ゆるゆる素浪人の「気まぐれ日誌」~ 自己満足とボケ防止に、人生の雑記帳~  

そういう意味で老人の書いた「狼の遠吠え」、いや「犬の遠吠え」と思い、軽い気持で読んで頂けば有り難いです。

「通常国会始まる」と「精緻なるロマンを求めて」(Ⅱ) (インターネット随想(58) 

2013-01-31 06:00:00 | エッセー
第183通常国会が召集され、安倍晋三首相は衆参本会議で、
第2次安倍内閣として初の所信表明演説を行った。
首相は経済再生を「最大かつ喫緊の課題」と位置付け、
デフレ脱却と円高是正によって「強い経済」を取り戻す決意を表明した。

昨日からは衆議院代表質問が始まったが、
まあ何時ものように与党からは賞賛の声、野党からは選挙を意識して、
国家感、エネルギー、尖閣、TPPなどの重要課題を極力避けたと非難していた、

しかし安倍総理も再登板で一皮剥け、自信に満ちた演説と国会答弁、
衆参ネジレ国会を意識してか野党にも謙虚に対応、
特に第一党の民主党海江田代表にエールを送っていたのが印象的だった。

そんな為か国民も好感を持ち、先週の世論調査では65%超え
政権発足当時より5%前後も上昇したそうだが、こういう現象も珍しいそうだ。
しかしまだ安倍政権は始まったばかり、今後の推移が注目される。

これから国会も6月末まで250日間の長丁場の論戦に入り、
予算審議や安倍ノミクスなど重要政策の大臣対応に興味が沸くが、
民主党政権のような素人答弁や失言が出ない事を期待しょう。

さて連載の「精緻なるロマンを求めて」(Ⅱ) を続けるが、
安倍ノミクスと重ね合わせて読むと面白いかもしれない。

この世界初のβーBHCの確認にはFDAの J.BURK、
英国の農薬分析の権威者H.EGANに相談するという慎重さで進められた。
そして氏が牛乳中のBHC汚染を見い出してから一年後に、学会に報告したという。

この農薬汚染の研究を農業県の高知県職員が発表するには、
余りにも大きな外圧が加わることは、初から予想できたことである。
それを承知の上で辞表を胸に研究したのは、何であったのであろうか?
それは高知という革新を求める風土であろうか?
あるいは研究者としての使命感であったのだろうか?
おそらく科学者としての正義感と、高知男児の反骨精神が、
そのような行動に走らせたのではなかろうか。
 

ともかく当時批判的だったこの研究も、
今では立派な業績として、高く評価されるに至った。
この研究によって、化学的に安定なBHC、DDTの製造が日本では中止、
水稲等への使用は禁止され、やがて食品への残留量も減少の一途を辿った。

もしも今でもBHC、DDTを使い続けていたら、どう成っていたであろうか?
濃度の高い農薬入りの牛乳や母乳を、今も知らずに飲み続けている。
考えてみただけでも背筋の寒くなる話である。

 
この上田氏の研究によって、日本人のどれだけの人が疾病から逃れ、
命が伸ばされたか計り知れない。
同じ公衆衛生の研究に携わっている一人として、
氏の先見性と勇気には、賞賛の拍手を贈らずにはいられなかった。
何事によらず新しい知見の発見ほど、
本当に理解される迄には時間がかかるものかも知れない。 (つづく)
  (精緻なるロマンを求めて、1987・10・1)

●思い出のレトロ写真から(118) 京都・大覚寺(昭和36年10月)
○拝観券

○大沢池

○襖

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大相撲人気回復の決め手

2013-01-27 06:00:00 | 時事・雑感
予想に反して大相撲初場所は、千秋楽を待たず日馬富士の優勝が決まった。
相撲人気は八百長、暴力指導、薬物等の不祥事が続発して、
いつも「満員御礼」の垂れ幕が下がった本場所も、空席が目立つようになった。
ところが今場所は空席も減り、「満員御礼」も6~7日も垂れるようになり、
少しずつ大相撲人気も回復しているようだ。

