小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

誕生の日に

2016年10月21日 | 日記

 

66歳になって(10月19日)


いっさいの予断を持つな。未来のこと、過去のことに心を悩ますな。今現在のことに使っている理性を最大に活かせ。ものごとの結果や原因の中へ心を振り向けよ。人の話をよく聞くために渾身の注意を払え。人の助けを乞うことを恥じるな。感謝する心をつねに携えて行動せよ。たとえ非難や憎悪の声をきいても、甘んじて受け入れよう。彼らの魂にふれ、彼らの振舞いを判断せよ。自分の内なる善を信じよう。善意の泉がこんこんと湧出るように心を鍛練し、日頃の行いを省みよう。ソクラテスが大衆の意見を「ラミア」(※)と呼んだが、人々の考えや意見に軽々に同調するな。また、引きずられることなく、自分の足で立って考えよう。だからといって市民的理性を遠ざけてはならない。

自然のなかの生きとし生けるものを愛せ。色や光、ときには翳や鬱蒼としたものにまで目を向けよ。私の「分」として与えられている環境において、知と情の調和を「自己」のなかにつねに見出させよ。

自身のメメントモリのために。



追記
このところ早く起きて墓地を抜け、上野公園まで歩いている。帰りは弁天様から不忍通りへのルート。今の時季だけかもしれないが・・・。

                                

 
(※)マルクス・アウレリウスの「自省録」にあった。ラミアとは「人肉を食する架空の怪物」と注にある。「自省録」は私の枕頭の書の一つである。ローマ皇帝が著わした書物だが、カエサル(シーザー)の「ガリア戦記」と正反対の著作である。アウレリウスはその半生を、蛮族の侵略からの闘いのために前線にいたにも関わらず、戦争の記録や戦いの記憶などを一切書きのこすことはなかった。
祖父のアントニウス・ウェールス2世からは「清廉と温和」を、父アントニウス・ウェールス3世(アウレリウスが3,4歳頃早逝)からは直に聞くことはなかったが「慎ましさと雄々しさ」を、母からは「神を畏れること、及び惜しみなく与えること。悪事をせぬのみか、これを心に思うことさえ控えること。また、金持の暮らしとは遠くかけはなれた簡素な生活をすること」と、家族についても冒頭に軽くふれられているだけだ。
養父である前皇帝のアントニヌス・ピウスから教えられたことについても、「温和、熟慮と決断、その約束を守りとおすこと、公益と公平、人々の声に耳を傾けよ」などと、ヨーロッパのほとんどを支配した権力者らしからぬ訓示めいたことを書き残している。たぶん自分のために、自分が書いたとしか思えない。
戦いのさなかにも、野営地での静かな瞑想と、深い思索を巡らしたと言われる。今でいうところの「神ってる」皇帝なのである。さてさて、この年齢になっても「自省録」を手放せないのはなぜか。
 
 
▲マルクス・アウレリウス家はトライアヌス、ハドリアヌス帝と同じくスペインにある属州の出身である。マルクス・アウレリウス本人はローマで生まれた。父と祖父が同姓同名であり、幼名も祖父名を引き継いだこと、また養子になって改名したことで歴史書にも多少混乱がみられる。「自省録」の注釈にしても厳密さが薄く、アウレリウスの出自をかん違いする人もいる。
 
 

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