草もち姫 徒然なるままに

日暮し、PCにむかひて心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

故郷静岡の観光客になる  その3 家康の長男なのにマイナーな「信康」

2015年07月21日 | 知識

徳川家康の長男なのに、まったく知名度の低いのが「松平(岡崎三郎)信康」です。この信長の「信」と家康の「康」から貰った名前の武将がなんで20歳の若さで自害しなければいけなかったかというのを上手に説明出来たらいいなぁと常々思っているのですが、まだ下手なので(-_-;)ここを参照してください。

とにかくそのお墓があるのが生まれ育った家からすぐのお寺「清龍寺」で、私が子供のころは「信康まつり」というのが盛大に行われていて、事情をよく知らなかったのでてっきり素晴らしい武将だと思っておりました(笑)

家康の長男だったのだけど、信長の娘の「徳姫」は家康の妻の(信康の母)「築山御前」が今川の娘だったので折り合いが悪かったりしたのもあるのか?信康とも折り合いが悪くなり実父の信長宛に「12箇条の手紙」を書いて家来に持たせたのだが、これについて真偽のほどを問い合わせた信長に全く「そのとおり」と家来が答えてしまったので、信長が家康に信康の切腹を命じたって事です。

諸説あるのですが親子不仲説とか、派閥抗争説とか、実は生き延びていたという説もあるし、、、正室の「築山殿」も、死後夜な夜な家康の枕元に現れたとか、エピソードには事欠かない。 そういうわけで家康嫌いな人も多い地区なのです。

久しぶりに本家の畳の部屋でゆっくり寝て、朝早くから散歩に行ってみた。「信康」に関するこの建物はわりと最近の物です。

    

「諏訪神社」の池も鯉も昔のまま、落ちてくる山水を飲むのも楽しみでした。友達と「グリコ」という遊びをした階段。全部の物が当時よりもなんだか小さく感じます。

      

この坂の上が「清龍寺」です。山門の向こうの大銀杏も昔のままです。

    

昔と違うのは「本田宗一郎ゆかりの地」の立て札。昔から鐘つき堂はあって除夜の鐘もここで撞けるのだけどそこに「徳川信康の菩提寺、清龍寺、この信康ゆかりの寺で、二俣尋常高等小学校時代の宗一郎少年は、正午を知らせる鐘を30分前につき、まんまと弁当を早く食べたといわれている」へーへー(笑)

    

「信康廟」はもちろん入れないのだけど階段を登ったところにあります。この寺の反対側が母校の二俣小学校です。

    

遅刻しないように一生懸命走ったはずが(-_-;)なんと近い事です。そう言えば確かに8時28分まで「おはなはん」を見て猛ダッシュで登校していたのだから遠いはずはない(笑)

水泳部だったのでこのプールには愛着があります。ゴリラ先生の目を掠めて休憩時間なのにプールのヘリに張り付いて水の中に一緒にいたのは日舞も得意な「楪加代子ちゃん」でした。中学前に転校してしまったので全く消息はわからないけど、どこで還暦マダムになっているのかしら?

当たり前に古い家並みだけどそれが観光的には重宝されているようです。お蔵の残る街並です。同級生のお家も載せないけど自分のために写真撮りながら歩きました。

          

「ひーちゃん」のお宅には突撃訪問、年賀状だけの距離がぐっと短くなった?やーちゃんのお母さんにも偶然お目にかかりましたヽ(^o^)丿

昨年で母校の「二俣高校」が他の高校と合併して「天竜高校」になって「天龍林業高校」だった場所に移ってしまいました。新しい校舎を見に足を延ばしてみました。木材が惜しげもなく使われています(*^_^*)ちょうど高校野球の県予選の時期で、母校は無事に一回戦は勝って、2回戦を戦うべく「清水球場」にバスを仕立てて出発する朝でした。

    

二光滝(にこうだき)も変わっていませんでした。子供のころはこの二俣川で魚を獲ったり、水遊びをしました。多分今は遊泳禁止でしょう。川沿いに昨年オープンしてテレビでも紹介される「日光の天然氷」の人気店「FUKU Cafe」があるのですが、なんと朝9時半にもう10組位並んでおりました(@_@;)なんで天竜で日光の氷?

  


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