ゆるゆる素浪人の「気まぐれ日誌」~ 自己満足とボケ防止に、人生の雑記帳~  

そういう意味で老人の書いた「狼の遠吠え」、いや「犬の遠吠え」と思い、軽い気持で読んで頂けば有り難いです。

先週の「脳トレ」尻取り川柳(214)とオリンピック始まる

2012-07-29 05:00:00 | 雑感・川柳

いよいよオリンピックが開会したが、

昨日は早朝から多くの人がテレビにかじりついた事だろう。

ロンドンでは3回も開かれたそうで、今回は203カ国が参加、

日本は旗手の吉田沙保里選手を先頭に95番目に入場した。

 

セレモニーでは国の威信をかけて行われた、華々しい北京大会とは異なり、

田園風景や産業革命を取り入れた、やや地味な演出に映った。

ただ聖火点灯はエリザリベス女王やベッカム選手を使った、手の込んだ演出で盛り上げ、

フィナーレーを飾るにふさわしい斬新さはでていた。

 

私がオリンピックに興味を持ったのは、1940年の東京大会の聖火リレーが、

東海道沿線にある母校正門前を通過するのを、授業をサボって写真を撮ってからで、

今回のロンドン大会で13回目になる。

次は4年後のブラジルで、その次を東京が狙っているが成功すれば2度目となる。

今更オリンピックでもなかろうと言う人もいるだろうが、

特に未来を背負う子供達には夢と希望を与えるので、

出来れば誘致に成功して欲しいものだ。

それよりもこれから何回、オリンピックが見られるか、その方が問題だ。(笑)

 

さて先週の「しりとり川柳」ですが毎朝の貴重な1時間弱を使い、-

朝ドラ「梅ちゃん先生」をバックに約15句詠み、お遊びの「頭の体操」に励んでいる。

 

今週は政治と日常生活を詠んだ句が多く成りましたが、

マンネリ化して粗雑になり、川柳と言うより下句を使った直感の短文に成りました。

努めてユーモアとウイットに富んだ句を心がけていますが、

技術者だったので理屈ぽく、諸に心情が表れた気恥ずかしい句もあります。

その日に詠んだ好きな愚作に○印を付けてみた。笑読ください。

 ●情勢が 不利になったね 民主党

●議員さん 一度遣ったら 辞められぬ

●何故か風 突風紛いの 解散風 

●マニフェスト 命取りだよ 民主党 ○

●無防備よ 津波対策 今までは

●確実に 税金とれる 消費税 ○

●市長さん コスプレ不倫で お騒がわせ 

●扶養義務 屁理屈付けて 逃げている

●世界中 同時不況で 株安に

●宅配で 済ますお盆の 里帰り ○

●我が子には みんな幸せ 願ってる

●定年後 時間は有るが 金はなし

●大切よ これから人生 大らかに

●うっふふ 不倫してるよ あの二人 ○

●雲行きで 小遣いせびる 亭主かな ○

●浮気者 灰になるまで 治らない

●あの人の 消息知りたい 初恋の

●虐めてる 虐待ママは 多くなり

●知らぬ人 オレオレ詐欺に ご用心

●なぜ狙う 期待している 玉の輿

●教えたり 教えられたり 人生は ○

●癒しの国 幸せ感じる ブータン国

●もらえない ボーナスあてに 買う女房 ○

●遠過ぎる ゆっくりいこう 黄泉の国

●不注意で 起こす事故は 過失です

●亭主聞く 我が家の会計 赤字かと

●帰りましょう 未練残るが 終電車 ○

●お中元 貰って嬉しい 贈るのは

●虫にして 助けてくれと 手を合わす○

●我が家系 未来永劫 続くのか

 

●「思い出の写真から」(56)  東北の七夕祭り ( 昭和39年)

○仙台の七夕

○一ノ関の七夕

 

 


「インターネット随想」(28)  「3人の上司」③とオリンピックメダル数

2012-07-26 05:00:00 | エッセー

いよいよロンドンオリンピック大会の開会式が明日(金)午後5時に始まるが、

日本時間では+8時間の時差、即ち28(土)午前4時半からテレビで中継される。

これから何回オリンピックが見られるであろうか。

 

