よりによって元日に起きてしまった「令和6年能登半島地震」は、能登半島エリアの方々に甚大かつさまざまな様態の被害を与えることとなり、それ(被害)は 時間経過と共に膠着(こうちゃく)しているものもあります。
とりわけ、地震や火災 それに津波などにより住むところを失なった被災者家族の方々は、着の身着のままで避難所に逃げ込み それから今もそこでの(避難)生活の継続を余儀なくされています。
この〝避難生活〟については、非常に残念ながら 大規模な災害においては欠かざる要件となっているものですが、今回の「令和6年能登半島地震」においては この如何(いかん)ともし難い状況に際し、これまでにない取り組みがされ 私だけでなく社会全体が評価し、その推移を見守ることになっています。
輪島市の中学生を対象にした「集団避難」です。
これは、被災の大きかった輪島市においては多くの住民が一時避難所になっている小中学校の体育館を現在も利用している(利用せざるを得ない)状況にあり、また施設の損傷も激しいことから学校としての機能を果たすには厳しい状況であることから、生徒らの学習の場を確保するためには他所(たしょ)への集団避難しかないとの判断の下で行なわれたものです。
実施については あくまで保護者の同意を得た生徒・本人がその意向を示した者に限られましたが、最終的に輪島市内の全3校401人のうち、希望した 1年生73人・2年生81人・3年生104人、計281人が 近市の白山市内にある「青年の家」や「少年自然の家」を拠点に生活し、同施設や白山市内の学校施設で学習に励むとのことであります。
この「集団避難」過去には 2000年に起きた「三宅島(東京都)噴火」で全島避難となった際に、小中高生約360人が都内あきるの市の高校施設で寮生活をしたことがありましたが、いわゆる本土での災害で実施されるのは極めて異例とのことです。
この取り組みには、輪島市教育委員会 とりわけ今の小川教育長の強いリーダーリップ(英断)があることが伝えられて(伝わって)います。
報道によると こちらの小川教育長は、かつて小木中学校(能登町)の校長を務めていたときに「東日本大震災」を目(ま)の当たりにし、それをきっかけに「防災教育」の大切さを再認識し、以後 学校を挙げてハザードマップの作成や津波の避難訓練を実施してきたそうです。
そんな、災害に対する意識の高い小川氏が教育長となってから発生してしまった大震災ですが、氏は そんな窮地においても、児童生徒の学習環境を如何(いか)にして整えるべきかを思案したうえで「集団避難」を苦渋の選択とし それを石川県教育委員会に打診したうえで実現したとのことであります。
ややもすると保守的・旧守的といわれる教育行政において、過去に例の無い「集団避難」を短期間で判断し実行に移すというのは、並大抵のことではなかったことでありましょう。
その(集団避難の)具体的な計画・保護者や教職員への説明と理解を得ること・結果への責任等々 事業実施に向けてはいくつものハードルがあったと思いますが、その全てを小川教育長は一身に背負い 実行につなげていった。
この判断(英断)は、輪島市教育行政の長(ちょう)としての「子どもたちへの責任」に他ならず そこに小川教育長の強い意向を感じ取るところです。
そのうえで氏は 英断を余所(よそ)に「子どもやご家庭に 大変な選択をさせてしまったことをお詫びする」としたうえで「輪島市に残る選択をした生徒の学習環境を整える」と全体責任を全うする考えを強調したことが伝えられていました。
私は、これこそが「行政責任」の表れではないかと高く評価したところです。
被災により現場が混乱している中においては、目の前の事(こと)の対応に追われるだけで 先を見通した判断はできにくいものです。
ましてや、前例の無い取り組み それも児童生徒や保護者に直接に影響の出るかもしれないことを遂行することは、公僕の者が最もやりたがらないものです。
ましてや「無事これ名馬」を標榜し〝保身〟を第一優先とする者(公僕)はなおのことです。
しかし それを、批判やリスクを恐れず断行した輪島市教育行政の英断。
そこには(前掲のとおり)小川教育長の経験と強い意志があったことは言うまでもありません。
自分の立場(保身)を顧みず「とにかく 子どもたちのために何が最善で、われわれ大人は何を為(な)すべきか」だけに注力しての実行力。
これこそが、教育行政かくあるべきを体現したものと思うところです。
