草もち姫 徒然なるままに

日暮し、PCにむかひて心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

すずかけ村の散歩道「2016年春が来た!」

2016年02月27日 | 植物

やっと春らしくなってきた。にょろの散歩道にも「梅」が咲き始めました。梅見とか行かなくてもいいレベルに咲いているすずかけ村でございます(笑)

椿公園にあるたった1本の「河津桜」は大体テレビのニュースで紹介される河津の桜と同じように開花します。濃いピンクの花が比較的長く咲くのでいい品種だと思います。

ボール遊びの子供さんも映してみました。

    

つくし野中学の正門前の桃はいつも逆光になってしまう。フェンス際の黄色い花がきれいです。ウンナンオウバイって言うのかな?誰か教えて(-_-;)

    

    

すずかけゴルフガーデンだった場所はすっかり住宅地です。中学校の体育館の向かいが梅園です。

    

    

ピンクと白がありますが毎年白が先に咲き始めます。どなたかが手入れ中。ちゃんと切りそろえておられます。

    

      

足元が慣れないのかにょろはここが好きじゃないみたいで帰ろう帰ろうとします。

  

昨年娘たちと行った大島で買ってきた椿の苗木、期待してなかったけど花が咲きました。ほっとします。

    

おーーー?パセリに白い小さな花が咲くのか?と一瞬期待したら、、別物でした(笑)全然良く分ってないけど、雑草でも何でも花が咲くと嬉しいものです。

  

 

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東海道中膝OK? 品川宿の残り→川崎 その3「川崎宿」で凄いプレゼント

2016年02月27日 | 東海道53次

第一京浜の下をくぐって「旧東海道」の表示のある道に出ました。

    

ここもシャッターに浮世絵、観光ポイントが表示になっています。「東海道川崎宿交流館」ってのが見えたので入ってみました。ちょうどDVDが始まるところ。

    

「万年屋」という店の後は残っているのか?地図で確認したらそれ以前に旧東海道に入ってしまったので見られなかったようですが、こんな感じの座敷の人気店だった?

2階には旅人のコスプレコーナー、私はとりあえず顔だしボードで写真を撮って戴きました。全部無料だから凄い!階段には広重様の53次です(*^_^*)流石!!

    

    

更に500円という値段にも惹かれ、「広重東海道五拾参三次」川崎交流館編集版を購入してしまった。

    

ここで予想外に時間を取ってしまったので先を急ぎます。んんっ?「砂子(いさご)の里資料館?」一瞬ためらったけど浮世絵が見えたので入ってみたら、、なんとなんと

「行書版」の東海道53次が全部展示されており、無料(@_@;)ありがたく拝見させていただきました。今日で最終日で3月は「隷書版」の展示だそうです。凄すぎ!

わざわざ由比の広重美術館まで行っても「前・後半」に分かれて展示していたりするのにこの太っ腹には感動です。来月も行っちゃう(^O^)/

      

もっとゆっくり見たかったけど「八丁畷」(はっちょうなわて)までもう一息。川崎駅前の繁華街を抜けて歩きます。銀行のシャッターにも広重様の浮世絵です。こんなに「川崎宿」アピールにはちょっとビックリ。

            

芭蕉の句碑は沢山あるけどこの句は中々感慨深い。晩年に故郷の伊賀に帰る際。送りに来た門人との別れを惜しんで川崎宿で別れ際に詠んだ句だそうで川崎警察過ぎた辺りです。

「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」

これを過ぎると「八丁畷」駅です。ここは京急とJRが通っているのですが、ぱっと見「京急の駅」本当にJR乗れるの?って感じです。

        

一旦京急の改札でタッチして、階段を登ったJRのホームでタッチしますが、ありゃ?ホームが片方しかない?カメラを持った方に聞いたら「今行ったのが帰ってくるからここでいいよ」

へー?乗換検索すると必ず「尻手(しって)」で乗換って出るし、何だろう?と思ったら尻手⇔浜川崎までは単線で往復するようです。楽しい(^O^)/

「尻手」→「JR武蔵溝の口」→「東急溝の口」で田園都市線に乗り換えてすずかけ村に帰ってきました。駅では20,974歩。今日も良く歩いたけどそれほどダメージがなかった。

天気が良くて持参したサングラスとマスクが役に立ちました。それでも帽子はひさしのないニットだったので陽に焼けたようです。次はどこを歩こうかな?