オリンピックは参加することに意義があると言うものの、やはりメダル獲得数が気になる。

国内新聞社6社によるアンケートでは、金メダル獲得数は手堅く7個を予想している。

一方米国スポーツ紙・イラマトは北京大会より3個多い金12個、銀14個、銅13個で、

総計39個と占っているが、他国ならではの甘い予想と見るのは私だけだろうか。(笑)

 

さて約45年前の三人の恩師を綴った「インターネット随想」は、いよいよ最終回である。

(第三回) 

当時の仕事は食品添加物、残留農薬といった食品化学の試験が中心で、

たえず行政と深いつながりがあり、その影響は絶大であった。

私の県庁へ入るきっかけを作ったTM係長(元薬務食品課長)は、

当時は県の食品衛生行政の責任者でもあり、間接の上司と言っても差し支えない。

 

先生の誠実さと熱心さは県庁一と言ってもよく、

厚生省や全国の食品行政仲間からも周知の事実であった。

又、先生の日常生活は仕事中心といった感じで、

酒もタバコも勝負事とも一切せず、聖人君子のようでもあった。

若い頃は先生から言われた仕事は『いや』とは言えなかったが、

日常生活での酒や勝負事は先生の真似はできなかった。

 

また先生の性格は冷静、沈着で、事に当たっては熱意と激しさに満ち溢れており、

少しでも近づきたいと思っていた一人であった。

しかも行政畑でありながら、技術者的発想で叱咤激励され、

私が最初に「学位への道」に興味を抱かせたのも、先生の言葉だったかも知れない。

  

先生は行政の中に於ける本県の化学技術を、全国レベルに押し上げることを念願していた。

その時期は丁度、高知県の薬学出身者の上田雅彦氏(元高知県○○研究所長)が、

残留農薬や食品添加物の華々しい研究によって、全国紙を幾度となく賑わしていた。

しかも上田氏は高校時代のTM先生の教え子に当たり、

初任者の私を高知へ連れて行き紹介して頂き、勇気付けをしてもらった。

そして上田氏の華々しい化学物質による食品汚染の研究を目標にしつつ、

私自身は化学物質の新分析法研究に微力を注いでいった。

 

更にTM先生からは『やったことは、まとめて発表する』という、

最も研究の基本を学んだ気がする。

どんな小さなことでも纏めておくと便利であるし、他人にも知ってもらえる。

現在の情報化時代には、ことさら必要な事かも知れない。

 

このように考えると日本経済の伸展期に、化学関係の専門家の乏しい田舎の県で、

優秀な「三人の上司」に巡り合い、そして育てられた。

そして遣り甲斐のある多くの仕事に携わり、

満足するサラリーマン生活を送る事ができた。(完)

            (○○県○○会誌、1986.1.1) 

 

●思い出の写真から(55) 富士登山③―富士宮口より登山 (昭和38年)

○火口―お鉢巡り(1周約1時間)

○日本最高峰・剣ヶ峰―3776m(山頂は霧だった)

○5時間かけ頂上から河口湖畔まで下山(シンドかった!)

○登頂記録(若き時代のお遊び)


「インターネット随想」(27)  「3人の上司」と「富士登山」②

2012-07-22 06:00:00 | エッセー

この時の直接の上司は、先のH課長(現T製薬㈱取締役)で、

スケールの大きい切者で野人といった感じであった。

最初に先生の部屋に行くなり「公務員では、飯は食えんぞ」

と言う言葉が何故か印象に残っている。

当時の初任給は19,900円(昭和40年)で、致し方ないことでもあった。

 

今でこそ民間並みの事業の発想を考えて、仕事をするように言われるが、

昔は予算的には無頓着でお役所の典型であった。

しかし当時からH課長は民間的発想で仕事に当たり、

もし私に経済感覚が有るとするならば課長によるところが大きい。

 

仕事に関しては細かいことは言わず、殆んど任せきりで大物課長の貫禄十分だった。

しかも先生の前任が県警の鑑識課だったので面識が広く、色々な人から相談に来られたが、

「ここは県民の科学的よろず研究所だ。」と言って、来るもの拒まずだった。

それら複雑な未知試験は初任者の私に、殆んど遣らされたので、

ルーチン業務を持っている私は、多大の時間が必要で困っていた。

 

