ゆるゆる素浪人の「気まぐれ日誌」~ 自己満足とボケ防止に、人生の雑記帳~  

そういう意味で老人の書いた「狼の遠吠え」、いや「犬の遠吠え」と思い、軽い気持で読んで頂けば有り難いです。

「インターネット随想」(42) 連載カドミウム汚染米物語①

2012-09-30 06:00:00 | エッセー

このドキュメンタリーは昭和40年代の食品公害、環境公害が叫ばれ出した初期の物語で、

今は法的にも確立し、手法も迅速に対応でき、

透明性のある科学行政に変わっているので、そのつもりでお読みください。

なお長編物語ですので5回に分けて連載します。

 

昭和45年の秋の気配が漂い始めた、ある昼下がりのことである。

上司A課長が収穫されたばかりの一握りの玄米を持ってやって来た。

「この米は、○○県のB地区から取れたもので、

安全と思うが念のためカドミウムの検査を頼むよ」

ポンと実験台に置いて出ていった。

 

当時、富山県神通川流域で発生したイタイイタイ病を始め、

全国各地でカドミウム汚染が多発していた。

しかし食品衛生を担当していた私は、本県ではカドミウム汚染など皆無であろうと思い、

カドミウム分析法は検討していなかった。

しかも無機金属を試験する新鋭の原子吸光分析器は、当研究所に設置されたばかりで、

その機器の取扱も不慣れで、かつ、カドミウム分析法の確固たる成書もなく、

先進研究所に聞きつつ、手探り状態で実験しなければならなかった。

 

そのようにして、なんとか玄米中のカドミウムを分析することが出来たが、

当時の暫定規制値、0.7ppmをはるかに越えた数値に、私もA課長も驚いた。

私は幾度となく実験を繰り返したが、同じ結果であった。

A課長が念のためにと持ち帰った一握りの玄米が、2カ月後に県議会をも巻き込む、

カドミウム汚染米事件に発展しようとは、この時、誰も予想しなかった。  (つづく) 

                 (○○県○○会誌、1985.10.1) 

●思い出の写真から(78)  高知周辺①  

○高知城

○桂浜

○龍河洞①

○龍河洞②

 


安倍自民党新総裁決まる

2012-09-27 06:00:00 | 政治・雑感

 次の総理に成るであろう自民党総裁選挙が、昨日行われた。

この選挙は筋書きの分かったドラマだと言う人もいたが、

結果が確定するまでは、犯人の分かった推理ドラマより面白かった。

 

第一回目は5人の候補者の中から、人気の石破氏が1位、2位に安倍氏となり、

両者とも過半数に予想通り届かなかった。

まあ尖閣や竹島問題が起こり、国民は安定した強い政治を望み、

今より右傾色の強い安倍氏や石破氏に支持が集まったのだろう。

 

第二回目は40年ぶりの国会議員だけの決選投票と成った。

これも安倍氏が108票、人気の石破氏が89票で、予想通り石破氏が逆転負けして、

安倍氏が初の自民党総裁として再登場となった。

この原因は石破氏が過去に自民党離党の経験があり、

古い国会議員の支持が得られなかったからだろう。

 

当初から私が予測した通りの筋書きに成ったが、(9月16日付ブログ)

野田総理にとっては安倍総裁が5人の中で、一番手ごわい相手かもしれない。

ともかく国民は早く解散を願い、決められない政治からの脱却を望んでいる。

 

●思い出の写真から(77)  初めての東京見物(昭③  (和39年)

○皇居

○靖国神社

○上野動物園

 


「インターネット随想」(41) 連載残留農薬物語・最終編

2012-09-25 06:00:00 | エッセー

昭和40年代の残留農薬問題は食品汚染、環境汚染という観点で、

華々しく社会に登場した。

昭和50年代は暫らく鎮静化していたが、

昭和60年代に入ってからは、貿易摩擦に伴う食品の自由化の波の中で、

残留農薬の国際基準という新たな視点で、国際政治の渦の中に登場してきた。

 

