9月2日、江戸川セントラルリーグ公式戦。
ダブルヘッダー第1試合、対弾丸ライナーズ戦。
4番左翼でスタメン。
無死1,2塁で巡ってきた初回の打席。初球を思い切って強振すると、無様なくらいにバットは空を切った。
投球はスライダー。タイミングを直球に合わせており、完全に顔が空を仰いだ。
焦っていた。
ここのところ、安打はもとよりバッティングの形すら作れていなかったからだ。
その前日、広島カープ、前田智徳選手の2000本安打をテレビで観て、おおいに勇気を貰った。
その気持ちで打席に立てば、きっとスランプを克服できるだろう、と。
だが、初球の空振りでそんな気持ちも頭の中から吹っ飛んでしまった。
打席に立つ前にイメージしていたことがある。
基本に忠実に「中堅返し」に徹しようと思った。
だが、これで迷いが生じた。
タメがどうしても作れない。
そのため、好機で巡ってきた1打席目は見逃しの三振。
2打席目は平凡な2塁ゴロに倒れた。
試合終了後、すぐさま行われたフィッシュマンズ戦でも、その不振を引きずっていた。
初回の1死1,3塁の好機、タイミングの取り方は悪くなく、ファールでクサい球をカットしたりしていたが、結局三振。しかも見逃しで凡退した。
結局この後、死球、2塁ゴロといいところなく、試合を終えた。
チームも連敗。4番の熊猫、チームに全く貢献できずに球場を後にした。
当然ながら打率も急降下。とうとう、3割を切って打率争いから大きく後退している。
チームの勝利か、個人成績か。
このテーマに、今熊猫の気持ちは揺らいでいる。
確かに、打てば打つほど、チームの勝利が近づくことは間違いない。
その点では、個人成績とチームの勝利は無関係ではないだろう。個人があって、その次に組織があるわけだから。
だが、野球というスポーツがチームを組織している以上、「一人は皆のために、皆は一人のために」であるのも間違いない。
現在開催されているラグビーワールドカップを観ていると、その言葉を痛切に感じる。
それでは、果たして自分の場合はどうだったのか、と。
余りに利己的にプレーしてはいなかたっか。
余りに気持ちが傲慢でなかったか。
その気持ちが、この不振を呼び寄せたのではなかったか。
あれは近藤唯之さんの著作だったか。
野村克也氏(現東北楽天イーグルス監督)が引退を決意したという試合のエピソードを読んだことがある。
西武ライオンズの捕手として選手生活の晩年を過ごしていたある試合で1死3塁の好機がチームに巡ってきたという。
代打が送られる局面だったらしく、控え捕手としてベンチを温めていた氏は、「当然、自分に出番が回ってくる」と考えていたらしい。
だが、ピンチヒッターは別の打者が指名された。
そのとき、野村氏は生涯初めて「打つなよ」と願ったという。
チームメイトに対し、妬んだ気持ちを抱いたことで、「そう考えるようになったらお終い」と氏はその思いを巡って引退を決意した、とその本には書かれていた。
チームが同じ方向を見ていなければ、組織が一丸になることはない。
そして、わたしも試合中に、野村氏と同様の思いに捉われることさえあるのだ。
要するに傲慢なのだ。
打率ばかりを気にしているから、「打ちたい」と言う気持ちが強くなる。
チームに貢献したい、という気持ちのプライオリティはずっとずっと低い。
そもそも、そんな姿勢で野球をしているから、ちっともゲームを楽しめていない。
人の親となったのに、いつまでもわたしは成長していないのだ。
もう少し、真摯にプレーしよう。
そうすれば、余計な力も入らなくなってこよう。
肩の力を抜いて楽しく野球することを考えさせてくれたという点で、このスランプは野球の神様が授けた試練だったのだろう。
※動画は8月26日の早朝練習の模様
ダブルヘッダー第1試合、対弾丸ライナーズ戦。
4番左翼でスタメン。
無死1,2塁で巡ってきた初回の打席。初球を思い切って強振すると、無様なくらいにバットは空を切った。
投球はスライダー。タイミングを直球に合わせており、完全に顔が空を仰いだ。
焦っていた。
ここのところ、安打はもとよりバッティングの形すら作れていなかったからだ。
その前日、広島カープ、前田智徳選手の2000本安打をテレビで観て、おおいに勇気を貰った。
その気持ちで打席に立てば、きっとスランプを克服できるだろう、と。
だが、初球の空振りでそんな気持ちも頭の中から吹っ飛んでしまった。
打席に立つ前にイメージしていたことがある。
基本に忠実に「中堅返し」に徹しようと思った。
だが、これで迷いが生じた。
タメがどうしても作れない。
そのため、好機で巡ってきた1打席目は見逃しの三振。
2打席目は平凡な2塁ゴロに倒れた。
試合終了後、すぐさま行われたフィッシュマンズ戦でも、その不振を引きずっていた。
初回の1死1,3塁の好機、タイミングの取り方は悪くなく、ファールでクサい球をカットしたりしていたが、結局三振。しかも見逃しで凡退した。
結局この後、死球、2塁ゴロといいところなく、試合を終えた。
チームも連敗。4番の熊猫、チームに全く貢献できずに球場を後にした。
当然ながら打率も急降下。とうとう、3割を切って打率争いから大きく後退している。
チームの勝利か、個人成績か。
このテーマに、今熊猫の気持ちは揺らいでいる。
確かに、打てば打つほど、チームの勝利が近づくことは間違いない。
その点では、個人成績とチームの勝利は無関係ではないだろう。個人があって、その次に組織があるわけだから。
だが、野球というスポーツがチームを組織している以上、「一人は皆のために、皆は一人のために」であるのも間違いない。
現在開催されているラグビーワールドカップを観ていると、その言葉を痛切に感じる。
それでは、果たして自分の場合はどうだったのか、と。
余りに利己的にプレーしてはいなかたっか。
余りに気持ちが傲慢でなかったか。
その気持ちが、この不振を呼び寄せたのではなかったか。
あれは近藤唯之さんの著作だったか。
野村克也氏(現東北楽天イーグルス監督)が引退を決意したという試合のエピソードを読んだことがある。
西武ライオンズの捕手として選手生活の晩年を過ごしていたある試合で1死3塁の好機がチームに巡ってきたという。
代打が送られる局面だったらしく、控え捕手としてベンチを温めていた氏は、「当然、自分に出番が回ってくる」と考えていたらしい。
だが、ピンチヒッターは別の打者が指名された。
そのとき、野村氏は生涯初めて「打つなよ」と願ったという。
チームメイトに対し、妬んだ気持ちを抱いたことで、「そう考えるようになったらお終い」と氏はその思いを巡って引退を決意した、とその本には書かれていた。
チームが同じ方向を見ていなければ、組織が一丸になることはない。
そして、わたしも試合中に、野村氏と同様の思いに捉われることさえあるのだ。
要するに傲慢なのだ。
打率ばかりを気にしているから、「打ちたい」と言う気持ちが強くなる。
チームに貢献したい、という気持ちのプライオリティはずっとずっと低い。
そもそも、そんな姿勢で野球をしているから、ちっともゲームを楽しめていない。
人の親となったのに、いつまでもわたしは成長していないのだ。
もう少し、真摯にプレーしよう。
そうすれば、余計な力も入らなくなってこよう。
肩の力を抜いて楽しく野球することを考えさせてくれたという点で、このスランプは野球の神様が授けた試練だったのだろう。
※動画は8月26日の早朝練習の模様
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