ゆるゆる素浪人の「気まぐれ日誌」~ 自己満足とボケ防止に、人生の雑記帳~  

そういう意味で老人の書いた「狼の遠吠え」、いや「犬の遠吠え」と思い、軽い気持で読んで頂けば有り難いです。

朝ドラ」から思い出す「下宿生活」

2010-10-29 06:45:00 | 時事・雑感
現在の朝ドラ「てっぱん」は祖母・初音が経営する下宿を舞台に、
ヒロインあかりと6人の下宿人を絡ませた人生模様が展開している。
それらを見ていると京都・山科での下宿生活を思い出し、
暇に任せて青春時代を回想して見たくなった。

田舎育ちだったので修学旅行以外は県外に出たことは無かったが、
大学は修学旅行で行った京都に憧れ、どうしても受験地は京都と決めた。
当初は法学部を夢見たが親の進めもあり、技術を身に付けるべく薬学の道に変更する。

京都には知人がいなく不安だったが、宇高連絡船を乗り継ぎ夜行列車で京都へ、
迷いながら京都三条大橋付近の宿から受験に通った。
ともかく私立の薬科大学に合格し、目的を達し京都・山科での生活が約束された。
そんな嬉しさが先行して、親の言うままに先輩が使用していた下宿の後釜に、
現地を見ないで電話で即決した。

ところが行って見ると、山科の下宿周辺は雑木林や田園風景が広がり、
工事中の名神高速と新幹線の音羽トンネルや高架橋が交差し、
夜には狸が出没すると言う辺ぴな所だった。
しかも大学までは自転車で15分も掛かり、食事付が条件とのことだった。

私の50年前の下宿生活は下宿屋と言うよりは家族同然の生活で、
家主さんは親代わりのように礼儀作法や躾は厳しく振舞った。
しかし毎日の食事は京料理のご馳走で、田舎者の私は居心地が良かった。
それもその筈で下宿のおばさんは、若い頃には料理屋で働いていたそうで、
本格的な美味しい京料理をマスターしていた。
朝ドラ「てっぱん」の料理上手な祖母・初音を見ていると、
下宿のおばさんと重なって懐かしく思い出す。

そんな訳で通学には不便で遠方だったが、
家族的な雰囲気と美味い京料理に魅せられて、
無精者の私は下宿を変わり難く、4年間お世話になった。

卒業して40年後に元下宿に立ち寄ってみたが、
かつて大石内蔵助が遊んだ牧歌的な山科は、近代的な建物が乱立し、
地下鉄や路線バスが縦横に走り、昔の面影は全く無く大都市に変身していた。

しかもかつての下宿は閉鎖されマンションに建て変わり、
既に下宿のお婆さんも亡くなり、共に遊んだ息子さんが後を継いでいた。
しかし卒後50年、今も息子さんとは年賀状の親交は続いている。


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