第183通常国会が召集され、安倍晋三首相は衆参本会議で、
第2次安倍内閣として初の所信表明演説を行った。
首相は経済再生を「最大かつ喫緊の課題」と位置付け、
デフレ脱却と円高是正によって「強い経済」を取り戻す決意を表明した。
昨日からは衆議院代表質問が始まったが、
まあ何時ものように与党からは賞賛の声、野党からは選挙を意識して、
国家感、エネルギー、尖閣、TPPなどの重要課題を極力避けたと非難していた、
しかし安倍総理も再登板で一皮剥け、自信に満ちた演説と国会答弁、
衆参ネジレ国会を意識してか野党にも謙虚に対応、
特に第一党の民主党海江田代表にエールを送っていたのが印象的だった。
そんな為か国民も好感を持ち、先週の世論調査では65%超え
政権発足当時より5%前後も上昇したそうだが、こういう現象も珍しいそうだ。
しかしまだ安倍政権は始まったばかり、今後の推移が注目される。
これから国会も6月末まで250日間の長丁場の論戦に入り、
予算審議や安倍ノミクスなど重要政策の大臣対応に興味が沸くが、
民主党政権のような素人答弁や失言が出ない事を期待しょう。
さて連載の「精緻なるロマンを求めて」(Ⅱ) を続けるが、
安倍ノミクスと重ね合わせて読むと面白いかもしれない。
この世界初のβーBHCの確認にはFDAの J.BURK、
英国の農薬分析の権威者H.EGANに相談するという慎重さで進められた。
そして氏が牛乳中のBHC汚染を見い出してから一年後に、学会に報告したという。
この農薬汚染の研究を農業県の高知県職員が発表するには、
余りにも大きな外圧が加わることは、初から予想できたことである。
それを承知の上で辞表を胸に研究したのは、何であったのであろうか?
それは高知という革新を求める風土であろうか?
あるいは研究者としての使命感であったのだろうか?
おそらく科学者としての正義感と、高知男児の反骨精神が、
そのような行動に走らせたのではなかろうか。
ともかく当時批判的だったこの研究も、
今では立派な業績として、高く評価されるに至った。
この研究によって、化学的に安定なBHC、DDTの製造が日本では中止、
水稲等への使用は禁止され、やがて食品への残留量も減少の一途を辿った。
もしも今でもBHC、DDTを使い続けていたら、どう成っていたであろうか?
濃度の高い農薬入りの牛乳や母乳を、今も知らずに飲み続けている。
考えてみただけでも背筋の寒くなる話である。
この上田氏の研究によって、日本人のどれだけの人が疾病から逃れ、
命が伸ばされたか計り知れない。
同じ公衆衛生の研究に携わっている一人として、
氏の先見性と勇気には、賞賛の拍手を贈らずにはいられなかった。
何事によらず新しい知見の発見ほど、
本当に理解される迄には時間がかかるものかも知れない。 (つづく)
(精緻なるロマンを求めて、1987・10・1)
●思い出のレトロ写真から(118) 京都・大覚寺(昭和36年10月)
○拝観券
○大沢池
○襖
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第2次安倍内閣として初の所信表明演説を行った。
首相は経済再生を「最大かつ喫緊の課題」と位置付け、
デフレ脱却と円高是正によって「強い経済」を取り戻す決意を表明した。
昨日からは衆議院代表質問が始まったが、
まあ何時ものように与党からは賞賛の声、野党からは選挙を意識して、
国家感、エネルギー、尖閣、TPPなどの重要課題を極力避けたと非難していた、
しかし安倍総理も再登板で一皮剥け、自信に満ちた演説と国会答弁、
衆参ネジレ国会を意識してか野党にも謙虚に対応、
特に第一党の民主党海江田代表にエールを送っていたのが印象的だった。
そんな為か国民も好感を持ち、先週の世論調査では65%超え
政権発足当時より5%前後も上昇したそうだが、こういう現象も珍しいそうだ。
しかしまだ安倍政権は始まったばかり、今後の推移が注目される。
これから国会も6月末まで250日間の長丁場の論戦に入り、
予算審議や安倍ノミクスなど重要政策の大臣対応に興味が沸くが、
民主党政権のような素人答弁や失言が出ない事を期待しょう。
さて連載の「精緻なるロマンを求めて」(Ⅱ) を続けるが、
安倍ノミクスと重ね合わせて読むと面白いかもしれない。
この世界初のβーBHCの確認にはFDAの J.BURK、
英国の農薬分析の権威者H.EGANに相談するという慎重さで進められた。
そして氏が牛乳中のBHC汚染を見い出してから一年後に、学会に報告したという。
この農薬汚染の研究を農業県の高知県職員が発表するには、
余りにも大きな外圧が加わることは、初から予想できたことである。
それを承知の上で辞表を胸に研究したのは、何であったのであろうか?
それは高知という革新を求める風土であろうか?
あるいは研究者としての使命感であったのだろうか?
おそらく科学者としての正義感と、高知男児の反骨精神が、
そのような行動に走らせたのではなかろうか。
ともかく当時批判的だったこの研究も、
今では立派な業績として、高く評価されるに至った。
この研究によって、化学的に安定なBHC、DDTの製造が日本では中止、
水稲等への使用は禁止され、やがて食品への残留量も減少の一途を辿った。
もしも今でもBHC、DDTを使い続けていたら、どう成っていたであろうか?
濃度の高い農薬入りの牛乳や母乳を、今も知らずに飲み続けている。
考えてみただけでも背筋の寒くなる話である。
この上田氏の研究によって、日本人のどれだけの人が疾病から逃れ、
命が伸ばされたか計り知れない。
同じ公衆衛生の研究に携わっている一人として、
氏の先見性と勇気には、賞賛の拍手を贈らずにはいられなかった。
何事によらず新しい知見の発見ほど、
本当に理解される迄には時間がかかるものかも知れない。 (つづく)
(精緻なるロマンを求めて、1987・10・1)
●思い出のレトロ写真から(118) 京都・大覚寺(昭和36年10月)
○拝観券
○大沢池
○襖
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