倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

いわゆる「裏金問題」の取り扱いについて

2024-01-31 | 日記

令和6年が明けたばかりの列島・能登半島を大地震が襲い、その翌日には成田空港で不測の航空機事故が発生するなど、波乱・多難な幕開けとなってしまいました。

一方で、私たちが忘れてはならない というより、とてもじゃないが捨ておけないのが 永田町の国会を牛耳る自民党議員が所属する「派閥」における いわゆる〝裏金問題〟です。

自民党の各派閥が政治資金を集めるためにパーティを開くためにパーティー券を売りさばいた際、予(あらかじ)め議員ごとに課せられていた〝ノルマ〟を上回った分は「キックバック」と称して 議員の懐(ふところ)に還流させていたものです。

あたしゃ この「キックバック」を聞いた瞬間には、サッカーの技かなんかと思ったくらいです。

で、この「キックバック」ですが、本来なら政治資金収支報告書に記載すればよかった(合法だった)ものを、派閥の指示で不記載にして〝裏金〟としたものです。

さらに言えば、この収支報告書の不記載は 厳密に言えば違法で、罰則が伴うことから 摘発されれば「公民権停止」もあり得る 重いもの(行為)なのです。

さらに さらに言えば この〝裏金〟議員の懐に入った瞬間に、それは所得税法上「雑所得」となり これを確定申告していなければ〝脱税〟になってしまうのです。

こんな二悪も三悪もある行為は、国民とすれば「まあイイや。」ではとても済ますことはできませんよね。

 

ところが 現実には〝雲散霧消〟の様相となっています。

多額に裏金をせしめた一部議員は告発されたものの、多くの議員連中は 通り一辺倒の記者会見を開いて 一部の支持者に説明ならぬ言い訳をし、その後の修正申告で一丁あがり…後はお咎(とが)め無しの雰囲気となっています。

こんな〝言い訳逃げ切り戦法〟が許されるハズもありません。

 

 

そして迎えた第208回国会(常会)です。

論戦の場を議員の主戦場たる国会の場に据え、かかる〝裏金問題〟について激しいやり取りが展開しています。

〝A級戦犯〟たる 総理以下の自民党議員は防戦一方、責める野党は ここぞとばかりに一挙火勢の攻撃(口撃)を展開しています。

そんな 丁々発止(ちょうちょうはっし)を見ている私ですが、一方で この論戦が、時間切れ未了のまま打ち止めになってしまうんじゃないかと憂慮の念を抱くようになってきました。

今国会においては、異例ともいえる「政府四演説の前での予算委員会による集中審議」を経て「本会議」での代表質問でのやり取り、これはこれで相応(ふさわ)しいと思うのですが、どうにも議論が〝水のかけ合い〟だけで、深まっていないんじゃないか。

国民の前に晒(さら)される 本会議や予算委員会も大事だけれど、この際は本腰を据えて かかる根深い「政治とカネ」の問題を検証・議論し、膿を出し切ったうえで次へと進むべきではないかと思ったところでした。

 

 

すると…あたかもそれに呼応するように1月31日の信濃毎日新聞の「社説」に、私の意を体してくれたような論説が載り、大いに賛同したところです。

社説のタイトルは『裏金問題と国会改革の議論を「特別委員会」で』というものです。

 

 

 

 

記事は先ず、29日の衆参予算委員会と30日の本会議(施政方針演説)で、岸田首相は陳謝し 裏金事件で国民の信頼を損ねた責任を重く受け止め「私自身が先頭に立って改革を実行する」と改めて強調したものの、具体策に触れると歯切れが悪いことを指摘しています。

そのうえで「自民党政治刷新本部は中間報告で「派閥から脱却し、本来の政策集団に生まれ変わらなければならない」と謳(うた)ったものの、予算委員会では肝心なのは事件の全容解明だ と、野党から党内調査を迫られ、それに対し首相は「聞き取り調査を進める」と約束したけれど 対象範囲や実施時期は答えず、自民党の「刷新本部」が最終報告をまとめる期限についても明言を避けている。」と指摘しています。

また「政治資金規正法の改定」についても、会計責任者の違反に議員本人も責任を負う「連座制」の導入について首相は「真摯(しんし)に議論したい」と応じるに止(とど)まっている としています。

政党から政治家個人に渡り、使途公開の義務がない「政策活動費」でも同様。不透明な政治資金の代名詞であり 他党が使途公開や廃止を求めても、首相は「政治活動の自由そのものに関わる」と逃げを打っていると断じています。

