小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

草臥れても、朽ちぬように

2020年09月28日 | 日記

くたびれる 疲れて草に臥す意の当て字だそうな。漱石も使ったような漢字に思えるが、語源はいつごろなのか分からない。(調べたら『詩経』からだった。ネットでは諸説あり)

今では着古した服や使い倒した靴・鞄なんかにも「草臥れた」なぞという。もちろん大きな声では言えないが、人間にも使ったりする。「くた」は、憔悴する意の「くたばる」のくたと同じで、「くつ(朽つ)」「くたす(腐す)」と同源だそうで、語感からして良いイメージはない。

汗水たらして死ぬほど働いてきたとは言えない小生である。今もなお人前で「草臥れた」なんぞ言えるはずもない。いやいや傍からみれば、どこから見ても「朽ちかかった」爺さんにしか見えないだろう。

さて、どうだろうか、「草に臥す」という当て字は、たいへん洒落ていて、雅で品がある。さすが『詩経』を知った人でないと、この字を当てられない。中国の詩仙が山里をずっと歩いて来、疲れて道端の草の上で足を投げだすイメージか。

草いきれのする空気を吸い込んで一句詠んでみようかと、朽ちかかった愚生も俳人を気取ってみたくなる。もう止めよう、戯れ言を書き連ねるのは。

颱風は避けてくれたのだが、こちらでは低気圧がずっと居座っていた。今朝は早くから青空が見え、予報では一日青天とのこと。暦のうえでは秋分なのだから暑くも寒くもなく、まず気持ちの良い二十四節気のひとつである。久方ぶりのお天道様の下、こんな日の洗濯はまことに爽やかだ。まあ、これが言いたいがために書きはじめたともいえる。

有志が主催する俳句グループに投句していて、それにイラストをつけてもらった。それが嬉しいこともある。

▲通算330号とは知らなかった。主宰は二代目だと聞いており、積年のご精励に敬意を表したい。

 

最近、作句したものを記載する。

花木槿母の絆の形見とて
蚊を潰す赤き牛酪ぞ処暑の夕  (牛酪=バター)
月昇る果てに眠らむ窓越しに
日は落ちて海山想ふ蟋蟀や
朝寒や水面静謐吾の魚ら

▲このメダカは近所のお寺さんのです。

 

 


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