小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

心の本体と自然

2022年11月13日 | 日記

看護士さんが起床時間を知らせてくれる。今日は特別に気持ちのいい朝ですよ、ラウンジに行かれたらいかがですか、と。屈託のない男性看護士の声に背中を押された。

車椅子に乗った女性と、男女が間隔をあけて体を動かしていた。誰かのスマホからラジオ体操が聴こえてくる。一緒にいかが、気持ちいいですよと声をかけてくれた。

屈伸したり、アキレス腱を伸ばしたり、手を伸ばして深呼吸をする。体は重く、動きもぎこちない。満足感とはいえないが、ゆとりみたいなものがあった。今に見ていろと、柄に合わないことを思ったりする。

家では妻が色々なことをしているらしい。ドアのサッシまで綺麗にしている。体力と免疫がガタ落ちで帰宅するのだから、清潔で過ごしやすい環境が必要です、と。メールを読むだけなので、感情の起伏は少なくていい。妻の支えは、何はなくとも桃屋のあれか。

余計なことを書きたがる性質は健在である。お後がよろしいようで。

本体の中に心はある。心のなかには自然がある。太陽がある。砂漠に生まれたら、太陽とつねに対峙しなければならない。日本は、山があり緑が多い。水も豊かだ。心のなかに自然があるという感覚、情緒性は、日本人なら自ずから芽生える。当たり前のようだが特別なことだと考えてもいい。強い力を持たなくても、数で勝負しなくても、この国は過ごしていける。

 

 


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