 

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東海道中膝OK? 品川宿の残り→川崎 その2「六郷橋」まで

2016年02月27日 | 東海道53次

梅屋敷→蒲田→と第一京浜を歩きます。南蒲田で環8と交差してるんだ。高架工事は終わったみたいですが蒲田駅周辺ガンガン工事中です。夫婦側の掛る「呑川」地図をみたら都心の真ん中から出ている(@_@;)こんなことあるの?ってググったらちゃんと調べている人「呑川源流」がいる(笑)便利な世の中です。

    

最近ニュースになった「下町ボブスレー」でもおなじみ、下町工場で売り出し中の、「大田区産業プラザ」に立ち寄って休憩しようと思ったのですが、4階のレストランのケーキセットは完売、ランチセットはどれもお得ですがちょっと多いかな?と諦めて観光案内所に寄ってざっと拝見しました。素晴らしい資料が沢山揃っているけどどのくらいの方が来るのか?

    

休憩を兼ねてとにかく座ろうと「2月9日オープン」したらしい「ちゃぶまる」というファミレスに入りました。ここまで12340歩。

「フレンチバケット至福のベリーベリー」を注文。30分位かけてゆっくり戴きました。アー幸せ(^O^)/ググったら目的地「八丁畷」まではあと1時間くらい。これなら行けるかも?

    

「雑色(ぞうしき)という駅前にあった東京松下病院はどうなったのかな?何しろ私の胃がんを見つけてもらった恩ある場所ですが、パナソニックが撤退後マンションになっておりました。「まだ生き延びておりますm(__)m」とお礼を申し上げながら懐かしい「雑色駅前」を通過しました。病院もなくなって二度と来ない場所だと思うけど。道中の(笑)写メ、気持ちは分る。

  

箱根駅伝でも有名は「六郷橋」に向かって歩いて行きます。手前に「六郷神社」というのがあるはずで「源頼義、義家が武運長久を祈願し勝利を収めて創建、後に頼朝も勝利を祈願した」とあるのでちょっと期待して、オー鳥居にかかる感じで梅が咲いているし、長い参道が、、、あったのですが

    

どうやら神社併設の「六郷幼稚園」のお迎えの時間とぶつかって(-_-;)山ほどのKIDSとママたちで溢れかえっており、しかも殆どのママさんがチャリで来ているのですが、最近のママチャリはよくよく見ると凄い事になっております。数台とは道でもすれ違ったけど、冬の寒さにも耐えられるように全身を覆うフードが装着されており、小さなマイカーって感じですね。

    

ママたちがおしゃべりに夢中の間に、「六郷橋」の古い欄干の据えてある石を転がしたり(-_-;)この幼稚園は園児310名、1200坪の園庭があるんだそうです(@_@;)ちょっと提案なんですけど、神社側じゃない方にお迎場所作れないんでしょうか?「ここであそんではいけません」って貼り紙も今一だし(-_-;)文化財の未来が心配です。ってか邪魔だし(笑)

      

やっと多摩川にかかる「六郷橋」です。箱根のランナーなら50分位でここまで走ってしまうんですよね(-_-;)強風のテニスコートは閑古鳥が鳴いていた。やっと「川崎宿」に入りました。

        

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東海道中膝OK? 品川宿の残り→川崎 その1「梅屋敷」まで

2016年02月27日 | 東海道53次

東海道散歩初日に最後まで歩けなかった品川宿、今回は鮫洲駅からスタートすることに。まずはビックリしました。

最適な行き方がまさかの田園都市線→大井町線で「大井町駅」から徒歩だったとは!!そう言えば以前「品川水族館」に大井町からバスで行ったけど、結局地理が理解できていない姫です。

第一京浜まで10分位で着きました。途中気になったのは「三菱鉛筆」。これだけが三菱財閥グループじゃないってのが不思議(笑)鮫洲駅に行かないでそのまま西に向かいます。港?

