ゆるゆる素浪人の「気まぐれ日誌」~ 自己満足とボケ防止に、人生の雑記帳~  

そういう意味で老人の書いた「狼の遠吠え」、いや「犬の遠吠え」と思い、軽い気持で読んで頂けば有り難いです。

35年前の「台湾への誘い」から(Ⅱ)

2012-02-24 06:36:56 | 雑感・旅行
今日は前回に続き「精緻なるロマンを求めて」から、
35年前に初めて海外旅行で台湾へ行った時の見聞録(Ⅱ)(大阪→台北→高雄)です。。

●「台湾への誘い」(二)                                                              
Ⅰ.大阪→台北へ

 午前9時大阪国際空港に、さっそうと5人衆が勢揃いしたと書けば、格好良いかもしれないが、
旅慣れたA氏やB氏の中に、私や、H、K、T氏が一抹の不安を残しつつ、出国ロビーに近づいていた。
まず例によって外貨交換窓口で米ドル(当日の1ドルは250円)に交換し、
手荷物検査、税関、出国審査を経て、日本アジア航空のボーイング機に乗りこんだ。

 この480便は、ほとんど日本人乗客で占められており、まだ見ぬ異国の地にロマンを求めてか、
乗客の声は一段と高かった。
快晴の大阪伊丹空港を定刻の午前10時40分、静かに離陸していった。
大阪湾を横切って高知上空から鹿児島半島を経て、一路、台湾目指して東シナ海を南下していった。
 
 このボーイング機は350人乗りで、機体の重さの3分の1以上は燃料のケロシンで占められ、
富士山の約3倍、1万メートル以上の上空では零下30度の氷霧のなかを進んでいると聞きおよび、
驚くことしきりである。
機内の温度は20度、気圧は少し低めに調節され、気流も安定しており、
とても東シナ海の上空を飛んでいるとは感じさせない。
ふと横を見るとH、K、T氏が新聞を読んで平常心を装っているが、
その顔には期待と不安に満ちた、心の動きが窺えた。
            
 日本との時差は1時間である。
しばらくして台湾人らしき美女のスチヤーデスが、ステーキや日本ソバの豪華な食事を運んでくる。
飲み物は日本酒、ウィスキー、ビール、ブドウ酒と何でもあり、お好みのアルコールが楽しめる。
ここぞとばかり水割りとビールを飲んでいくうちに、酒のまわりの早いことこの上なし。
こんなにアルコールが弱いはずではなかったのにと思っみても後の祭りで、
それも機内では金属劣化の関係で気圧を低めているとかで、
アルコールのまわりも2~3倍早いとのこと。
赤く充血した目はウサギにも似て赤かった。

 突然アナウンスがあり、中正国際空港(現台湾桃園国際空港)に着陸するとのこと。
大阪ー台北の所要時間の2時間40分が過ぎたが、アルコールのために時間の経つのが早かった。
しかも帰りは季節風の関係で、更に1時間ほど短縮されると知り、自然の力の強さを改めて認識させられる。
いよいよジエット機は異国の中正空港に定刻の12時、着陸体制に入っていった。

●阿美文化村(アミ族の踊り)


Ⅱ.台北→高雄
 中正国際空港は完成したばかりの新しい空港である。
日本のように空港反対もなく、僅か2~3年ですんなり完成したと聞き及び、軍政の至らしむる所と痛感する。
例によって入国手続きの為のゲートに向かったが、
その距離は長く幾つものエスカレーターを乗り継いで、やつと辿り着いた。    

 そこでは他国では見られぬほど、きびしいチエックが要求されている。
特に台湾人の税関チエックは厳しく、恐らく日本から買って来たであろう物品を、
調べられている若い女性が目に付いた。
我々5人組もボストンバックを開いて点検されたが、観光客のためか思ったより簡単に終わった。
しかし夜の楽しみの為とA氏の音頭で買ったマンガ類は、すべて没収された。
台湾へは週刊誌の持ち込みが禁止されているとは聞いてはいたが、
マンガまで没収されようとは、全員嘆く事しきり成り。
勇敢にもA氏が「コレ裸ノ写真ナイ」と反抗しても、若い女性の検査官は「ダメ、ダメ」と冷たく拒否した。

 入国手続きを済まし空港ロビーに出ると、そこには一人のハンサムな台湾の青年が待っていた。
旅行社のB氏とカタコトの中国語で挨拶した後、これから色々お世話になる李氏であると紹介してくれた。
直ちに2台の外車に分乗し、台北市内に向かって走り出した。
ところが、李氏がカタコトの日本語で「カバンワスレタ」といって、突然空港にUターンする。
この外車はロールスロイスで、一台2千万円は下らぬという高級車で、
時速160㎞の猛スピードで引き返すのには魂げてしまった。
しかし車は安定しており、恐怖感はなかった。         

