小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

一年目にして、再び思うこと

2017年07月28日 | 日記

 

 

2日前にアップしたかった記事を今日載せる。途中で論旨が乱れ、読むに値しないものとなった。しかし、どうしても伝えたいことをまとめ、精一杯のメッセージとしたい。この事件後の影響は深刻であり、障碍者に対する差別や偏見をさらに深くさせ、私たち日本人の日常的な意識をも亀裂させた。カウチ・ヒューマニズムだろうが、高齢弱者だろうが、思うことをここに書き遺す。

 

相模原市の障碍者施設「津久井やまゆり園」での殺傷事件から一年。犠牲者への哀悼の意をしめし、被害者やご家族ならびにすべての障碍者の皆さまの心中をお察し申し上げます。ありきたりの言葉ですが、魂をこめて祈りをとどけます。


植村聖という一人の特異な男による犯行は、いまだに忘れることのできない凄惨なものだ。一年を過ぎた今になっても、障碍者のすべての方は、そのショックと恐怖を解消できていない。そして、なによりもこの事件は、「ふつうに生きたい」という日本人がもつ「あたりまえの感覚」を断裂させた。「役に立たないものは、ふつうではない。社会のゴミだ」という理不尽な強迫観念をも蔓延させた。

役に立つ、役に立たないの境界はどこにあるのか。「社会の役にたっているという証拠をみせろ」と問われたら、貴方はどう答えるか。役に立っていると堂々と答えられる人は、何をしてそう言えるのか教えてほしい。障碍者をサポートする人たちは、「役に立たない人のために役に立っている」と答えればいいのか?

「意思疎通のとれない人間を安楽死させるべきだ」と犯人の植村は手紙に書いているそうだ。今もなお、人間を社会における有用性、機能性などの観点でしか考えていない。しかも、殺傷した事実を誇り、それが社会に役立つ殺人だったという異常なる正当論を主張しているという。

それも痛切の極みだが、刃物で真の弱者を殺めたという重い事実を忘れたいのか、「殺す」から「安楽死させるべきだ」という主張をしはじめた。この期に及んでますます痛ましく、狡猾な男である。ヘタレのこの私をして刺し違えてやるぞという気持ちにさせる。怖ろしいことだ。植村の、障碍者に対する歪んだ理解、偏見はまさに岩盤のようだ。

彼はやはり意思疎通という社会的相互行為の本質的なメカニズムと効能を知らない。また、生まれてきたら自然に体得するであろう「罪悪感」さえも喪失してしまっている。彼の生まれ育った環境や、発達・成長の個人史なるものを、私は詳しくはしらない。だが、教員をめざして大学に入ったこと、障碍者を慮っての体験学習したことなど、ごく普通の青年らしい生活をおくっていた報道もあった。

「社会の役に立たないものは生きている価値はない」、「高い金をかけて、障碍者が生きる価値はあるのか」などの思想・物言いは、3年間も障碍者施設で働いてきたなかで、彼がどういう理路で作りあげ構築してきたのか。ほぼ一年前にも私は、人間をただ<効用価値>の面から、業績の面からのみ評価する、ナチズムの優生思想との関連について書いた。(「どうしても、まだ拘る」2016・8/5) 

多くの言葉を費やし、研究者の声を集め、ホロコーストをくぐり抜けてきた哲学者の助けを借りても、私はいまだに「優生思想は社会的弱者を排除する」以上のことをいえない。いかにそれが邪悪であり人間を不幸にするか、感情論でしか訴えることしかできないのだ。

ヘイトクライムにしても感情論であるが、それは実力を伴なえば人間を差別し排除する。街の一角だろうが、インターネット上だろうが、ヘイトスピーチを公言して憚らない人々が集まり、団結すれば実質的なパワーをもつ。ナチスもワイマール憲法の民主主義を悪用して「優生思想」の支持者を増やしていった。

社会の役に立つ者を優先する、社会の負担なるもの、効用のない者は排除する。そんな考えに同調するものは、やがて差別主義と優生思想で理論武装するようになる。明日にでも、第二、第三の植村を生みだすだろう。

この世に産まれたすべての人に、生きる歓びがあり、生きる尊厳が与えられている。私たちと障碍者のあいだに区分はない。老若男女のだれもが明日にでも障碍者になりうるし、誰もが若くして認知症になる可能性もある。誰もが社会的な弱者になるという現実がある。

その現実をまえにすれば、想像力なんかいらない。困っている人がいれば助ける、目の前に苦しそうにたたずむ人がいれば、手を差しのべる。それがふつうの人間であろう。自分には助けられないと思えば、誰かに頼めばいい。社会の役にたつという意識でボランティアをやる人はいるだろうし、役に立たないと思ったらその場から去っていく人もいるだろう。社会ではない、人なのだ困っているのは・・。


以上


あからさまな差別的言動のトランプがアメリカ大統領候補になったことを機に、植村聖は背中を押されるように犯行に及んだという。驚くことに植村聖に同調するもの、その言を支持するものが増えている。トランプ大統領の発言に便乗した差別主義者が、植村を追随、信奉している。こうした風潮をなんとしても食い止めなければならない。



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