小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

デフリンピックはじまる

2017年07月19日 | 日記

 

 

身体障碍者のための世界陸上、「世界パラ陸上」はいま開催されていて 、BSや民放でも短時間ではあるが放送されている。3年後には東京でオリンピックはもちろんパラリンピックが開催されるわけだから、身障者スポーツは今後も注目し続けられるだろう。

さて、「デフリンピック」なるものが存在することをご存じであろうか。私は、つい最近、あることがきっかけで知ることになった。

「デフリンピック」(Deaflympics)とは、「ろうあ(聾唖者)」(※)のためのオリンピックのことをいう。1924年、フランスから始まり、実はパラリンピックよりも歴史が古いのだ。4年に1度の開催で、1949年から冬季大会も開催されるようになった。

その「デフリンピック」がまさに、昨日7月18日からトルコのサムスン(黒海に面したトルコの中央部の都市。オスマントルコ崩壊後、近代化の父といわれたアタチェルクによる祖国解放戦争がここから始まった記念の地である)で開催されることになった。

 NHKのウェブニュース、(開会式の模様、動画もあり)http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170719/k10011064531000.html

            

▲開催国トルコのデフリンピック・デザイン&日本代表のデフリンピック・デザイン  

 

なぜ、聾唖者のためのオリンピックだけが独立して、世界で開催されているのか詳しくは分からない。耳が聞こえない、話すことが困難だという障碍は、身体的な障碍をもつ方より、スポーツするハードルは低いといえる。それゆえにパラリンピックには吸収されず、独自の途を歩んできたのかもしれない。

なぜ、この「デフリンピック」について、この私が書いているのか。

実はいま、手話の勉強をしている。今年の4月から、区が主催する講習会に夫婦で通うことになった。動機は、手話に興味があったという単純な理由からだ。初級講座に応募したら運よく受かった。暇だからといえばそれまでだが、人生は死ぬまで勉強である(?)

週に1回2時間の講習で、10回ほどのレッスンを受けたところ。なので、簡単な挨拶や自己紹介ほどのレベルで、よちよち歩きの赤ちゃんクラス。手話が使えるという段階に達するには、1年はかかるだろう。寄る年波に勝てず、物覚えが悪い。先が思いやられるが、なんとか食らいついて通っている。多くの方が女性で、断然私よりも若い(同世代は3,4名いるかな)。(20名ほどの受講者のうち、男性は私を含めて二人のみ。同年齢の方)


私たちを教えてくれる講師は3人いて、主任講師と補佐の方がいて、ふたりは聾唖である(発声はあるのだが、私には聞き取れない)。もう一人の先生は手話を使えて、講師が教えてくれる手話を同時通訳してくれる健常者の女性である。

しっかりした陣容で私たちに手話の手ほどきをしていただいているので有難い。

さて、主任講師の粟野さんは、日本聾唖連盟の理事であり、なんと今回の「日本デフリンピック」の総監督でもあったのだ! (当初、デフリンピックについて、私たちは知らされていなかった。というわけで、2週間ばかり粟野さんは日本を留守し、代理の方から教わっている)

手話の主任講師、粟野達人先生。デフリンピックの総監督として読売新聞の取材を受けた。


▲日本選手団の壮行会にて

デフリンピックの公式サイト⇒http://www.jfd.or.jp/deaflympics/


(※)聾(ろう)とは、聞くことができない人。聾唖(ろうあ)とは、聞くことも話すこともできない人。昔は、音声言語を獲得することが不可能だったため、「耳が全く聞こえない」ならば「しゃべれない」という宿命にあった。しかし、現在は、口話法・高性能の補聴器・早期訓練などによって、訓練すればある程度はしゃべれるようになるといわれる。また、手話を使えば話すことができるという意味で、聾唖という言葉よりも、聾(ろう)という言葉が一般に使われるようになった。(かつて大昔には、聾学校もなく手話も使えない方がいたし、貧困から通学できない方もいたという)。後天的に、難聴からやがて耳が聞こえなくなった人がいる。なかには、不自由なく話せることができるのだが、「ろう者」だといえる。



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