    

ひゃー綺麗な菜の花が堤防に咲いています。素敵な散歩道です。桜が咲いたらもっといいでしょうね。街の地図にも「しながわ花海道」とあります。

    

旧東海道にも古そうなお蕎麦屋さん「吉田屋」さんには季節限定「白魚そば」とあります。

    

坂本龍馬の像があるそうです。なんで?と思ったらペリー来航の際20歳の龍馬がこの辺りにいたとか?「砲台そば」のお店もありました。

    

残念ながら砲台はただいま修理中のようですが、その防護壁にも龍馬です。この「浜川橋」の別名は「涙橋」です。少し行くと「鈴が森の処刑場跡」という事で別れた家族が涙したという。

    

「八百屋お七」が火あぶりになった石とか歌舞伎の世界の様に思っていたけど史実なんですね(-_-;)ここから京急をみながら第一京浜に沿って歩きます。

    

おー「品川水族館」です。この辺りはメープル姫様のテリトリーです。「大森」の馬込の文士村もそのうち歩きたいものです。「美春通り」が旧東海道です。

    

    

確かに「海苔屋さん」が沢山並んでます。「海苔ウォーク」ってのがあるらしい(笑)

    

街並も昔風の木の看板に揃えたりしています。シャッターの浮世絵風なのも定番かな?

    

      

今歩こうと思ったのは「梅屋敷」を通るならこの時期(^O^)/と思ったから、(2年前に梅屋敷は江戸百景歩きできた)梅は確かに咲いているのだけどなんだか元気がない様な気がします。梅も江戸時代からあるのだから年をとっているのだろうけど、とにかく梅屋敷の駅とか周りがずーっと工事中で、絶対に疲弊している気がします。なんとかしてあげて!

          

    

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17年ぶりのサプライズ(@_@;)

2016年02月25日 | 日記

「写真立て」という物はいくつかあってお気入りの写真を入れてあったりもするが、不思議とずーーーーっと写真が入らないまま飾ってあったのに気がついた。

小さな方は可愛い男の子の写真があったのでそのままになっていたが、もう一つは、「Thank You international school Manila」とあるので、マニラ時代に戴いた物らしかった。

写真を入れるにはこの紙は要らないな、、と外して何気なく中をみたら手書きのコメントが(@_@;)なんとミドルスクールのPTAのリエゾン(フランス語:liaisonをした時に校長先生から戴いた物のようです。その時に一度くらい目にしたのかどうか?もう15年も前の話なので記憶がありません。

ちなみにリエゾンというのは語学的には「連音」といってつなげて読むと発音する音があったりなかったり(笑)みたいな意味でよくつかわれるようですが、当時聞いたのは「橋渡し」とか「連絡係」というフランス語らしく、初めて聞いた言葉だったし英和辞書で調べても分らず、英語だけでもいっぱいいっぱいなのに「フランス語かよっ(-_-;)」と思ったりもした。

インド人とドイツ人と私の三人がリエゾンで今思うと、アメリカ人以外のコミュニティーがうまくいくように設けられていたのかもしれない。1年間だったけどとても貴重な体験だったし、他のPTAのメンバーが皆さん暖かかったので楽しかった。この中学の校長先生とは子供たちの野球でも毎週顔を合わせていて、そんな意味でもFRIENDと言ってもらえたのかもしれない。

マニラで暮らして本当にアメリカ人のカード好きにはビックリしました。上手くカードを使うのに慣れているし、素敵!って思いました。参考にしようと戴いたカードは保存してみたがなかなか身につくもんじゃないですね。

    

せっかくだから先日の瀕死のプリンターのご機嫌伺いも兼ねて写真を印刷する事に。

月島から運んできたMP630君はインクは入れずに、スキャン専用にしようってことになりました。電源を入れてスイッチオン、なんとかご機嫌にスキャンをしてくれます。

昔の写真ですが、スキャンして保存してあるのは何枚でもコピーできて嬉しいです。この小さな写真はコトー時代の一番ちびっこチームの可愛かった大好きな写真です。

  

2回もB200エラーから甦ったMG5430君は、もう電源は入れっぱなし。今のところエラーになっていません。先日入れ替えたシアンのインクを認識しないというエラーが出たのですが、ここは慌てず、大好きな「エアーダスター」を振りまいてみます。

「シューーーーーシューーーーーーーシューーーーーー」ってくらい(笑)ほーらちゃんと認識しました(*^_^*)いつパタッツ!とエラーになるのかスリル満点です(笑)

    