さらに「これは、全議員の聞き取り調査や政策活動費の見直しに踏み込めば“派閥解消”で揺らぐ党内事情がさらに悪化しかねないことから、政権保持に固執する首相の本音がにじむ。」としたうえで、来週から来年度予算案の審議が始まることを踏まえ「このまま推移すれば 議論が混在し、かえって国民には分かりづらくなる」と懸念を示していました。

 

私も全く同意。この未だ不透明な点、そのうえで (私を含む)多くの国民が とてもじゃないが納得していない中、かかる不透明な点 一つひとつを掘り下げ・解明し・不適切な行為に及んだ議員の処遇(処罰)を定め・そのうえで 今後このようなことの無いように法整備の土台づくりを行なうべきでありましょう。

 

そのうえで 同紙の論説員は「与野党間に 政治改革に向けた「特別委員会」を設けてはどうか」と提唱しています。

企業・団体献金、政党交付金、調査研究広報滞在費(旧文通費)、政治資金収支報告書の公開方法など改変すべき課題は多々あることを踏まえ「政治資金規正法に抜け穴を残し 政治とカネの問題を引き起こしてきた責任は国会にある」ことを自覚したうえで、公開のうえでの審議・外部識者らの意見導入視野に、各党が掲げる〝最も厳しい規制〟を軸に改革案を練ってほしい。」と述べておりました。

 

私自身も、このまま 語気だけを強め、表面的な殴り合いだけで幕引きをするのではなく いわゆる地に足を着けた議論を行なうためにも「特別委員会」を設置し、未詳・未解決な問題を深く掘り下げてゆくことこそが 国民の求めるところではないかと思うところです。

 

従前のブログ記事でも触れていますが、高度成長期の頃と異なり 社会経済状況は厳しさを増し、今までのように「良(いい)わ いいわ」で済まされない状況に至っています。

そのうえで、国民自身がクレバー(賢者)となっていることから(現に 今回の裏金問題の指摘(告発)も、民間(人)の大学教授の手によるものでしたよね)、それら賢者を前に このまま逃げ切りというワケにはゆかない。

 

「あんまり国民を舐(な)めない方がイイよ。」そう思っているのは、私だけではないハズです。


内部告発(=公益通報)の社会的役割

2024-01-31 | 日記

知人(Aさん)の依頼で、以前に在籍していたものの 一旦離脱した団体に復帰する人(Bさん)の(当該団体の)打合せ会議に陪席することとなりました。

その場で、時代が変わる(変わった)中 組織を浄化するための重要な行為について思いをいたしました。

 

それは「内部告発」…今は「公益通報」と呼ばれる〝勇気ある行為〟です。

みなさんは「内部告発」と聞くと、どのようなイメージを抱かれるでしょうか?

それ(内部告発)が 組織にとって良いものか⇔悪いものか と考えてみたとき、従来(旧態依然)のままの感性に依(よ)れば「身内の恥をチクった、組織に敵対する悪しき裏切り行為」と捉える人が多いものです。

これは もしかしたら〝和の精神〟を重んじる 日本の慣習からきているのかもしれません。

「そんな 身内の恥を晒(さら)すもんじゃない!」とか「オマエさえ黙っていれば、全て丸く収まるんだ!」というような「内部告発」に対する意識(=内向きの感性)は、未だに多くの組織に「(組織の)常識」として蔓延(はびこ)っているものです。

しかし、今や多くの人たちが承知しているように「内部告発」を忌み嫌う組織のままでは、その組織は良くならないどころか いずれ「腐ってゆく」と言っても過言ではないのです。

そうです「内部告発」は 組織にとってマイナスに作用するのではなく、それどころか 組織・ひいては社会全体にとって有益になるもので、むしろ促進されるべきもの(善行)なのです。

「内部告発」が為(な)されることにより、その組織や部署にとっては都合が良くても 社会的には不適切である〝実態〟が社会的に明らかとなり、そのことでそれら(不適切運営)が是正することができれば 逆に組織の体質改善につながると同時に、ひいては社会環境そのものの向上につなげることもできるのです。

このように「内部告発」が組織にとって有益なのに、わが国の多くの企業や組織が(内部告発を)未だ受け入れられにくい実態にある一方、諸外国においては 内部告発を厚く保護し、促(うなが)している国が多くあります。例えば オーストラリアでは『公益開示法』韓国では『公益申告者保護法』アメリカでは『不正請求禁止法』を制定し 内部告発を促す社会環境を整えています。

他方 わが国においては、2020年に「公益通報者保護法」が制定され(2022年に改定)現在に至っていますが、いわゆる社会的風潮の中では「内部告発」に対する見方は未熟であると言わざるを得ないところです。

