倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

苦節を「意気」に 

2021-11-17 | 日記

先日、知人のAさんから電話があり、去る5月に 東京都内に住み学生生活を送るAさんのご子息の支援のお手伝いをさせていただいた件の〝後日談〟が良好のうちに推移していることを伝えられました。

そして、Aさんの方から 今回の経験を糧に、今後 地域に「社会還元」したい旨の発言もあり、非常に心強く感じたのでした。

 

 

 

 

この件については、去る5/18付のブログでレポートさせていただいておりますが、現在 東京で暮らすAさんのご子息(Bくん)は、長野市内で進学を果たし高校で過ごしていたものの、在学中にイジメ等の仕打ちに遭い 東京都内の学校に転校を余儀なくされ、苦節のうちに時間を過ごすを余儀なくされていました。

それでもBくんは、都内で独り暮らしをしながら 一念発起して〝学び直し〟に臨み、福祉関係の道に進むことを決意し 都内の福祉系大学に進学(受験)することになりました。

その際 在学する高校の進路指導で、全く(福祉事業の)中身を知らずに進むよりも 何らか経験と予備知識を得るべきだということになり、何処(いずこ)かの福祉団体などでボランティア経験を積むようにアドバイスされたのです。

ところが、単身 都内で暮らすBくんには、そんなツテも無かったことから 実父のAさんに、本籍地の長野エリアのどこかでボランティアを受け入れてくれるところが無いか相談、それを受けて困ったAさんが 私の下(もと)に電話(相談)を入れてきたのでした。

それ(事情も含む)を聞いた私は、Aさん同様に親身に思い 心あたりに照会しようと思ったのですが、そこで不測の障壁となってしまったのが〝コロナ禍の悪影響〟でありました。

もとより『緊急事態宣言』が発出されるなど、そこに暮らしているだけでコロナ感染症の影響が取り沙汰される中、都内の者が 田舎(長野)に戻ってボランティアを希望してみても、もとより感染リスクを警戒せざるを得ない(長野の)福祉施設とすれば、本人の気持ち(意欲)は汲んでも 現実に(都内在住の者を)ボランティアとして受け入れることは難しいのではないか というものでありました。

 

 

 

 

そこで 私は「むしろ ボランティアの受け入れ先は、いま暮らす都内で探した方が合理的ではないか。」と考えました。

しかしながら、私にも東京都内の福祉機関にコネがあるワケでも無く「どうしたものか…」と考えたところ、ふと アタマに豆電球が点(とも)りました。

 

Bくんの暮らす自治体の「社会福祉協議会」に相談してみよう。

訊けば、今 Bくんは、東京都は北区でアパート暮らしをしているとのことなので、北区の社会福祉協議会に〝飛び込み電話〟をかけ、事情を話して 彼のボランティア受け入れを依頼してみたところです。

 

 

 

そして その結果は、私の予想を上回る 親切丁寧な対応をいただたものでありました。

私自身、北区の社会福祉協議会さんとは何の縁(えん)も無く、ただ そこ(北区)にBくんが暮らしているというだけの根拠で「こういう青年が居るんですが、彼の志(こころざし)を汲んでボランティアの受け入れをお願いできないでしょうか。」との問いに対し、先方(北区社協)は 早速にボランティア担当部署に繋(つな)いでくださり、私からの間接的な説明を聞き取ってくださったうえで「判りました。それでは 改めて御本人さんから電話をくれるようにお伝えください。」との好返答をいただいたのです。

それを受け、Aさんに その旨を伝えると、さっそくAさんからBくんに伝言され、後日 Bくん自身が北区社協さんに電話、本人の熱意も伝わってか、6月からボランティアのメンバーに加入することができた とのことでした。

北区社協さんにおかれては、(私も電話の応対ぶりに実感したのですが)投げかけられた相談に対し 本当に親切対応してくださいました。間違いなく 現下のコロナ禍で用務多端であろう中にも関わらず、決して こちらの申し出を無碍(むげ)にせず「できない」ではなく「どのようにしたらできる(受け入れられる)か」を親身になって考えてくださり、結果 彼の活動の場を見出してくださったのでした。

 

 

そして、この「美談」には さらにウレシイ後日談があったのでした。

今回 2度目の電話をかけてくれたAさんの声は、前回にも増して弾んだものになっていました。

訊けば 件(くだん)のBくん、北区社会福祉協議会の紹介で 区内在住の在日外国人の支援活動に関わっていたところ、そのボランティア活動(活躍ぶり)が高く評価され、この度 北区社協のボランティアコーディネーターの一員として正式にスタッフ入りすることとなったそうです。今後 北区の社協活動には Bくんの意見も反映されることになり、Bくんは それを大いに意気に感じて これからもボランティア活動に励んでゆきたい!と張り切っているとのことでした。

 

そのうえで、愛息たるBくんを遠くで見守る父君のAさんから さらにウレシイ一言が聞かれました。

「ウチのBは 期待をもって臨んだ高校生活で思わぬ苦節を味わい、そのことで家族全体が沈滞してしまいました。そして 遠く孤独な都内暮らしを送る中、心配に堪えないところでしたが、思わぬところで〝居場所〟を見つけてっもらったうえに、そこで本人の無償の活動が認められて いわば光明を見出すことができました。それまでひどく落ち込んでしまった分、Bのみならず わが家の喜びはひとしおのものがあります。」とのことでした。

そのうえでAさんは「社会には、ウチのように さまざまな形で苦節を味わっている子が少なからず居ることと思います。で、私とすれば、こんな辛い思いを他の家庭には味わってもらいたくないので、いち親の立場として 自分(親)が暮らすここ長野で、そんな境遇にある人(世帯)の支援ができないか考えてゆきたいのです。」と述べてもおられたのでした。

それを聞いて私は、Bくんの出直しの満帆ぶりを喜ぶと同時に、その経験を他者に活かして差し上げたいというAさんの心根にも敬意を表したものでした。

ややもすれば「自分ちさえ良ければ他(ほか)は関係ねー」と思いがちになる風潮の中、自分たちが辛い経験をしたからこそ 他者にはそんな思いをしてほしくない…とのAさんの優しさが感じられ、その心根に共感するばかりでありました。

 

今回 Aさんの愛息Bくんが辿った道は、現代の抱える闇(やみ)ともいえる社会問題に〝コロナ禍〟の悪影響が重なり、二重三重(ふたえみえ)の厳しさが伴うものでありました。

そんな中、半ば偶然の産物でもあった〝地域の助け舟〟ともいえる(北区)社会福祉協議会との出会いは、苦節の分 BくんのみならずAさん家族全体に光を当ててくれることとなり、私自身 地域に根ざす社会福祉協議会の存在意義を再認識したところでありました。

長野市においても、北区に倣(なら)い 親切で温かな社会環境の構築に向け、私の立場でも 例えば長野市社会福祉協議会と適切に連携するなどして、市域の福祉向上に努めてゆきたいと思いを新たにしたところであります。

 

なお Bくんは、北区社協での無償の活動が評価されるなどし 都内の福祉関係の大学から合格の内申を受けたとのことでした。

苦節から ひと足早い春へ…良かったヨカッタ。