そして日本における食品中の残留農薬基準は、

昭和43年に初めて3食品に5農薬の基準が定められて以来、

幾多の変遷を経て現在(2001.3.311)までに、

130食品に258農薬の基準(他に8食品に3農薬の暫定基準)が設定されている。 (完)

            (○○県○○会誌、1986.7.10)

 (参考)

昭和43年に僅か3食品に5農薬の基準で出発した農薬規制は、

それ以後の残留農薬基準は安全性と国際流通を考慮して、

平成15年にデポジットジット制が導入された。

すなわちデポジットジット制とは基準が設定されていない農薬でも、

一定量以上含まれている食品の流通を原則禁止する制度である。

 

現在(2012年)ではデポジット制の導入により、

あらゆる農産物に先進国並みの約1,300種の農薬が規制され、

安全性は勿論、国際流通問題にも対応できるようになっている。

また日本の野菜や果実等には農水産省が農薬や散布時期を厳しく規制して、

より食品の安全性は確保されている。

 

●思い出の写真から(76)  初めての東京見物② (昭和39年)

○浅草寺・宝蔵門

○靖国神社

○皇居・楠木正成像

 


先週の「脳トレ」尻取り川柳から(219)と「民主、自民の代表選挙」

2012-09-22 06:00:00 | 雑感・川柳

大方の予想通り民主党代表には、野田総理が2/3近くの圧倒的大差で再選された。

そのあと壇上で4人の立候補者は、恒例のノーサイドで行こうと笑顔と握手で終わったが、

選挙中の討論を聞いていると、野田総理と3人とは水と油の感じが強かった。

これ以上民主党が泥舟に成って沈没しないよう祈ろう。

 

一方5日後の24日には、次期総理が濃厚な自民党総裁が決まる。

第一回投票では国民的人気の高い石破氏が優勢のようだが、過半数までには至らず、

国会議員だけの第二回目の決選投票で決まりそうだ。

 

再び大胆予想を書けば、まず石原氏は谷垣氏との対応、尖閣問題など負の要因が強く、

林氏は次期総理の実績作りを目指し、町村氏も出馬はしたけど病気が露呈し圏外へ。 

結局は地方に強い人気の石破氏、

長老国会議員に強い安倍元総理の一騎打ちの公算が強い。

お互いの負の要因を書けば鋭い目つきの石破氏は、過去に自民党離党の経験があり、

安倍氏は強い保守色と病気で総理を退陣した経験がある。

私としては弁舌鮮やかな理論家の石破氏に、一度遣らして見たい気がするが、

長老国会議員に強い安倍氏が、接戦を制して勝利するような気がする。

 

さて先週の「しりとり川柳」ですが毎朝の貴重な1時間弱を使い、

朝ドラ「梅ちゃん先生」をバックに約15句詠み、お遊びの「頭の体操」に励んでいる。

 

