小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

政治家のいない世界

2005年09月09日 | エッセイ・コラム

 この世にいつから政治家が存在したのだろう。
ギリシャ時代から政治家らしきものはいたらしいが、ソクラテスやプラトンらが、彼らの論理的誤謬を完膚なきほど叩きのめすほどの、「哲学」を練り上げる。
 それは普遍的な原理であり、倫理であった。

 しかし一方、政治家らしき輩は、国家権力の配分を受けた強者である。ソクラテスを死に追いやったのはやはり政治家であった。

 民主主義は政治家をつくる。私達が選んだ代表である。
 民主主義の功罪はともあれ、現代にあってもその機能と影響は私達の生活の隅々に及んでいる。現代の政治家は果たして、本来の役割を全うしているのだろうか。

 政治家は何もしない。ただ喋るだけである。身体的には人と会い、話すだけの職業である。ものをつくるとか、運ぶとか実質的な作業はほとんどしない。もし政治家が人々の耳目を集め、尊敬されるとしたら、彼らの話す事柄が、これまでの歴史を通底する「知の経験」を踏まえ、未来に向かって確かな指針を語る時である。そのような人はいない。

 特定の支持者だけに利益を誘導する、或いは権力の配分を供する政治家は、日本では有能でありプロフェッショナルとされてきた。
 その意味では政治家は、私達の分身である。
 誰もが合理的な自然状態のなかで、経済的な充足と身の安全を求める。
 私たちは政治家にそのほとんど委任してきたわけだが、その状態をこのまま継続することに「ためらい」が生じてはいないか。

 誰か政治家のいない世界を考えている人いないのか。
 アナーキズムではなく、民主主義という制度のもとで、私達が全員で関与できる政治というものは実現できないのだろうか。
 選挙のことを思うと、なんか憂鬱になる今日この頃である。


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