昔はスポーツが少なく、子供時代は人気の栃若、大鵬―柏戸時代位までは興味深く見ていたが、
仕事も忙しくなり相撲興味は薄れ、定年に成っても殆んど相撲のテレビは見なくなった。
ところが今場所から中入り後から、決まってテレビをつけるようになった。
と言うのは香川県小豆島出身の琴勇輝(佐渡ケ嶽)が、西前頭15枚目に入幕したからだ。

香川県は郷土出身の芸能人や力士は不作の県だが、
大相撲の幕内力士も若三杉(改め関脇大豪)以来54年ぶり、
香川県出身の幕内力士の不在記録は、全国最長の45年間も続いていた。
そんな訳で突き押しに徹する21歳の若武者・琴勇輝は、県民期待の星だが、
かつての相撲ファンに回帰して、今場所からテレビ中継を見ている。

しかし琴勇輝の今場所の成績は、千秋楽を残し6勝8負と負け越し、
十両陥落が予想されるが、実力的には再入幕は確実だろう。

まあ郷土出身力士の有無によっても、相撲人気は影響するのだから、
ましてや永く続く外人横綱では、人気が衰えるのも頷ける。
そう言う意味で相撲人気回復の有効手段は、
今のグローバルな社会で外人力士を拒否するものではないが、
大鵬のような親近感溢れる強い日本人横綱作りが急務だろう。

●思い出のレトロ写真から(117) 京都・広隆寺(昭和37年頃)
○拝観券

○広隆寺境内

○弥勒菩薩半跏像(国宝)

○仏像


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精緻なるロマンを求めて(1) 「インターネット随想」(57) 

2013-01-24 06:00:00 | 時事・雑感
中東のアルジェリア人質事件で日本人10名の犠牲者がでたが、
日本政府専用機で犠牲者と救出者7名をむかえに、昨日アルジェリアに到着した。

日本人は中東紛争を他山の石のように傍観していたが、
とうとう日本企業戦士がイスラムテロ集団のターゲットにされたのか。
今回のテロ対応を見ていると「人命第一」と言いながらも、ここでも理想と現実は程遠く、
平和ボケした日本の感覚は、なかなかアルジェリア政府には通じなかったようだ。

さて此れからの「インターネット随想」は、若い頃に遣り甲斐のある仕事を求めて、
企業戦士成らぬ役所で働いた回想録を、
25年前に自己満足で書いた「精緻なるロマンを求めて」を5回に分けて連載する。 

昭和40年に学校を卒業して、初めて配属になった職場は、
衛生研究所という研究機関であった。
そこでの仕事は行政や一般からの依頼検査が仕事で、
研究所とは名ばかりの試験検査機関であった。
この傾向は本県が取り立てて特異な存在ではなく、地方のどの研究機関も大同小異であった。

このようにマンネリ化した試験検査に飽きたらず、
地方の乏しい設備とスタッフで、華々しい研究をしていた技術者がいた。
それは高知県の上田雅彦研究員(後に衛生研究所長)であった。

当時の上田氏は食品担当の主任であり、研究所としての使命感と、
技術者としての飽くなき探究心で、精力的に研究していた。
氏の研究には田舎の研究所に居ながら、世界に通ずる独創的研究が見られる。
自然科学の世界的権威誌、英国の『自然(Nature)』にも投稿するという、
優れた多くの業績を残していった。 
 
氏の業績の中でも昭和45年に発表した、牛乳や母乳中のβ(ベェター)-BHC汚染の発見は、
地方研究所という同じ立場にいる私にとっては、衝撃的な研究であり行動であった。
後日、岩波書店発行『科学』の中で、
「残留農薬を追って」と題して詳しく回想している。
 