選んだ写真は、、なんだか今一つだけど(笑)25年以上前の我が家の4匹の子豚ちゃん達です。暇とか言ってないで写真のスキャンに励もう。

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いろいろまとめてデビューの日(^O^)/

2016年02月22日 | 散歩

世田谷にある「羽根木公園」の梅をみようかな?と思い立った。最寄駅は「梅ヶ丘」らしい。

すずかけ村からは田園都市線で中央林間→「各停」→相模大野→「急行」→「経堂」で各停→「梅ヶ丘」でしたが、早朝に人身事故があって遅延気味という事で乗っている間中じゅう、小田急に謝られっぱなしで却って疲れました(-_-;)

    

「羽根木公園」は駅から100Mの分りやすい場所でしたが、まだ3-4分咲きというところでしたが、それなりに人は出ていました。

    

博多の大宰府天満宮からの「飛梅」が気になっていたけどもう一息でした。「大宰府天満宮」の参道で売っている「梅が枝もち」ってのは本当に美味しく、どこかで九州物産展があったら買いに行こうかな?などと思いながらの梅観賞(笑)「ヒジャブ」をかぶった皆さまも「UMEMI」堪能している?そう言えばテニスコートがあるんだった(^O^)/駅近でいいですね。

    

本日の目的その2は「東急世田谷線」に乗るってことです。「梅ヶ丘」からは静かな遊歩道に沿って歩くと「豪徳寺」という小田急の駅のそばに「山下」という世田谷線の駅があります。

    

    

おー可愛い無人駅です。なのにこの電車の本数には感動します(笑)

          

「世田谷ボロ市」という有名なイベントがあるのですが、寒い時期なのと人込みが凄そうで、未だに行った事がないので「世田谷線」も初めてで是非乗ってみたかったのです。

直結して乗り換えるのかと思ったら一旦外に出て「キャロットタワー」を抜けて乗り換えです。246よく走って何度も見ていたキャロットタワーですが行った事はありません。

    

24階は展望ロビーやレストランになっているようです。行くだけなら無料のようなので行ってみました。ほー沢山の方が普通に食べ物を持ち込んだり、その場で軽食を買ったりして景色を眺めています。あいにくの曇天ですが眺望は悪くない。のですがなんだか居づらさを感じで早々に退却です。500円のソフトクリームは今回はパス。ラングドシャは私的には×かな?

    

    

その3:「二子玉川」の「二子玉川RISE」にある「シナボン」の小さいのを買うという事です。[RISE」にはスケートリンクがありましたが午後からの営業でしょうか?

そうそう小さいのは「シナバイト」というんでした。4個入りで350円です。本日の目的達成にキャロットタワーのおまけも付きました(笑)

    

駅前の東急の「FOOD SHOW」で先日ケンミンショーをみて食べたくなった秋田名物の「いぶりがっこ」と九州野菜のコーナーで見つけた佐賀県産の「人参」を買いました。

ひょっとしてQPマヨネーズCMで福山さんが食べている人参はこれか?とか思いましたが(笑)とても甘くて美味しい。いぶりがっこはクリームチーズと食べるの楽しみ(^O^)/

  

 

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東海道中膝OK?「日坂」→「掛川」  ご褒美は新幹線

2016年02月20日 | 東海道53次

一般のお宅なのに「米屋」という新しい看板が見えたので近づいて行ったら日向ぼっこをしていたおばあちゃんが声を掛けてくれて「金谷から歩いて来ました」と言ったら

「そりゃそりゃ遡って来たずら?大変だったねぇ」

「私は天竜出身、母が島田の神座出身です」と言ったら「あぁちょっと奥の方だね」と話が通じ、お歳を聞いたら右の方は大正14年生まれだそうで92歳との事。

お二人とも日向ぼっこ時には椅子になる(笑)マイカーで移動されるようです。素敵な出会いに和みます。「お元気で」と言われてしまった(-_-;)はい!頑張ります。

   

多分宿場観光の一環だと思うのですが街ぐるみで「屋号」を残して表示しています。ついでに金谷からの「句碑」も、あんまり沢山なのでまとめてみました。

  

「秋葉常夜灯」→「日坂宿本陣跡」→「藤文・蔵」→「川坂屋」→「萬屋」→「高札場」→「成瀬大域碑」と沢山の史跡が残されています。

    