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さて このことに比して、ジャンルは全く異なるものの「人・組織」が為(な)した〝対極の悪しき行為〟が報道されています。
従前にも触れましたが、和歌山県のトンネル(県道)で コンクリートの厚さが不足するなど施工不良が見つかった問題で、施工を行った建設会社が17日に会見を行ない、社長らが一連の問題について謝罪したことが報じられていました。
問題となっているのは和歌山県の串本町と那智勝浦町の町境をつなぐ県道のトンネル「八郎山トンネル」です。全長711mのこのトンネルは、地震などの災害時には、海沿いの国道42号の迂回道路として重要な意味合いを持つ県道として整備中で、トンネルは一昨年の9月に完成し 昨年12月に供用開始の予定でした。
しかし、完成後に行なわれた照明の設置工事で 作業員が(照明を)設置しようとアンカー用の穴をあけたところ、トンネル全長の約8割に「空洞」があり、さらに調べてみると 本来の設計なら必要な30cmのコンクリートの厚みが 最も薄いところで僅か1/10の「3センチ」しかなかったことが判明したのです。
トンネル工事は和歌山市内の企業のJVが手がけ、事業者は完成後「覆工コンクリートの厚さは設計以上に確保されていた」という内容の書類を提出しましたが、その後の聞き取りで「検査でコンクリート(厚)が薄いことは把握していた」と回答し、書類を設計値以上に書き換えたことを認めたとのことでした。
さらにその後、JVに参画した会社で 驚くべき実態が明らかになったのでした。
事業者(A社)によると、今回のトンネル工事を担当した現場所長(B所長)は社内でも経験が豊富で〝トンネル工事と言えばこの人〟と称される“敏腕社員”だったとのこと。
B所長はヒアリングに対し「覆工コンクリートの厚さが確保できないことを認識しながら、本社に相談することなく工事を進め 数値を偽装して検査を通した」と回答。
さらに 現場の従業員へのヒアリングでは「作業所長の判断は絶対」とか「とりわけ B所長を超えて内部通報はできない」との回答が大半だったということでありました。
また 会見で公表されたコンプライアンス委員会の提言書によると、ヒアリングで現場所長は「手直しをすれば工期に間に合わなくなる。赤字にしたくない。1次覆工で強度は保たれているのでトンネルの安全性に問題はないと判断した。そもそも 覆工コンクリートは化粧コンクリートのようなもので、厚さが足りなくても問題ない」と話したということです。
さらに「何より 自分はトンネル工事の専門家であり、本社に相談してもどうなるものではない」と回答したというのです。
これ(B所長の発言)が事実であるとするならば、何という独善・何という利益優先主義でありましょう。
落盤という最悪のケースを全く念頭に置かず、自社の利益と自分の立場を最優先した 人命軽視の最も許されざる判断と言わざるを得ません。
また このA社においては、かかる最悪の判断があり もしかしたら人命に関わるかもしれないのに、このアホ上司に対して「それは違うんじゃないか」と言えない体質があった。
これは 見方によっては共同正犯であると断罪されても仕方のないところでありましょう。
この2つの事例。
自らの職責において「子どもたちのために」を最優先して集団避難を決断(英断)した 輪島市の教育長と、人命がどうなろうと利益と自分の立場を優先してコンクリートをケチった会社の作業所長…この両者の〝認識の違い〟は、まさに雲泥の差といえるところであります。
このように、社会の中では「守るべきものは何か」との価値感によって 人の行動は分かれてくると思います。
そしてそれが 組織の中で判断されるときには、組織全体の体質のようなものがクローズアップされることになります。
言うまでも無く、為(な)すべきことは前者でありましょう。
当事者として、いわゆるエンドユーザー(この場合は子どもたち)の利益のために最善を尽くすべき。そのためにあらゆる可能性を求めて努力してゆこう。
この心根こそが、厳しい状況であるからこそ発揚されるべきであり、そこからの真摯な行動は 必ずや衆人の理解を得られることになることと思います。
それに比して、片やの〝独善・保身行動〟は論外。
ところが、得てして娑婆(しゃば)では こちらの悪しき価値観で動く者が多いことに嘆息(たんそく)させられているのも また事実であります…。