この中で日本中を騒然とさせた牛乳中のβ-BHC汚染の発見の出会いは、
氏の日常業務である食中毒検索の中から、見い出したと述べている。
ガスクロマトグラフ上に描かれた未知ピークの追求から、
日本独特の高濃度β(ベェター)-BHC汚染との出会いが始まったとも語っている。
ともすれば見過ごされがちな日常業務の不意の現象の追求に、
新しい知見が隠されていることを、私は教えられた。 (つづく)
    (精緻なるロマンを求めて、1987・10・1)

●追記―「ベェター-BHC汚染問題とは」
昭和45年頃から牛乳や母乳、牛肉等のBHCやDDTの有機塩素系農薬の高濃度汚染、
特に日本独特のβ-BHC蓄積問題が心配であった。
これらの蓄積したBHCは欧米に比べて10倍近く高濃度で、
その大部分は残留性の高いβ-BHCである事を、田舎の研究所の上田氏により、
世界で初めて見出した素晴らしい研究である。

その原因は稲作にウンカの殺虫剤として使用されたBHCが環境汚染し、
そこで育った水稲や野菜を飼料として家畜が食べ、それらを食品として人間が食べ、
いわゆる生物濃縮が起こり血液や体内にBHCが蓄積した。

何故、欧米に比べて日本のBHC汚染が高濃度であったかと言うと、
BHCには8種の兄弟分がおり、そのうち殺虫効果が強いのはガンマーBHC(リンデン)で、
欧米では農薬として純度の高いBHCのリンデンを使用していた。
ところが日本では農薬だから粗雑な異性体の混じった工業薬品を使っており、
残留性の高いβ-BHCが多量に蓄積した。
まあ欧米と日本の化学薬品の認識の違いが、日本独特の高濃度BHC汚染に発展させた。

もしβ-BHC汚染の発見が遅れていれば、日本人の多くが慢性農薬中毒に成っていたかも知れず、
この研究によりどれだけ多くの人が救われた事だろう。

●思い出のレトロ写真から(116) 京都・等持院(昭和37年頃)
○拝観券
 
○等持院

○足利尊氏の墓


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鳩山元総理の尖閣発言と先週の「脳トレ」尻取り川柳(228)

2013-01-20 06:00:00 | 雑感・川柳
引退したはずの鳩山元首相が中国を訪問し、
北京の人民大会堂で賈慶林人民政治協商会議主席と会談した。
鳩山氏によると沖縄県・尖閣諸島に関し「係争地である」と、
日本政府の見解と異なる認識を示したという。

中国メディアも南京大虐殺記念館で手を合わして拝む写真を載せ、
鳩山訪中を絶賛して報道しているという。

それに対し小野寺防衛相はテレビ番組の中で、
「中国側は『実は日本の元首相はこう思っている』と世界に宣伝し、
国際世論を作られてしまう。
言ってはいけないが、『国賊』ということが一瞬頭の中によぎった」と述べた。
まあ国会も近いことだし防衛大臣も失言に成らないように慎重な言い回しで、
『国賊』と言う強い言葉を使って激しく批判していた。

それにしても鳩山元総理が何故、今頃になって訪中して、
問題多い尖閣の発言をしたのか解せぬが、おそらく中国のお誘いに乗ったのだろう。
まあ国会議員を辞めても自己顕示欲が強く空気の読めない、
単なるボンボン総理の感覚が、まだ続いているという事か・・・・

さて先週の「しりとり川柳」ですが毎朝の貴重な1時間弱を使い、
朝ドラ「純と愛」を惰性で見ながら、お遊びの「頭の体操」に励んでいます。

今週は政治関係は少なく社会生活を詠んだ句が多く、マンネリ化して粗雑になり、
川柳と言うより下句を使った直感の短文に成りました。
努めてユーモアとウイットに富んだ句を心がけていますが、
技術者だったので理屈ぽく教訓じみて、諸に心情が表れた気恥ずかしい句もあります。
その日に詠んだ好きな愚作に○印を付けてみました。笑読ください。

