入院から、まる1日経った2日目の午後のことだった。
それまでわたしは、寝たり起きたりしながらベッドに横になっていた。時間の感覚などない。時計を持っていなければ、今が何時なのかもわからなかった。病室に窓などなく、外の世界とは完全に隔絶されていた。
3分置きに往復していたトイレは少しずつ収まりつつあり、30分に一度トイレに駆け込むくらいにまで回復した。
相変わらず、点滴を打つだけで、何も口に入れずに過ごしていたが、それでも出るものは出るのである。もうひとつ不思議だったのが、全く空腹を覚えず、また喉の渇きも感じなかったことである。
ともあれ、少しずつ落ち着きつつあったわたしに、思いがけない見舞客が現れた。
それは見覚えのあるインド人だった。
「やぁ、ジャパニ」。
馴れ馴れしく病室に入ってきたのは、やや小柄だったが、眼光が鋭く、どちらかといえば近寄り難い、わたしよりも少し年上に見える男だった。
見覚えのある男だ。そう確か、わたしが宿泊したゲストハウスのフロントの男だった。
「やぁ」。
わたしは力なく返した。
「どうだ。具合は?」
彼は病室の壁にもたれかかって、わたしに尋ねた。
「あまりよくない」。
わたしはそう答えるのが精いっぱいだった。
「きっと、インドの暑さにやられたんだ。よくあることだよ」
彼はそう言って、わたしを慰めてくれた。
しかし、ゲストハウスの男がわざわざ見舞いに来てくれるというのも嬉しい話である。余程のことがなければ、こんなことはしないだろう。
「どうしてここに?」。
わたしは率直に彼に尋ねた。
「俺と相棒で病院に運んできたんだから。心配だったし、お前も心細いだろうと思って」。
そうか、わたしを病院に連れて行ってくれたのはこの男だったのか。
「それは本当にありがとう。助かったよ」。
「No problem」。
彼は、当然さと言ったゼスチュアを交えながら、わたしに言った。
「わたしの荷物は無事かい?」。
わたしは気がかりだったバックパックのことを訪ねた。わたしの全財産がバックパックに入っている。
「あぁ、もちろん大丈夫だ。部屋にある」。
と言って、彼は微笑を浮かべながら、ポケットから煙草を取りだし、マッチで火を点けた。そして、おもむろにもう1本煙草を取りだすと、わたしにそれを薦めた。
わたしは何の迷いもなく、それを受け取り、彼が起用に点けてくれたマッチの火ダネで煙草に火を点けた。
2日ぶりの煙草だったが、随分久しぶりの喫煙のように感じた。煙草がおいしい。
起き上がって煙草を吸うほどにわたしは元気になっていることを実感した。
「思ったよりも元気そうで良かったよ」。
煙草の煙を吐き出しながら、彼はそう言った。
「ありがとう」。
わたしも同じように煙とともにそう口にした。
すると病室のドアが開き、例の看護師が入ってきた。彼女は病室が煙草の煙が充満していることに気づくと、開口一番、ものすごい剣幕で、声を発した。ヒンドゥ語で放たれた言葉だったが、ゲストハウスの男がたじたじになりながら謝っている様子を見て、病室は禁煙で、喫煙していることに注意をしているようだった。眼光の鋭い、喧嘩っぱやそうなこの男もただただ平謝りで、その姿を見て、わたしは笑った。だが、わたしも煙草を吸っていたのである。看護師は次にわたしに対し、毅然としkた態度で「No smoking!」と2回言った。確かにたじたじになりそうなものすごい剣幕だった。
彼は看護師に怒られたのを機に帰り支度をはじめた。そうして、ドアの手前で振り返り、「また明日来るよ」と言った。
わたしは「サンクス」と言うのが精一杯だったが、それよりもまだ知らぬ彼の名前をようやく尋ねた。
彼は簡潔に名前を名乗った。
「サリーム」。
言い終わるのとほぼ同時に病室の白い扉は閉じた。
師は良い人達とたくさんこの旅でも会ってるね。っていうか、日本も含めて、世界にはたくさんの良い人がいるんだなと、旅をすると思うような気がするよ。
ちなみに、何も食べていないのに、出るもんは出るというのは、○んこの成分は、俺らが思ってる食べ物のカスがほとんどなのではなく、水分が70%前後、腸粘膜の細胞が15%前後、腸内細菌が10%前後、そして、食べ物のカスはなんと5%ほどだからというのが理由らしいよ。
さてこの後、回復した師はサリームと友達になるんじゃないかと思ってんだけど、どうなるかな。
何も食べていないのに出る構造には驚きだね。
食べ物は5%か。
でも、インドはうんことの闘いでもあったね。
いろんな意味で。