今週は政治と日常生活を詠んだ句が多く成りましたが、

マンネリ化して粗雑になり、川柳と言うより下句を使った直感の短文に成りました。

努めてユーモアとウイットに富んだ句を心がけていますが、

技術者だったので理屈ぽく、諸に心情が表れた気恥ずかしい句もあります。

その日に詠んだ好きな愚作に○印を付けてみました。笑読ください。

●無さ過ぎる 今の政治家 信念が

●国のため 民の嫌がる 決断も 

●いつまでも 派閥が顔出す 自民党 ○

●政治屋は 言行不一致 当たり前

●焦らずに 次の総理を 目指します

●道筋に 疑問があるよ 消費税

●そんな党 国民迎合 要らぬのに

●見っとも無い 無秩序デモの 中国は

●事なかれ 日本の役人 いつもです 

●待てという しかし家宝は まだ来ない ○

●熱射病 いつの間にやら 風邪注意 

●今は賭け 貴方に託す 幸せを ○

●良いものを 良いと言えない へそ曲り

●食べちゃった 据え膳食わぬ バカはなし

●怠け癖 ついてしまった オイお茶を

●ラジオには テレビに勝る 災害時 

●すぐ忘れ 友から借りた 昼食代

●歳に成り やっと気づいた 親の恩

●婆さんが 色気出したか 若作り ○

●正座して 家族団らん 懐かしい

●歯痛も 何するものぞ サラリーマン

●哲学よ ケチで通すは 我輩の

●動かない 女房に代わり 主夫をやり ○

●バカはバカ 言わすもがなの 御曹司

●これだけは 止めて欲しいよ 浮気癖

●泊めてよね 終電遅れ 口実に

●拷問よ 酒とタバコを 止めよとは ○

●幸運が 来るまで買うよ 宝くじ

●田圃には たわわに実る 稲穂かな 

●ファミレスで 月に一度の 豪華版

 

●思い出の写真から(75)  初めての東京見物① (昭和39年)

○浅草寺・本堂

○国立博物館・上野周辺

○東京タワー


「インターネット随想」(40) 連載残留農薬物語⑤と県民満足度9割以上

2012-09-19 06:00:00 | エッセー

どこの県民も自分の郷土に愛着を持つのは当然だが、

時事通信と四国新聞による「香川の郷土愛」・世論調査が掲載されていた。

それによると郷土に満足を感じる県民が、何と9割以上、

災害が少なく温暖なところがよく、交通環境、水事情に不満を感じている。

私も確かに毎年繰り返される渇水と文化施設の貧弱さに不満を抱くが、

まあ良き郷土に住んでいると満足している。

 

さて自己満足で書いた連続残留物語⑤を続けよう。

 ちょうどその頃、農薬にまつわる話として忘れ得ぬもう一人の記者がいる。

その記者は本県担当で毎日新聞の早瀬圭一記者である。

そのとき彼はまだ若く活動的であり、特に公害関係の報道に力をいれていた。

上司B課長も「時の人」に「公害を守るGメン」として、写真入りで掲載されていた。

 

ところが或る日、早瀬記者がどこから聞いてきたのか知らないが、

私共の研究室で母乳中の農薬汚染調査をしていることを聞きつけやって来た。

当時、その影響の大きさから厚生省は秘かに母乳汚染研究班を組織して、

全国の母乳中の残留農薬やPCBの汚染調査を実地していた。

その為に発表は全国一斉に国が行うことになっていたので、

早瀬記者の対応を上司B課長に委ねた。

 

早瀬記者は巧みな話術で、母乳汚染の実態を聞き出すことに躍起になっていた。

私もその場にいたが、実に記者魂しいの典型で粘りに粘って、

ついに慎重なB課長から、母乳汚染のデーターの一部を聞き出すことに成功した。

翌日、朝刊の地方版は母乳汚染が大きな活字で報道され、

しばらく県内では高濃度母乳汚染の記事が続き、行政当局は対応に苦慮した。

 

あの熟考型のB課長がつい口をすべらしてしまったのは、

巧みな早瀬記者の話術によるところが少なくないが、それよりも『公害Gメン』として、

好意的に報道してくれた、お返しの発言ではなかったろうか。

今では早瀬記者は毎日新聞本社で論説委員として、また文筆家として活躍しており、

昭和57年には『長い命のために』で大宅壮一ノンフィクション賞、

昭和58年には女性刑務所の日々をあつかった『長い午後』でドキュメンタリー賞を、

現在(平成24年)は北陸学院大学副学長・教授として活躍している。

 なお早瀬圭一記者は、当時から頭の回転の早い卓越した新聞記者であったが、

今も彼の名前が出るたびに、苦しかった残留農薬問題を懐かしく思い出す。 (つづく)

                  (○○県○○会誌、1986.7.10)

 

●思い出の写真から(74)  宇高連絡線 (瀬戸大橋開通により昭和63年廃止)

○高松桟橋

○宇高連絡線・讃岐丸