 空港に忘れたカバンは見当たらず、再び台北市内に向かった。
その車の中で「日本円で50万円グライ落トシタ」とポッリと李氏が語る。
李氏の顔には困惑の色が窺えたが、さしたる動揺は感じられない。
高級車を乗り回し大金を落としても平然としている李氏とは、一体どんな人物なのか興味を覚えた。
 
 車の少ない広い道路を160キロの猛スピードは、
40分で台北市内の翠月という喫茶店風のスナックに到着した。
そこには長身で初老の日本語の上手い台湾人がいた。
B氏はこれからの台湾旅行に同伴してくれる、李氏のお父さんであると紹介した。
更に日本円と台湾元との交換を薦める。
李氏から私達に古びた台湾の紙幣が渡されたが、李氏の周辺が徐々にではあるが解ってきた。
しかしこれだけで2台の高級車を乗り回せる身分であろうか。まだまだ、李氏への謎は続く。

 30分ほど休憩しただろうか、再び李氏の外車で国内線用の松山空港に案内された。
そにはサングラスをかけ、美しい中国服に身を被い、手にはダイヤの指輪、
ふっくらと膨らんだ胸元にはキラリと光る宝石の女性が、私達を待っていた。
日本語は話せないが年の頃なら27~28歳、鼻筋の通った丸顔の肌の奇麗な彼女は、いったい何物であろうか。
お父さんと中国語で一言、二言話した後、私達と高雄まで同行してくれることになる。
この貴婦人は『李氏の愛人ではなかろうか?』などと、よからぬ噂をしながら、
我々5人組に謎の女性が加わって、ますます興味深い旅行になっていった。(つづく)

●宝覚寺・大仏(台中)


最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2012-02-24 08:39:23
なんか謎めいた人物が次々と登場しますね。ロールスロイスが出てきたり、鞄を忘れたり。ハプニング続出ですね。漫画本没収も今じゃ考えられないですね。面白い。
返信する
私は (TAKAOSAN)
2012-02-24 15:36:20
こんにちは
昨年、夏に二度目の台湾に行きました。
今回は松山空港でした。
最近は、松山空港も再国際空港化しているようです。空港の改良工事中でした。
台北市内からの近くて便利ですよね。
返信する
今晩は~♪ (鉄ちゃん爺や)
2012-02-24 20:35:32
1ドルが250円ぐらいでしたか。

娘が平成9年にハワイで結婚した時は
確か1ドルが125円ぐらいで交換したかな。

それが今じゃ80円前後とは驚きですね。

35年前と言えば台湾は男性天国の時代でしたかな?

台湾は反日の運動がないので日本人には
安心して旅行できる国の一つですね。

当時ならお年寄りは日本語を喋れる現地の方も多かったのではないですかな。

返信する
Unknown (まるこ)
2012-02-24 23:15:19
機内は気圧を低めているのでアルコールのまわりが2~3倍早いのですね。機内ではアルコールは飲まない方がいいとよく聞きましたが理由が分かりませんでした。

ミステリーを読んでいるような興奮を覚えました。次回が楽しみです。(^^)/
返信する
1ドルが250円かぁ。 (kikuko0917)
2012-02-25 06:41:19
一ドルが250円やったんや。凄い安かったんやねぇ。
飛行機に始めて乗ったんは東京~大阪。
たった一時間弱の時間はやったけど・緊張の連続。降りた途端にトイレに行きたくなったんを覚えてます。
台湾は日本語教育をしたんでしょう。なんだかねぇ。
ミステリーの様な男性と女性。さぁ~次回は。(笑)
返信する
unknownさんへ (クロやん)
2012-02-25 08:59:17
いや実際の話ですよ。
冬至原稿依頼は初めてで、張り切って少しサスペンスを意識して書きましたが、果たして結末は・・・
返信する
TAKAOSAへ (クロやん)
2012-02-25 09:06:06
中正空港は蒋介石を意味し、今では台湾桃園国際空港に変わっていますが、当時は出来だてのホヤホヤでしたね。
松山空港は国内線専用で・・・
台湾へは近くで3回ほど行きました。
返信する
鉄ちゃん爺やさんへ (クロやん)
2012-02-25 09:10:38
当時は海外旅行が増加し出した一ドル250円前後の時代、台湾は男性天国でしたね。
初の海外へのチャレンジでした。
返信する
まるこさんへ (クロやん)
2012-02-25 09:15:30
アルコールの件はそうらしいですよ。
何分初の海外旅行で興味しんしんでした。
団体の会誌からの原稿依頼で、張り切って書いたことを思い出します。
返信する
kikuko0917さんへ (クロやん)
2012-02-25 09:21:14
ちょっと思わせぶりに書きすぎたかな。(笑)
海外旅行が増加し出した頃で、安い給料を貯めて行きました。
何分好奇心が強かったので・・・
返信する

コメントを投稿