誰しも若いうちは、大きな望みを持つものである。
それが金持ちや社長であったり、ときとして政治家や学者を夢見ることもある。
菊池寛の小説に『末は博士か大臣か』と言う言葉があるが、昔は出世の代名詞でもあった。
今では大臣や博士の数は掃いて捨てるほど居るが、出来れば成りたいものの一つにちがいない。
薬剤師である私が、数年前、医学博士の称号が授与された。
これは学校卒業当時、考えてもいなかったことである。
私は元来、要領を旨として学園生活を送って来たので、
薬剤師国家試験が合格する程度しか勉強していなかったし、研究には興味も意欲もなかった。
その私が学位修得に興味を抱かせたのは、公務員になって研究機関に配属され、
多分に対外的ジェスチャーの必要性を痛感したからに他ならない。
それと同時に、先輩の食品監視員Aさんが、東京での長期研修から帰り、
「東京や神奈川の研究所には、学位を持った人ばかりである。」と報告していた。
それに比べて「我が県には一人もいなくて」と言うような話を聞くに至って、
若かりし青春の血潮は逆上し、学位修得への願望を強くしていった。
しかし学位を取るにも田舎の県に勤めている私が、
どのような方法で取れば良いのか、まず、その手法の研究から始まった。
当時、薬学の学位審査権(博士号を出せる大学)がある大学は、
近県で京都、大阪、福岡にしかなく、仕事を持っている私は、遠方過ぎて不可能に近かった。
(現在では、関西地方、中四国地方、九州地方の薬学部のある大学で可能)
ちょうどその時に同窓のK君が製薬会社のプロパーをしていたので相談すると、
彼は即座に◇◇大学医学部第二内科の新鋭学者、
YT講師(現○○県ガン検診センター名誉所長)を紹介してくれた。
先生は遣っている仕事柄、同級生のB助手がいる公衆衛生教室を紹介して下さった。
そして早春のある日、B助手に連れられて、
公衆衛生教室の主任教授・福井忠孝先生の部屋に、恐る恐る入って行った。
この部屋は一般教授室とは異なり、ゆったりした広い部屋に、古風な机とソファが置かれ、
教室の絶対権限を持つ医学部教授にふさわしい部屋だった。
先生は金ブチのメガネの奥で、鋭い眼光を向けて観察していた。
若き私は小刻みに震えながらも先生の門下生となって、
公衆衛生の研究をしたい旨、熱心に説明した。
先生はかすかな微笑を浮かべながら、
「専攻生として許可しましょう。今の気持ちを忘れずに、しっかりやって下さい」と、
ただ一言いって外に連れていくよう、B助手に目で合図をした。
最初は何と冷たい教授だろうと思ったが、それよりも心は入局出来た喜びの方が大きかった。
しかし実は、福井教授は温厚で気取る事無く、部下思いの先生であることを後で知り、
人は見掛けによらぬものだなあと、つくづく思ったりもした。
また先生は『疲労と栄養』においては、日本の指導者的存在で、
世界的にも名の通った大学者であると聞きおよび、再度、私の心を驚かした。
公衆衛生教室の教室員は殆んど医者であり、
その中に3~4名の薬学出身者がおり、肩身の狭い思いであった。
しかし教授や医局員は外様にも気を使い、何の心配もなく研究生活が送られた。
ところが突然、昭和56年の始め、先生は◇◇大学での在任期間を残して、
国立栄養研究所長に栄転が決まり、私の学位修得も予定より少し遅れることになった。
そしてその後、先生には大変心配もして頂いた。
しかし先生の育てたTM助教授が、
公衆衛生教室の主任教授に選考され、教室員一同、一安心した。
医学部の教授選は小説やテレビでよく在るように、生臭い戦いが展開されるのが通例だが、
何とかTM助教授がスンナリ教授に決った背景には、先生の業績もさることながら、
福井先生の行政手腕によるところが少なくなかった。
先生は常に門下生に対して、『研究と学位は、切り離して取り扱うべきと考える。
研究の成果が人類の為に成るものである時、学位の称号が与えられるべきであると考える。
教室で研究に従事する人達は、自分と同じように人類の幸福のため、
各自の尊い人生の時間を捧げている者と考え、同志的愛情を持ってやっている。
教室において、研究者達の手助けを、一生懸命やってくれる人達は、
単に月給のために労働を提供しているとは考えない。
人類の幸福のために行われる研究に、協力してくれる尊い人達であると思い、
いつも敬愛と感謝の気持ちを持っている』という、嵩高な理念で接して頂いた。
私は昭和56年1月、『サッカリンの微量分析法とヒトにおける尿中排泄』で、
◇◇大学から医学博士の学位が授与されたが、
つくづくよき指導者に偶然にも巡り合えたという思いで一杯である。
それと同時に、大学卒業時に、全く考えてもいなかつた学位修得は、
幸にも研究所という職場に配属になり、食品監視員A氏の苦言により、
若き情熱を傾ける決意をした事を思う時、
上司及び先輩や苦言を呈して頂いたA氏に、ただただ感謝の念で一杯である。
しかし私には『成せばなる、成さねば成らぬ何事も』という諺が、
身にしみて感じる今日この頃である。
尚、福井忠孝◇◇大学名誉教授は、昭和57年3月、国立栄養研究所長を退官され、
現在77歳の喜寿をこえ、なお財団法人動脈硬化症研究所長として、学研の生活を送っている。
また、昭和58年4月には、永年の先生の業績が認められ、勲二等瑞宝賞が授与された。
(○○県▽▽会誌、1987・3・15)
*先生は平成12年8月に、90歳で永眠した。
●「レトロ写真館」⑯ コンスタンチヌス凱旋門 (ローマ)
熱心に勉強されたのですね。
社会人になってから、勉強するというのはとても難しいですね。
余程の新年がないと、続きません。
あとは、必要にかられないと。
私は何の資格もありません。
普通免許だけ。
情け無い。
本当に社会人になってから勉強をするのは大変です。
家庭を持ってからでは家族の理解が一番ですね。
すばらしい。頭が下がります。
努力されたのですね。立派です。
誰でもチャンスさえあれば取れますよ。
まあ今じゃあアクセサリーのようなもので、博士浪人が一杯います。
サッカリンが尿中に排泄される量の分析¿??
それにしても科学者の研究は、緻密で根気がいる仕事ですね。でも、それが実用化される時に努力が報いられて嬉しいことでしょうね。
気分転換に梅の花でもどうぞ!
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