いつであったか、とうとう課長に、

「私にばかりやらせないで、他の人にやらして下さい」と言ったところ、

「わしの言うことが聞けんのか」と一喝されたが、

課長から叱られたのは、後にも先にもこの時だけだった。

しかし振り返って思うと、この多くの未知物質鑑定の経験が、

現在の私にして頂いたと感謝の気持ちで一杯である。

 

また先生の発想の雄大さと柔軟なアイディア、

言うなれば技術者であって民間人的発想には敬服したものだった。

技術者には、とかく物の捉え方が繊細で、近視眼的に成り易いが、

先生の考えはスケールが大きく、それでいて慎重でかつ堅実でもあった。

しかも、時には少し強引とも思われる押しを持ち、

ある時はさっと引下がる、機敏さを持っていた。

 

昼休みは課長によく将棋を教えてもらたが、戦法は仕事と同じで、

殆んど勝てなかったが憧れの師であった。        (つづく)

            (○○県○○会誌、1986.1.1) 

●思い出の写真から(54) 富士登山―富士宮口より登山 (昭和38年)

○一路頂上へ③―(8合目付近)

○雲海―(9合目付近から)

○万年雪―(9合目)

○富士宮口頂上―右山上が最高峰・剣が峰  

                 (つづく)


 「インターネット随想」(26)  「3人の上司」と「富士登山」ー①

2012-07-20 06:00:00 | エッセー

定年後に自分の人生を振り返り、

私の様な者が充実したサラリーマン生活が送られたのは、

何故だったのだろうかと、時々自問自答することがある。

卒業したのは今の就職氷河期とは異なり、日本経済の伸展期に当たり、

しかも理系ブームのなか薬系男子卒業者が少なかったからだろう。

今年の就職状況も一般卒業者とは異なり、

6年制に成った薬系卒業者は引く手あまたのようだが、いつまで続くであろうか。

 

それに加えて新人時代の3人の上司が、

幸いにも三者三様の素晴らしい恩師と出会い育てられたからだろう。

これらに付いては「3人の上司」として25年前に○○県会誌に回顧したので、

今日の「インターネット随想」は、少し硬い自己満足のエッセを3回に分け連載する。

 

私が学校を出たのは、昭和40年の日本経済の進展期であり、

薬学関係の会社は好景気で、公務員などへは振り向かない時代であった。

私も民間会社に誘われたものの田舎に帰り、薬局か病院勤めを考えていた。

ところが大学4年の夏休みに、○○県では不足がちな薬剤師を探しており、

幸か不幸か小生と出会い、公務員生活を送り現在に至っている。

 

この最初のお誘いの人こそがT先生(元薬務食品課長)であり、

私の運命を決定づけたと同時に、以後は仕事上の間接的上司として、

多大の影響を与え終生忘れ得ぬ人となった。

 

このようにして○○県庁に入り、△△県衛生研究所の化学課に勤めることとなった。

△△研究所という名前は2~3度聞いてはいたものの、

どんな仕事をするのか、何処にあるのかも知らなかった。

 

当時の場所は現在の県立病院の横に、戦後出来た小さな木造の死体解剖の建物があり、

そこを夜勤で通る時は薄気味悪い気分にさせられた。

しかも、私の最初の歓迎会は直接の上司、H先生(現T製薬㈱取締役)らの手料理で、

この死体解剖室でしてもらったことを、なぜか今も鮮明に覚えている。

 

時の所長は陸四郎博士(元大阪大学助教授)で、

明治の有名な国粋主義の思想家、陸羯南の子孫とかで、

見るからにかっぷくもよく、ギョロッとした大目玉と鼻筋の通った、

役者の団十郎を思わせる顔つきであった。

おそるおそる、初めて挨拶に行くと、大目玉でじっと見て、

「ここになくてはならない人に、成ってください」とただ一言、

言われた記憶が脳裏にはっきりと残っている。

 