 

「公益通報者保護法」消費者庁HP

      ↓

https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_partnerships/whisleblower_protection_system/overview

 

 

このような制度を設けている背景には、通報が「社会にとって良いものである」という認識が(諸外国の)社会の中で共有されているという いわば日本との〝国際的格差〟があると申せます。

残念ながら わが国においては、まだ 内部告発を是(ぜ)とする意識が広く共有されているとは言い難い状況にありますが、前述のとおり 内部告発は、組織や社会にとって有益なのですから、不祥事を発見した場合には 積極的に(内部告発を)実行することが求められています。

これからの日本社会においても、活発 というより適切に内部告発が行なわれ、その都度に組織の不適切運営祥事が是正されるということ(学習)を積み重ねることで、わが国においても いわゆる〝風通しのよい組織運営〟が構築されていくことになるのが期待されるところです。

 

 

 

 

このように かかる「内部告発」の意義が再認識される一方で、基本的な部分で課題(問題)が横たわっています。

肝心の「組織」ならびに「(告発者以外の)構成員」が、この善行(内部告発)を正しく理解し 受容することができるかどうか、です。

(前掲のように)内部告発を〝チクった〟と決めつけ、告発の中身の以前に (告発の)行為そのものを責める風潮にある組織。

現場(部下)の方に問題意識があっても、それを上司に言ったところで 聞く耳を持たなかったり却下されることが判っているから「言っても無駄だ…」と いわば(内部告発の)権利を放棄せざるを得ない風潮にある組織。

同様に 現場(部下)の方に問題意識があって、それを上司に言ったところ「管理者の耳に入れれば面倒なことになる」とばかりに、途中(中間管理職)の段階で揉み消してしまう風潮にある組織。

いくら問題提起しても、上司や管理者は「そうだね…」と頷(うなず)くだけで、具体的な改善に動こうとしない風潮にある組織。

組織の管理者が 内部告発を恐れ、予(あらかじ)めのうちに 構成員に箝口令(かんこうれい/口止め)を敷いて〝言論統制〟をする風潮にある組織。  等々…

 

これでは、心ある構成員が いくら勇気をもって内部告発に臨んだとしても、組織は何ら変わることは無いでしょう。

「内部告発」は、告発する(される)までの〝片道〟だけでは無く、それを真摯に受け止めて改善するという〝往復〟が無ければ その効果は半分でしかないのです。残念ながら。

 

 

ところで、冒頭の団体において Bさんを後見する人が、(Bさんの)復帰にあたって心配する点を指摘しておられました。

実はBさん、組織の不適切運営について 勇気をもって「内部告発」を行なった経緯があるのですが、そのことで 復帰した団体で冷遇されるのではないか、という点です。

これについては、もし この団体が(やはり前掲のとおり)旧態依然のままの組織形態であれば、往々にしてあり得ることでありましょう。

このことについては 私の立場から「団体の構成員においては これを契機に「内部告発」の意義そのものについて学ぶべき」と強く指摘しました。

いわんや「内部告発」とは、告発の名を借りた〝提言〟であると捉え、組織は それを真摯に受け止めてゆくべきではないか、と。

今回 Bさんが復帰したとき、それぞれの構成員自身が「内部告発」について正しく認識していなければ「組織をチクった者が戻ってきた。石でも投げてやりたいけど、上司が黙っていろというから我慢しよう」などという〝間違った認識〟のままにBさんを受け入れることになるでしょう。

一方で、組織の長をはじめ あまねく構成員が「内部告発」を正しく理解していれば、Bさんへの見方は180°違うものになる。

「Bさん、組織の問題点を 勇気をもって社会に指摘してくれてありがとう。この告発によって組織は改善に努め、より良い団体へと脱皮することができた。これからも胸襟を開いて共に活動してゆこう!」と。

「内部告発」への正しい理解と、その後の実行如何(いかん)で 組織の内容は飛躍的に向上してゆくのです。

 

 

Bさんの属する団体のみならず、広く社会では「ビッグモーター」や「ダイハツ」さきには「豊田自動織機」など 企業におけるコンプライアンス違反が続出し、その陰(かげ)には「内部告発」があると言われています。

これら企業においても然(しか)り。「内部告発」を受けた以上は 挙げて組織の改善を図るよう取り組むのか「そんなことあったっけ?」とトボケるか「ご指摘は重く受け止めます」と言うだけで 結果なーんにも動かずに済ませてしまうのか、ここは正に分岐点〝再び伸びるか そのまま腐るか〟に明確に分かれるところと思うところです。