          

んっ?「岡パン」という看板に誘われて中に入ってみました。「有名なのはメロンパン」とのことでちょっとためらいましたが「クリームチーズ入り」とあったので一つゲットしてみました。

それと「ラスク」は「抹茶入り」もあったけど普通の物に、みっちり4枚分の全形ラスクです。ただし、休憩する様な場所は無さそう。

この後掛川まで歩けるとは思えず「事任(ことのまま)八幡宮のバス停の時刻表をみたら?ひゃ~~~~まだ1時間半も待たないとバスが来ません。

    

ちょっと向こうに「道の駅」が見えたのでそこに行って戻ってバスに乗ろうと思ったのですが、見た目よりもずっと「道の駅」は遠く、ふとスマホの地図アプリでググったら「掛川駅まで1時間19分」と出ました。この時点で19,205歩も歩いているので無理かも?って気も半分はするんですが、行くにも戻るにも交通手段がないのです。

えーっそれなら歩けるじゃん。本当に歩けたらご褒美に新幹線で帰るってのもあり(^O^)/ってことにして事任八幡宮をちゃんと見られなかったが残念ですが歩きだしました。

      

しかしここからが大変な旅になりました。どんどん疲労感が出てくるし、足が動かなくなります。靴は合っているのだけど、どこがというと足の裏が痛い。でも一里塚に救われ、

途中立ち止まったらズボンにこんなの付けてきちゃって、、笑えたり、スマホのアプリの時間が減っていくのをみると元気が出ます。

      

突然大音響でロックが掛ったと思ったら、なんと「熱狂矢沢永吉応援団」のたこ焼き屋さんだったり(笑)

      

そしてなんといっても特筆すべきは帰宅の小学生からの「こんにちわ」の挨拶でした。バス停を通るたびに「あと何分でバスが来るから次のバス停で乗ろうかな?」と思ったけど遂に最後の20分位でバスに追い越されても最後まで歩けたのはこの可愛い挨拶でした。バスに乗ったら栄ちゃんも小学生も出あえなかった(笑)

     

もちろん駅前で歩数計をチェック。29,029歩、時刻は16:50。遂に「掛川駅」到着(^O^)/

    

掛川城と街並は、今度車で観に来よう。ちょうど17:00の「こだま」に号に乗れそうです。ジパング倶楽部の書類をささっとさばいて間に合わせてくれたお兄さんに感謝。

    

途中静岡で「ひかり」に乗り換えればもう10分ほど早く着くようですが、一旦座ったのだから立つ気は毛頭なく、でも富士山の夕景が見られたのも本当に嬉しかった。

寝過さないように(笑)ス目覚ましセットして爆睡。新横浜からは想定外のギュウギュウ詰めの横浜線でしたがすずかけ村の駅について29,990歩。歩きだしたら30,000歩でした。

    

本日の反省も活かして次もありかな?次こそは「欲張り発動」しないようにしよう。

お風呂に入り、例のタイガーバームのオイルを塗りたくり、週末はひたすら「よっこいしょ」といいながら痛さをこらえブログを書くほかはWOWOWの映画三昧です。

 

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東海道中膝OK?「金谷」→「日坂」 その3 「広重様の絵碑」

2016年02月20日 | 東海道53次

久延寺から1800mの所に「夜泣石跡」その向かいが「広重の絵碑」とあります。これを目指して歩いて来たようなものです。

    

ずーっと昔はこの場所にあったようです。しかしかわいそうな運命をたどる石。

明治元年(1869)、天皇の東幸の折に、道の真ん中にあっては畏れ多いとして近隣の沓掛の茶屋に移された。

その後、明治14年(1881)に東京浅草で開催された「勧業博覧会」に出品されることになり、東京に運ばれていった。

しかし、その復路、焼津港まで船で運ばれたものの、その先の費用が底をつき、しばらく雨ざらしにされていたという。

後になんとか中山新道まで石を運んだが、急な坂道を上って峠まで至ることができず、小泉屋の裏にそのまま置かれることになったのだとか。

まぁそれはさておき、広重様はこの場所にあった石を入れて浮世絵を書いたのは事実です。これで目的達成(^O^)/この後の恐ろしいほどの「二の曲がり」という急坂、とにかくそれを上らなくて済んだだけでも良しとしよう。ってほどの坂です。京都から江戸に向かう旅人は登らねばならないってことですよね(-_-;)

