印刷会社を慰労する会が、この時期、毎年開かれる。慰労とは名ばかりで、その実態はコスト削減をお願いする会だ。元請けとしての立場を振りかざしながら、平身低頭に、真綿で首を絞めるようにお願いをする。印刷会社の若い担当者は、あまり意に介すことなく、薦められるがままに、酒を飲んでいるが、長く担当し、取締役の立場を持った人は、既に顔が硬直していた。
一通り、会が終わり、印刷会社の各担当はお土産を持たされ、三々五々帰っていった。一人だけ、放心したように立ち尽くす人がいた。無理もないと思う。仕事とはいえ、彼の立場からすると、受け入れられないことがたくさんあったはずだ。
「飲みに行きますか」。
ボクは彼に声をかけた。
気のきいた居酒屋なら、あそこしかない。アキバ電気街のど真ん中に咲く、「赤津加」。
確か、8月頃から改装工事が行われていたが、それももう終わっただろうか。店に行くと、店舗外観はシートで被われていたが、しっかり営業されていた。賑やかな街を通り、細い路地を入ると、まるで結界に入ったように、あたりはしんとなる。「赤津加」と書かれた暖簾をくぐるときは、もうすっかり異次元にいるようだ。
改装工事というから、あの伝統的なコの字カウンターがどうなっているか、かなり心配したが、カウンターは何一つ変わっていなかった。席も空いており、ボクらは腰掛けた。
ボクはお酒が飲みたかったが、今夜は傷心のMさんの話しをきかねばならない。Mさんの好きなものを注文してもらおうと、Mさんに委ねると、「瓶ビール」と返ってきた。
確か、「赤津加」は、カウンター内のお姉さんが、最初の一杯を注いでくれるんだっけ。あれが、秘かにボクには嬉しい。
乾杯をすると、Mさんはトイレに向かい、そのままこもってしまった。無理もない。
カウンターの頭上には、相変わらず大きな液晶テレビ。名店には似つかわしくないのだが、ここアキバなら仕方ないのかも。いろんな付き合いがあるのだと思う。でも、バラエティ番組を放送するのは、ちょっと。この落ち着いた空間には似合わない。
つまみは、ボクが勝手にチョイスした「鶏もつ煮込み」。「赤津加」といえば、まずはこれだと思う。それをつつきながら、ビールをあおる。カウンターの雰囲気に溶け込みたいが、テレビの雑音に心乱される。
20分後、Mさんはようやく席に戻ってくるやいなや、たまっていた鬱憤を一気に吐き出した。Mさんの言うことは、いちいち尤もだった。今夜は黙って話しをきこう。ボクはとにかく、そう思った。
「瓶ビール」3本目で、Mさんは力尽きた。つまみは、鶏もつの後は、「ねぎねた」のみ。意外に早く決着がついたのは、酔いではなく、気が済んでのことだと思う。
帰り際、Mさんはすっきりした顔をしていた。でも、混乱する気持ちを整理するので、彼は精一杯だったのだろう。「赤津加」に関して、Mさんは何も言及しなかったし、ボクが支払ったお代のお礼もなかった。
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