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わたしが見た「Number626 日本野球の25人ベストゲームを語る」~イチロー編~

2005-04-29 20:59:51 | Weblog
イチロー選手が選んだベストゲーム
「91年7月28日 全国高校野球選手権愛知大会準々決勝、愛工大名電VS中京戦」

「1991年夏の愛知県大会。愛工大名電の鈴木一朗が残した記録は、28打数18安打、打率.643、ホームラン3本。
 これほどの数字を残したセンス抜群のバッターを、プロが見逃すはずもなかった。」
 
 当時、イチロー選手のプロ入りに関してはオリックス・ブルーウェーブの名スカウトと呼ばれた故三輪田勝利の死に迫った「名スカウトは何故死んだか」(六車護著=講談社)に詳しい。
  同書によれば、イチロー選手に特段の目線をおくっていたプロのスカウトは、三輪田氏ただひとり。その後、競合する球団は現れたもの、その評価は決して高いものではなかった。ドラフト4位の指名が当時のイチロー選手の評価だったのである。
  オリックス球団内部でも、イチローの指名について、反対意見が相次いでいた、と同書は振り返っている。

イチロー選手自身が「僕の運命を変えた」とする、91年の7月28日の全国高校野球選手権愛知大会準々決勝、愛工大名電VS中京戦、そして降雨ノーゲームとなった翌日の再試合、三輪田氏はスタンドで鈴木一朗のバッティングを見守っていたはずである。そして、5回、走者を置いて右翼場外に運んだ逆転ツーランホームランを目の当たりにし、イチロー選手の非凡な打撃センスを確信したのではないだろうか。

 91年、筆者熊猫刑事は音楽業界の小さな事務所に就職。この年、野球観戦に費やす時間は極端に減った。なにしろ、某タレントのライブリハーサルが終わるのは深夜。或いは、テレビ局からタクシー券を貰って帰宅すれば朝方、という日々が連日連夜続いたからである。従って、この年の春のセンバツ高校野球に出場した、鈴木一朗を実際には目撃していない。しかも、愛知県の地方予選に目をやることなど、到底考えられるわけがない。
 だから、悔しい。
 その後の世界の野球を一変させた男の高校球児の姿を目の当たりにしたとき、果たしてどのように感じたのだろうか、と。

 イチロー選手は自身の中学生時の打撃フォームについてこのように語る。
 「当時はボールが当たったらバットを返しなさいって教えられるんですけど、僕は絶対にそれをしなかった。インパクトのあと、手首をそのまま押し出す感じで、バットも手首を返さない。(中略)だって、明らかに人よりうまいんだもん。人よりもダメだったら受け入れたと思いますけど」
 
 オリックス時代のイチロー選手はインパクトの瞬間、バットにほとんど全ての重心を乗せてヒットを量産してきた。メジャーリーガーになってからは、筋力アップに励んだ結果、下半身にも重心を残して打っているが、バットコントロールの天賦の才を武器にひたすらボールを潰すように捉えた後、重心がほとんどない軸足とその膝は一瞬宙に浮くように腕のフォロースルーと並行して動くイメージでフィニッシュする。傍から見ていても分かりづらいが、例えば刀身の長い日本刀を振りかざし、スパっと斬り裂く、或いは剣道においてきれいに胴を打ち抜いたような感覚にイチロー選手のバッティング観は近いのではないだろうか。
  しかも、打った瞬間、イチロー選手が走り出す一歩目が誰よりも早いのは、こうした打撃フォームと手首やバットを返さないイメージと決して無関係ではないだろう。

 だから、バットをこねるような見苦しいフォロースルーも全く見られないのである。
 イチロー選手の打撃フォームの美しさについてはもっと多く語られていいものではないだろうか。
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1 コメント

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TBありがとうございます。 (ムツ兄)
2005-04-29 21:09:37
TBありがとうございます。m(_ _)m

イチロー、昨シーズン正にとんでもない記録をつくってしまい、今年はどうなんだろうという不安も若干ありましたが、問題ないみたいですね。
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