中止」の場合はどうか。中止の場合も 延期と同様のプロセスを辿ります、延期と違い「補償」が必要になる場合もあるそうですが 規定では「総会が自然災害とみなすような事態に起因する『不可抗力』により中止された場合は…」とある。渡辺氏は「何が不可抗力に当たるかは具体的に書かれていない。総会で3分の2以上の議決で、その理由が不可抗力だと判断されれば、了承される」。つまり 日本側から中止を言い出すことは全く不可能というわけではないようです。

その『不可抗力』に、さきの「令和6年能登半島地震」を充てることはできないでしょうか。

まさに〝国難〟ともなった能登半島地震は、大阪・関西万博の中止を英断する理由に 充分なり得ると思うのは 私だけではないハズです。

 

他方、経済学の専門家は「国家的イベントが終わるたびに、中央省庁では次の開催地…つまり「国の予算を注ぎ込む出先」を探し、周期的に〝お祭り〟を開催してきた」とし、これを「お祭りドクトリン」と解説しています。

これが、東京五輪→大阪・関西万博に雪崩を打つ「お祭りドクトリン」の典型なのでしょう。

この識者は、私と同義「今の状況のデジャブ(既視感)でもある 1964年五輪→70年万博の成功体験は、高度成長期だからこそ可能だったもの。しかして国は その〝成功のイメージ〟を使い回して税金投入を正当化し、普段ではできっこない施策(事業)を展開してきた。さらにタチの悪いことに、日本はそれ以外に社会を変える方法を身につけてこなかった」とし、この「お祭りドクトリン」から脱却しない限り〝お祭り〟の中止は無いと指摘しています。

 

そのうえで、社会思想学者は「〝安倍・森五輪〟と揶揄(やゆ)された東京五輪が 政治権力の中枢の人たちのための五輪だったように、歯止めが利かない裏側には必ず支配的なメカニズムがある」としてうえで「〝五輪や万博があったから経済成長できた〟のではなく〝経済成長の時に五輪や万博を開催していたに過ぎない〟ことに気づくべき。なのに 未だに関係者は「万博や五輪をやれば成長できる」という根拠のない想定で 成功体験にすがっている」とした上で、こうも述べています。

「日本の民主主義は幼(おさな)く これから育ててゆかなければならないのに、万博や五輪に裏打ちされた〝支配的メカニズム〟が民主主義を破壊している。万博や五輪で民意を問われたことはない。まずは民意を問うべきだ」と。

 

2025年は、その早々に「令和6年能登半島地震」に見舞われてしまいました。

前掲のとおり、これから 国を挙げて復旧・復興に注力してゆかなけれなりません。

「それはそれ・これはこれ」という向きがありますが、わが国の現状においては 別モノとすることはできません。

そのジャンルに拘わらず、資材・人工(にんく/人材)が絶対的に不足しているからです。

国家プロジェクトである万博を強行に推し進めれば、個人 々 の被災である地震による建屋の再建などは 後回しにされるのは必定です。

時代が変わり、さほど必要と思わなくなった「お祭り」のために、不足の災害で日々の生活拠点を奪われた人たちの 新たな居場所の再建が遅滞することなど許されてはならないハズです。

 

2025年大阪・関西万博は 中止または延期すべき。

大阪のおっちゃんと同意に、私も改めて強く思うところであります。