ゆるゆる素浪人の「気まぐれ日誌」~ 自己満足とボケ防止に、人生の雑記帳~  

そういう意味で老人の書いた「狼の遠吠え」、いや「犬の遠吠え」と思い、軽い気持で読んで頂けば有り難いです。

35年前の「台湾への誘い」から(Ⅲ)

2012-02-29 06:36:48 | 雑感・旅行
今日は4年に一度の閏日、
その為ではないだろうが、全国的に大雪に成っているようだ。

さて私が初めて台湾旅行したのは35年前の海外旅行ブームの走りで、
当時はまだ海外出国者は約300万人と少なかった。
以後は海外旅行ブームの到来で増加の一途を辿り、
今では約6倍の1,700万人前後の人が、比較的安価に海外旅行を楽しんでいる。

なぜ初の海外旅行の手始めに台湾を選んだかと言えば、
ヨーロッパに比べ短時間で安価に行け、言葉、食事、観光地も日本人好みだったからだ。
そのため台湾には所用も入れて、以後3回ほど訪れた。

今日のブログは先週から連載している35年前に書いた「台湾への誘い」、
好奇心旺盛な仲良し5人組の見聞録、全4回のうち第3回目を掲載する。

●「台湾への誘い」(三)    

Ⅲ.高雄
 高雄は人口120万人の台湾第二の大都市で、台北から遠東航空で約40分のところにあり、
町は思ったより近代的で奇麗であった。
建ち並ぶビルも多く、漢字で書かれた広告や黄色い肌と黒い目は、ここが異国地とは思えなかった。
しかし自動車の型は古く日本の昭和30年後半である。
また行き交う人々も肥満タイプは少なく、男女ともひきしまった筋肉質のスタイルは日本人と趣を異にする。

 今日の宿泊所の、華王大飯店に荷物を預け、市内観光に出駆ける。
美女のWさんも同じ所に宿を取った。
李さんの愛人の気配は、益々濃厚になったが、まだWさんの正体を聞く元気は我々にはない。
 高雄へ来てから、案内役の先頭はWさん、李さん、B氏の順になり、
私達五人組はこの後からぞろぞろついていくだけである。
こんな気楽な大名旅行が出来るとは、ただただ、A氏やB氏に感謝感激である。


 最初の観光地の萬寿山公園に着いたのは午後5時15分で、辺りは薄暗くなっていた。
ここから眺める高雄の夜景は美しく、函館山から眺める夜景を彷彿させる。
しばらくすると私達の回りに年の頃なら15~16歳、若い少女の売り子が群がって来た。
「先生、先生、ミヤゲ買ツテクダサイ。500元デス。安イデス」その言葉に惑わされた訳ではないが、
550元なら安いと思って買った土産は、日本円なら3,500円と余り安くもなく、
全く不要な買い物をしたと、皆が後悔することしきりなり。


 その足で澄清湖に来た。
その景観は大陸的風景であり、私達に異国情緒を堪能させてくれる。
大陸の西湖を模して作ったと言われるこの湖は、すばらしい透明度である。
しかし夜の戸張のためか見ることは出来なかった。
 
 台湾で最初の食事は高雄でも有名な海鮮料理屋、鞆海ですることにした。
魚は近くの渤湖島で取れた新鮮魚のためか、台湾人で満員で在った。
丁度、日本の晩夏に相当する気候の為か、屋上でビールや台湾酒を飲んで上機嫌の家族ずれで一杯である。
私達もやっとのことで屋上で円卓席を取った。
南国の満天下の空にも日本と同じく無数の星が輝いていた。

●海鮮料理(台中)

 料理の注文は台湾旅行150回のB氏にすべてを任せた。
台湾ビールは日本と比べホップのききが少ない。
酒は紹興酒といってもち米を蒸留して作った、黄色いアルコール18度の飲みやすい酒がある。
料理はエビ、カニ、スッポン、貝といった豪華版である。
特にスッポン雑炊に舌鼓を打つ。
 
 アルコールが回ってくると今まで紳士ずらをしていた理性が取れ、エロチックな話に移っていく。
特にA氏の猥談は天下一品である。
嫌らしくなくサラリとかわした話術には、多くの経験を感じさせる。
A氏は今まで高雄を案内してくれた謎の美女、Wさんを指差して「アナタ李氏ノ二号サンデスカ?」、
日本語の分からぬ彼女はキョトンとしていたが、李氏は大きく笑って否定した。
李氏の話によるとWさんは旅行社の社長の奥さんで、子供も3人おり、
社長の命令でB氏の為に案内してくれている王さんと聞きおよび、はかなくもロマンの夢は崩れ去った。