      

平地までもう少しという辺りの神社、農家の方の軽トラはこの道を登っております。見えてきました!「日坂バイパス(国道1号線)」です。

  

その前になんともう一つの広重様の絵碑が!!これは「狂歌入り 東海道53次」というシリーズです。元気が出ました。この向こうが「日坂の宿場町」です。

    

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東海道中膝OK?「金谷」→「日坂」 その2 菊川宿→小夜の中山 急勾配(-_-;)

2016年02月20日 | 東海道53次

下が菊川でかかる橋は「高麗橋」実はここからが「青木坂・箭置坂(やおき)坂」といわれる坂道の始まり(-_-;)その急こう配って、、、半端ない(笑)

     

道端にミカンが落ちているけど、近くにミカンの木がない?と思ったらずーっと上の方に発見(笑)坂なので転がるしかないですね。暑くてウルトラダウンは脱いで腰に巻きました。

    

東北に一緒に行って金色堂周辺のこんな坂道歩いた時に瑞姫がジグザグに登って行って「おぬしは『くの一』か?」とかはしゃいだ事を思い出しました。で、ジグザグに歩いた(笑)

    

見渡すばかりの茶畑がいつの間にか同じ目線になって来たってことは、上って来たってことですかね?製茶工場が沢山並び、この辺りは「茶草場の里 日坂」という世界農業遺産?

    

道しるべはとにかく嬉しいものです。やっと平たんな場所に出て、「接待茶屋跡」の向いが「久延寺」です。

そもそも「小夜の中山には、「夜泣き石」伝説が残されています。 その昔、久延寺に安産祈願にきた妊婦が中山峠を越える途中、山賊に襲われて殺されてしまいました。お腹の切り口から生まれた赤ん坊を助けるため、母の魂はかたわらの石にのり移って泣きました。泣き声に気づいたお寺のお坊さんに拾われた赤ん坊は、お乳の代わりに水飴を与えられ、大事に育てられました。そしてその子供は立派に成長し、母の仇を討ったと云われています。

夜泣き石は現在小夜の中山トンネル脇に据えられており、伝説ゆかりの久延寺にも似た形の石がまつられています。というのが基本情報です。

    

    

この向かい側が「小夜の中山公園」で西行の歌碑「年たけてまた越ゆべしと思いきや命なりけり小夜の中山」などがありますが、とても中を歩く気にはなれず。それより私が気になったのは「鈴木康夫所有地」という新し目の石柱(笑)

    

夜泣き石の伝説にちなんで生まれた「子育て飴」は、もち米と大麦を原料にした水飴です。口に入れると優しい甘味のひろがる昔懐かしい味わいは、小夜の中山名物として親しまれています。 子育て飴は、小夜の中山トンネル脇の「小泉屋」と久延寺近くの「扇屋」で現在も昔ながらの製法でつくられています。

とありますが「扇屋」さんは平日はお休みです。開いていると水あめを箸に巻いて売っているのかな?子供のころから母の実家のテリトリーなので「掛川駅」で売っている水あめはお土産の定番で、私の子供達も小さなころには食べた事があるのを覚えているというソウルフードです。今回は買って来る予定はなかったけど、サイトをみたら食べよい固形になったり、ソフトクリームにもなっているようです。今度はこれを買いに行く!

観光協会の方の言っていた「バスの時刻表」を発見しました。平日は3本だけですが、この時には掛川までの事など頭に入らないほど疲れておりました。

    

途中「夢灯」という看板が「浮世絵美術館」らしく覗きに行ったのですが「週末だけ営業」なのにドアは開いており、どなたも出なくて(-_-;)みられませんでしたがいいんですかね?

