新木場は寂しい駅である。東京のウォーターフロントは一見華やいだ雰囲気があるが、そればかりではない。光と影のコントラストがこれほどはっきりしているのは、人が人工的に手を加えた街だからであろう。
新木場の駅を降りると、木の臭いが鼻腔をつく。これは、むしろ木場の駅を降りるよりも顕著だ。だが、木場は江戸の風情を残しているにも関わらず、新木場は無機質である。
新木場の駅ビルにはかろうじて店が数軒入っている。これが新木場の中心街。居酒屋も2軒だけ。
かつて「丸惣2」という店を訪問した。立ち飲み感覚の気軽な飲み屋だった。そして、もう1軒が「鳥やぶ」という焼き鳥屋だ。この店、16時に入店してみると、驚くことに店はほぼ満員。
ていうか、「丸惣2」も早い時間から開店しているのに対し、「鳥やぶ」も17時を待たずにオープンしているというのが素晴らしい。この寂しげな街で、そういったニーズがあるというのも驚きである。
満員御礼の店だけに、カウンターに座ったわたしの期待は自ずと高まる。
だが、「生ビール」を頼んだ時点で、わたしの期待はかなりしぼんだ。
小さなジョッキのくせに値段は520円もする法外な値段だからである。全ての値段は人件費に左右されている。この事実はあらゆる業種に共通するものだ。人件費を設定するのは店側が決めること。当然ながら、そのコストに見合ったパフォーマンスをしなければ、客は納得できない。
この「鳥やぶ」、地代はともかく、人件費が高いのだろう。その一角になっていると思われる店のおばちゃんが、とにかく不愉快だった。
居酒屋というサービス業にありながら、客に、いや少なくとも自分にたいしてあまりにもぞんざいなのである。何を怒っているのか、言葉の端々にいちいち棘を感じてしまうのだ。
例えば「煮込み」(480円)を注文する。
「うん」とも「すん」とも言わずに伝票に書き込む。
「もも」と「ハツ」をそれぞれ頼む。
やはり、無愛想にわたしの目も見ないでおばちゃんは伝票を手に取る。
料理はしばらく来ない。
10分経ち、15分経ち。その間「生ビール」を2杯も空にしてしまった。
ようやく、頼んだものがわたしの目の前に出されても、おばちゃんは何も言わずに業務的にわたしの目の前にそれを置いた。
あまりにも寂しくなった。
お金を払いたくなかった。
何も食べずに店を出てしまおうかとも思った。
この態度は、一見たるわたしだけなのか。周囲にいる多くの客はなんとも思っていないのか。
こんなお店にお金を落としていく必要はない。
わたしは、急いでつまみを食べて店を後にした。
GWは如何お過ごしですか、私はGWを避けて前後に旅に行き連休中は空いている都内のホテルのGWサービス中のラウンジやビュッフェに行っての~んびりと過ごすことにしています。
今日も雨模様、日本庭園のあるホテルのラウンジで新緑の池に広がる水模様を眺めて旨い酒に酔いたいものです♪
おはようございます。
GW、堪能されていますか?
わたしはゴロゴロとしています。
お酒も飲まず。
ホテルのラウンジ。
ティコさんらしいですね。
連休の後半、天気もよくなれば、外に出て酒散歩もいいですよね。