 旅の疲れのためか、予想以上にアルコールはまわり、王さんの案内で高雄の町を散策することにした。
町は地下三階の商店街もある大都市だ。
地下街は薄汚く、丁度縁日の夜店を思わせる感じであった。
鈍い裸電球の下では外国の有名ブランドのコピー商品や日用雑貨が、所せましと並べられている。
パパイヤ、ヤシ、パイナップル、バナナ、ナシ、スモモ、青リンゴといった南国の果物も一杯あり、
始めて飲んだマンゴのジュースは、また格別の味がした。

●台湾の屋台(台中)


地上に出てぶらりと百貨店に入った。
日本と違って夜の9時でも開店している。
陳列は日本と同じスタイルである。
薬品売り場では日本のアスパラ、アリナミン、ベンザ等の薬が並べられていたが、
台湾では薬は高価な商品のようでもあった。
このようにして、台湾旅行の初めての一夜は、またたく間に過ぎ去った。
 
●太魯閣渓谷(台中)


Ⅳ.高雄⇔鵝鑾鼻
 今朝の天候は雲一つ無い快晴である。
朝食は清粥という中国のお粥に、乾燥豚肉のふりかけである。
それに豆漿という豆乳が台湾での高級朝食である。
朝食をさらりと済ませ台湾の最南端、鵝鑾鼻めざして出発したのは、午前9時であった。

 市内は通勤時間のためか、相乗りした、古ぼけた日本製のオートバイで混雑していた。
台湾では失業者が増加しており、大学卒の初任給は6万円、労働者で3万円位である。
労働者の服装も思ったより奇麗で比較的衛生観念も強く、過去の痛ましい日本統治五十年の影響であろうか。
市街を抜け鵝鑾鼻への道は海岸にそって広く続き、広告も看板もなく電線も張り巡らされていない。
非常時には軍用空港として利用するのであろうか。
海岸線の所々には見張り台があり、海岸警備にあたっており大陸との緊張を感じさせる。

 高雄の市外はコンビナートが続き、台湾一の工業都市を思わせる。
更に進むと景色は一転して、ずっと続くバナナやヤシの畑、島影一つ無い濃紺の東シナ海、奇岩の続く海岸線と、
南国情緒たっぷりで台湾旅行の醍醐味でもある。
そうこうしているうちに2時間ぐらいが経っただろうか、目的地の鵝鑾鼻に到着した。
12月とはいえ、ここは北緯22℃の最南端、南国の太陽は眩しく25℃を越す暑さであった。
世界にも珍しい熱帯植物、300種の植物園、海面より55mの白亜の灯台、翻る赤い中華民国国旗、
そこから眺める珊瑚礁の海岸など、筆舌に尽くしがたい南国の光景がそこにあった。
しかし台湾の最南端、鵝鑾鼻への道のりは遠かった。(つづく)

●台湾最南端の鵝鑾鼻灯台(台南)


●露天商「ライチ」(レイシ)売り(台中)
安いと思い土産に買ったが、全て防疫上出国時に没収廃棄。
悔しい事この上なし・・・



最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (せとやん)
2012-02-29 08:46:44
ハハ、お土産没収ですか。それは残念でしたね。でも案内人に恵まれ、おいしい料理を食べれてよかったですね。
ただいまこちらは雪がジャンジャン降って見事な雪景色です。
返信する
 楽しそう♪ (まるこ)
2012-02-29 21:50:42
一緒に台湾の旅をさせていただいています。ただ、食べ物を味わえないのが残念(笑)

Aさんは「2号さんですか?」って直接質問。アルコールのなせる技ですね。殿方にはこれがあるから羨ましい(笑)

次回を楽しみにしています♪
返信する
大名旅行やったんや。 (kikuko0917)
2012-03-01 06:39:23
おはよう。
35年前の大名旅行。
美味しい物を仰山食べて。楽しんで。ええ思い出が一杯詰まってるんですね。次回を楽しみにしています。(笑)
返信する

コメントを投稿