    

「小夜鹿の一里塚」→「神明神社」→「白山神社」→「馬頭観世音」→「涼みの松」まで茶畑を見下ろしながら歩きます。途中で車が停まった。「乗せてくれる?」んじゃなくて「静岡空港へはどうやって行くだいね?」とおじちゃん達に尋ねられても、、ググる余裕もなく「ナビついていませんか?」といった「あるけど間違えた(-_-;)」ってすいません自分で探して下さい(笑)

    

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東海道中膝OK?「金谷」→「日坂」 その1 金谷駅→菊川宿 石畳に泣く

2016年02月20日 | 東海道53次

「熱海」9:37発東海道線「島田行き」→10:38「清水」→乗換「浜松行き」→10:47「金谷」着です。昨年歩いた由比や薩埵峠、懐かしいです。60歳になってやっと静岡県民になった。

東海道線はこの時間だと僅かに3両編成。大井川はいつ見ても広い(^O^)/

    

「金谷駅」に着いてまずは「多目的トイレ」を利用。通常のトイレは和式だったのと、他に人もいなかったので「多目的・多機能トイレ」を使わせていただきました。先日「徹子の部屋」で中井美穂さんの話を聞いてびっくりした「オスメイト」も完備です。しかも中井さんは人工肛門装着期間中にも「世界陸上」などの仕事もちゃんとこなしていたというのには感服しました。

私も胃がんの手術後に合併症で一時「人工肛門」になる可能性もあったので他人事じゃないです。世界遺産の中尊寺の遊歩道のトイレにも多機能トイレがあったなぁなど思い出したり。

「観光案内所」は思った以上に「東海道」に重きが置かれており、シメシメ。島田地区は亡き母の故郷なので思い入れもあります。ここから万歩計もスタートです。

    

地図をもらい説明して下さった親切なスタッフさんのお言葉「石畳からは自販機とかも無いから飲み物は持って行ってね」「鹿とか熊とかは出ないから大丈夫です」「日坂までは順調に行っても3時間はかかるよ」「この辺りがきついけど後はそうでも無いよ」「扇屋のおばあちゃんが書いてくれた掛川行きのバスの時間に合わせて歩いたら」

これらの言葉を実感するのは数時間後の事でした(笑)

階段を下りて一里塚を確認して、駅の反対側に出て一本道を行くと国道を渡るようになります。ここからが「旧東海道石畳入口」です。なんでも平成13年に市民が頑張って昔の石畳を復活させたとか?

    

前回の「飲まず食わず休まず」の失敗を踏まえて今回はちゃんと食べて休みながら行こうと思い、歩きだしたばかりですが「石畳茶屋」で昼食を取りながらパンフレットをしっかり読む事にしました。ハンバーグ定食ご飯2口を注文し、サツマイモだけ持参の袋にしまって一応完食、人参サラダが美味しかった。1,080円也。

    

「小夜の中山峠周辺案内」の表紙は広重様の東海道53次の「日坂」でございます。広重様の浮世絵のモデルになった場所があるようでテンションが上がりますが、「中山峠は箱根峠、鈴鹿峠と共に、その険しさを持って東海道の三大難所を言われていました。、、って書いてある(-_-;)えーーーっ?知らなかったよぉ。

    

「鶏頭塚」「庚申塚」を過ぎて赤い旗が賑やかな「すべらず地蔵尊」お笑い芸人さんが来るのかな?杉木立の中の石畳、風情たっぷりです。この位なら、、なんとかなりそう?

            

 「金谷坂」が終わると一旦平地に出ますが、それはどこまでも広がる茶畑の真ん中です。

「芭蕉の句碑」は「野ざらし紀行」のもの、「明治天皇御駐輦阯(ごちゅうれんし)」などがあって「諏訪原城址」です。

が、気になったのは「アルム」という喫茶店でした。自家製のコーヒー豆の販売もしているようです。庭の大きな木がインパクトがあります。

    

ここで石畳は終わらず、下りに入ります。まさか石畳の下りがこんなにキツイとは(-_-;)遠くの山に「茶」の文字が見えます。白梅と青空素敵です。

    

この辺りは江戸時代からのままの「菊川または菊坂」という石畳のようです。ここを広重様も歩いたのだと思うと感無量。椎の実やドングリが落ちている道は「萌え」ます。

    

最後は急こう配でとにかく転ばないように下をみてなるべく大きな石を選んで足を運びました。やっと平地に出ましたが、まだ下り石畳が続きます。梅見も出来ますが、、

    

やれやれ、やっと「菊川の里」です。ここは宿場でも「間の宿」といわれるものです。菊川は菊石が名前の由来になったのかな?「菊川の里会館」は平日のせいか閉館でした。

    

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