●争って 政権交代 自民党
●再チャレンジ 安倍総理を お手本に
●願いつつ 賽銭投げる 初詣 ○
●寒かろう 仮設住宅 震災の
●一つ増え 二つは増えぬ 年齢は
●役に立ち 若い時代の 杵柄が ○
●暇なのよ そんな身分に 成り下がり
●まだでない 春遠からじ つくしん坊 ○
●ありがとう なかなか言えぬ この一言
●買い物に 亭主欠かせぬ 荷物持ち
●探そうよ 幸せ求めの 癒し旅
●楽になり 肩書き取れて 自由人 ○
●偉そうに 弁解だけは 一人前
●使い分け 和食と洋食 朝食は
●争いは 徳にならない 何事も
●嫌に成る 同じ話の 繰り返し
●安全に 飲んだら乗るな 自動車は 
●すり抜けた 人生行路 夫婦して
●当たらない 貴女の六感 狂ってる ○
●憎まれて それでも出世 したい人
●丁寧で 付き合いにくい 貴婦人は
●ゴマをする しかし効果は 逆作用
●リサイクル 定年親爺 用途なし ○
●二人酒 夫婦喧嘩も 仲直り
●動き出し 日本列島 地震の巣
●お年寄り かってツンボで 押し通す
●日本国 この小国に 一億余
●晴れかしら 下駄で占い 雪になり
●お願いね 先に逝くなよ お婆ちゃん○
●ミニにして 視線浴びたい アラフォーも 

●思い出のレトロ写真から(115) 京都・天竜寺(昭和37年頃月)
○拝観券

○大方丈

○雲龍図

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「たかじんのそこまで言って委員会」

2013-01-17 06:00:00 | 政治・雑感
暇な日曜日の午後は大阪・民放の政治番組「たかじんのそこまで言って委員会」を、
見ることにしている。
この番組は革新系のコメンテーターは居るものの、どちらかと言うと保守色が強い番組であるが、
これが正論の番組かもしれない。

と言う訳で政治の論調も賛同部分も多く視聴しているのだが、
先週は忙しい政治日程のなか、安倍総理が大阪のテレビ番組に初めて出演していた。

総理退陣後の浪人時代にも安倍さんは「たかじん」さんと温泉に入り、
裸の付き合いで政治談議をしていた。
そんな不遇時代に総理になっても出演すると約束していたが、その約束を守ったのだろうが、、
案外安倍総理は律儀で義理人情に厚い政治家のようだ。

安倍総理の再チャレンジは病弱、ボンボン、世襲、タカ派、超保守など、
マスコミのネガティブキャンペーンのなか決意した。
番組のコメンティターの政治評論家・故三宅久之、金美齢、俳優・津川雅彦さんらは、
早くからしきりに再出馬の進言をしていた。
この番組で再出馬を決意した訳ではないだろうが、
決断の後押しをした事だけは間違いなかろう。

そんな関係から自民党総裁戦に出馬した頃から注目していたが、
安倍総理も日本丸の舵取り役を、秘かに専門家から指南を受けていたのかもしれない。
株価は8500円前後だったのが自民圧勝で9900円台に、
今や大型補正予算やアベノミクス発表で、円安、株価は17~8000円台へと急上昇。

巷ではアベノミクスに反対の声が多く聞こえるが、
経済には素人の私だが、現役時代の非常時の対応を考えれば、
一般的方法では駄目の場合が多く、何か革新的方法に拠らなければ解決しない場合が多い。
まあ経済も同じで、遣ってみなければ吉と出るか凶と出るか分からないのが本音だが、
例え失敗しても固定概念に囚われず、この閉塞感を打破する方策に期待したい。

まあ日本人は熱し易く冷め易い性格から、先入観や大手マスコミの論調に感化され易いが、
やがて目覚めて民主政治の基本である健全野党の躍進で政局が活性化されるだろう。
それに伴って安倍内閣は長期政権に繋がる可能性が強い。

思い出のレトロ写真から(114)  嵐山(昭和37年頃)
○渡月橋



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