最初は無愛想な所長も後には研究室に来て四方山話をしたり、

自宅へ何度か誘われ御馳走にもなった。

陸先生は海軍の軍医大佐で、戦艦『陸奥』に乗っていたこと、

親類に三菱、伊藤忠の大物が沢山いることなど、

名門出身の自慢ばなしを幾度となく聞かされたものだ。

しかし先生は実に温厚かつ雄大で、職員は決して叱らなかったし、

10年ぶりの新人で学卒の私は珍しがられ、

「クロちゃん」という愛称付けて可愛がって頂いた。       (つづく)

              (○○県○○会誌、1986.1.1) 

 

●思い出の写真から(53) 富士登山①―富士宮口より登山 (昭和38年)

夏休みが始まり夏山登山も多くなるだろうが、

約50年前の懐かしい富士登山を3回に分け掲載する。

 ○富士山 (沼津付近から)

 

○富士本宮 浅間大社大鳥居―バスで新五合目へ

○登山グループー(6合目山小屋)

○一路頂上へ①―(7合目付近)

 

○8合目付近の稜線

          (つづく)


先週の「脳トレ」尻取り川柳(213)と祇園祭

2012-07-18 00:00:00 | 雑感・川柳

日本の三大祭は京都の祇園祭、大阪の天神祭り、東京の神田祭を言うが、

京都では八坂神社の祇園祭、賀茂神社の葵祭り、平安神宮の時代祭りを京の三大祭と言う。

 

学生時代は京都で過ごしたので、京の三大祭を見ることができたが、

何と言っても圧巻は7月1日から1ヶ月かけて行われる、絢爛豪華な祇園祭であろう。

17日は祇園祭のクライマックス、33基の山鉾が都大路を巡る山鉾巡行だが、

晴天であったので沿道には16万人の人出があった。

今日の「思い出の写真から」には、白黒写真だが50年前の山鉾巡行を挿入した。

●思い出の写真から(52) 祇園祭(昭和37年)

○山鉾巡行(四条大宮付近)

○長刀鉾ー絶えず鉾の先頭を巡行する。

○月鉾

○船鉾

○辻回し(月鉾)ー鉾の方向転換で難しい技が必要。

 

さて先週の「しりとり川柳」ですが毎朝の貴重な1時間弱を使い、

朝ドラ「梅ちゃん先生」をバックに約15句詠み、お遊びの「頭の体操」に励んでいる。

 

今週は政治と日常生活を詠んだ句が多く成りましたが、

マンネリ化して粗雑になり、川柳と言うより下句を使った直感の短文に成りました。

努めてユーモアとウイットに富んだ句を心がけていますが、

技術者だったので理屈ぽく、諸に心情が表れた気恥ずかしい句もあります。

その日に詠んだ好きな愚作に○印を付けてみた。笑読ください。

●引退を そんな総理よ チラホラと

●辛そうね 身内の造反 野田総理

●口ばかり 選挙目当ての 新党は ○

●気になるね 鳩ポッポの 動向が

●無節操 昨日の友は 今日の敵 

●どうしたの こんな政治に 誰がした

●要らないよ 保身ばかりの 政治家は

●冷蔵庫 開け閉め控えて 節電を ○

●超人気 上野のパンダは 天国へ

●めらめらと 男の本性 燃え上がり

●遠くなり 父母の居ない 生家へは

●起される ラジオ体操の メロディーで

●田舎見て 此処に住みたい 早ガッテン

●はっきりと 言って頂戴 好き嫌い

●暑い夏 節電の夏 嫌な夏 ○

●言い訳は 浮気亭主の 常道よ

●怒らさず 女房操る 難しさ ○

●ご褒美を 自分にあげた アスリート

●身を任せ 癒しています 膝枕 

●何時までも 充てにしないで 親の顔

●考えて 考え抜いて 墓穴掘る

●♂プレイ 生物の本能 むき出しに ○

●廻り食い 昼食済ます デパ地下で

●枇杷の実が 疎遠な実家 近づける

●恋をして 性格変わる 木偶の坊

●暮らしてる 家族三人 四畳半

●笑み零れ 夫婦喧嘩も 仲直り

●福の神 呼べど叫べど 来ぬ我が家 ○

●僻みさえ 見せずに頑張る 田舎者

●今の世は 何が正義か 分からない 

●治らない 我が家の家系 浮気癖