小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

異常事態からの投企② ウィルスと自然

2020年04月08日 | エッセイ・コラム

考えてみれば、ウィルスも自然の一部なんだ。

このフレーズは「考えてみれば、人間も自然の一部なんだ。」が元ネタとなっている。若い頃コピーライターをめざす動機付けになった、忘れられないキャッチフレーズだ。広告主はキューピーマヨネーズ。メッセージ力のある文章を書いてそれが仕事になる、広告文案家(コピーライター)という職業に憧れた。自分なりに調べてみたら、書いた方はA氏という業界では有名な方だった。当時、めきめき頭角を現していた糸井重里さんよりも上の世代。「男は黙って、サッポロビール」というA氏のコピーは、高度成長期には一世を風靡した。

さて、広告業界に入って7,8年たった頃だろうか、「考えてみれば、人間も自然の一部なんだ。」というコピーは、宮沢賢治からの引用だったことがわかった。賢治の童話、詩作品は数年ごとに反復するマイブーム。その延長で農業関連のエッセイを読んでいたら、この文言を発見したのだ。フレーズそのままをそれこそコピーした、キューピーマヨネーズの意匠広告。賢治の思想を反映させたとはいえ、ちょっとショックを受けた。

(但し、賢治を模倣したコピーではなく、偶然の一致だったかもしれない。当時、自分の考え、オリジナルなコピー制作にこだわっていた小生。先達の優れた文章、言葉の模倣や二番煎じは避けたいと思っていた。)

ところがである、話はまだある。

それから10年後ぐらいたったか、たぶん『仏陀のことば』か、何かの経典だったかも知らん。そのなかに「考えてみれば、人間も自然の一部なんだ。」というフレーズを発見した。そのときは、驚くというより妙に得心した。あの賢治も、盗用とか模倣という意味合いの引用ではなく、仏陀の発した言葉を素直に受け入れた言い回しに過ぎない。

人間の卑小さはもちろん、「自然」というものに対する人間の位置、大きさを端的に表した言葉。それが「考えてみれば、人間も自然の一部なんだ」という仏陀による叡智なる言葉であり、人間と自然との関係の「未来」を示唆している。アニミズムに近い「自然」への敬服、畏れの感覚かもしれない。ユダヤ教など一神教とは相反する、「自然」に対する向き合い方である。

 

さてさて、「考えてみれば、ウィルスも自然の一部なんだ」についてだった。

現在猛威をふるっている新型ウィルスによる感染病は、有史以来さまざまな病原体によって人間を脅かしてきた。大雑把には、寄生虫、細菌、ウィルスの3種類が主たる感染源であり、その宿主はほとんど動物由来、自然に属している。ペストはネズミ、天然痘は豚、インフルエンザは水鳥など、炭そ菌やボツヌリヌス菌なども動物由来のものだ。麻疹は、はじめて人間と友達になった「犬」を宿主とするウィルスだった。これを知ったのは、W.マクニールかJ.ダイアモンドだったか。

端的に言いたいことを書く。

「人間は自然の一部」という定言乃至イディオムは、少なくとも西洋人いやイスラームの人々には到底理解できないことだと思う。そのことを前回ちょっとふれたデスコラの思想と合わせながら、自分なりの考え方を深めてゆきたい。

「考えてみれば、ウィルスも自然の一部なんだ」。これは、地球史で考えれば理解できる。この摂理を宗教のフェーズで考えようとすると、怖い話になる。なぜなら、自然は神がつくったものだから。この時点で、人間と自然は同一のフェーズに位置し、自然を制御し、利用することは神の意志に沿うものとなる。

自然を開拓し、つまり森を切り開く。農耕と定住、そこで家畜を飼うという牧畜が芽生える。分業の始まりだ。そのプロセスのなかで、つねに自然は人間に都合よく「蹂躙」されたのだ。でも、そのかわり前述した寄生虫、細菌、ウィルスがもたらす感染病と闘い、免疫システムや抗体をそなえるようになった。科学・医学はここから始まったといっていいか。

▲ふつう、ウィルスの大きさを塩1粒とすると、人間の細胞は50F高層ビルの大きさか。これは、2003年に発見された巨大ウィルス。ウィルスは生物でも、物質でもない。どっちなんだという疑問に、人間はまだ明確な答えをだせない。

 

▲『ロビンソンクルーソー』を書いたダニエル・デフォーの『ペスト』。17世紀イギリスのペスト禍を、死者数の推移を追いながら克明に記述している。その筆致は、現代のドキュメンタリーをも凌ぐ。

ただし、デフォーの幼少の時のことで、1660年ロンドンの4分の1の人口がペストで死んだことを題材にした。事実に基づくが、デフォーが当時の資料を読み込んで再構成した、限りなきフィクションに近いノンフィクション・ノベルであろう。ラテン語の「死を想え(メメント・モリ)」がイギリス文学にも色濃く定着した時期だ。当時、20年ごとにペストが流行したという。その極限状況は、現在あるいは未来を見通したものなのか、あまりにも情況が近似し、そして怖い。

デフォーは、シェイクスピアと同時代であり、読んではいないのだが『失楽園』を書いたミルトンとも同時代人である。なお発表時には、デフォーは叔父であるヘンリー・フォーなる名前を使った)[20,4.20 作品成立時のことを追加補足した]

 


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