久延寺から1800mの所に「夜泣石跡」その向かいが「広重の絵碑」とあります。これを目指して歩いて来たようなものです。
ずーっと昔はこの場所にあったようです。しかしかわいそうな運命をたどる石。
明治元年(1869)、天皇の東幸の折に、道の真ん中にあっては畏れ多いとして近隣の沓掛の茶屋に移された。
その後、明治14年(1881)に東京浅草で開催された「勧業博覧会」に出品されることになり、東京に運ばれていった。
しかし、その復路、焼津港まで船で運ばれたものの、その先の費用が底をつき、しばらく雨ざらしにされていたという。
後になんとか中山新道まで石を運んだが、急な坂道を上って峠まで至ることができず、小泉屋の裏にそのまま置かれることになったのだとか。
まぁそれはさておき、広重様はこの場所にあった石を入れて浮世絵を書いたのは事実です。これで目的達成(^O^)/この後の恐ろしいほどの「二の曲がり」という急坂、とにかくそれを上らなくて済んだだけでも良しとしよう。ってほどの坂です。京都から江戸に向かう旅人は登らねばならないってことですよね(-_-;)
平地までもう少しという辺りの神社、農家の方の軽トラはこの道を登っております。見えてきました!「日坂バイパス(国道1号線)」です。
その前になんともう一つの広重様の絵碑が!!これは「狂歌入り 東海道53次」というシリーズです。元気が出ました。この向こうが「日坂の宿場町」です。