従前に 本ブログで触れさせていただいた、奥さん(Bさん)に膵臓(すいぞう)の重大疾患が認められ 自宅療養を選択したAさん家族。その後も私は 不定期に見舞いに足を運ばせていただいております。
私が Bさんの疾患を知らされ、初めて見舞いに伺ってから 約1ヶ月…週に2度ほどのペース(間隔)でお顔を見に行っているのですが、その間隔をもっても Bさんの体力が低下しているのが 私の目からも認識できるほどになってしまっています。
今月初めには、私が「元気でね!」と声をかけると「元気 元気!」と顔をこちらに向けて笑顔をつくり、グータッチをしてくれたものでした。
…ところが最近は、カオを見せた際に 家族の方から「クラちゃん来たよ!」との声をかけても、うっすら目を開けて頷くばかり…私の(言葉の)投げかけにも 口元に笑みを浮かべて応じてはくれるものの、以前のように返答したりすることは少なくなってしまっているのです。
その大きな理由は、食事が喉を通らないことにあるようです。
訊けば、ご本人は「何か食べなきゃ」との意志(意思)はあるものの、いざ飲食物が食道を通過するときに副反応が生じてしまい、結局 嚥下するようになってしまうとのことです。
また Bさんについては、点滴などの血液を通した栄養補充もできにくい状況とのことで、いわゆる「飲まず食わず」の状態が長期に亘り続いているようなのでした。
口径(口から物を食べる)による栄養摂取の重要性については 従前にも触れたところでありますが、そんな シンプルかつ重要な栄養摂取の手段が講じられにくくなったBさんの状況は 日々厳しくなってきていると言わざるを得ないところです。
ところが、そんな状況の中でも Aさん家族のみなさんは、日々笑顔でBさんの看護にあたっておられるのです。
自営業のAさんは この頃の一切の仕事を断ってBさんの傍(そば)に居るに努め、仕事に従事しているお子さん(成人)は休職し やはりBさんに付きっきりで看護にあたっておられるのです。
その表情には、Bさんが置かれる厳しい状況は念頭に無いような素振(そぶ)り…で、その「家族の心情」について、かくいう私も ものすごく理解するところなのです。
このことについては、その度に 私の亡父の辿った経緯を引き合いに出すところですが、私の亡父についても 在宅看護も7年が経過し、痩せ細って会話もままならなくなり いよいよ今際(いまわ)のときを迎えようとしたところでありましたが、そんな状況に陥ってもなお 私たち家族は、親父が死ぬなどということは これっぽっちも思わずにいたのが正直なところなのです。
当時を回顧すれば、既に主治医からは「やれることは全てやった。」として いわば余命宣告を受けていたのでしたが、私たち家族は 主治医の言うことを無視していたワケではないのですが「親父が近々に逝(い)く」などということは想像だにせず、日々変わらぬ介護を続けていたものでありました。
「家族」というものは そういうものなのでありましょうか。
私は 今も不定期にAさん宅を訪れ、私のカオを見せ Bさんに変わらぬ声をかけています。前述のとおり、Bさんは残念ながら徐々に体力が落ちてきているのが傍目(はため)でも判るところでありますが、Aさん家族は ウチがそうだったように、Bさんの介護を日々変わらずに行なっておられます。
それが家族というもの。
Bさんを笑顔で囲んで介護を続けるAさん家族に かつての我が家の介護生活を重ね合わせ、家族の絆というものを改めて感じ入っています。