小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

一年ぶりのキキオン

2008年02月03日 | 音楽

1月27日、吉祥寺Mandara2にいく。

 

約1年ぶりのキキオンのライブ。久しぶりに3人だけの演奏だった。新しいCDの発売記念ライブでもある。

 

最初は対バンの喜多直毅(vio)、北村聡(ban/neo)、黒田京子(pia)トリオによる演奏があった。私にとって新たな発見で、最初の曲名「板橋区」は笑ったが、曲そのものは旧き良きフランスをイメージさせる素晴らしい曲調。堀江敏幸の文章を思い起こさせる。特に「郊外へ」とか「河岸忘日抄」や「バン・マリーへの手紙」などを読みながら聞くとピタッとはまるだろう。

最初、バンドネオンを聴いてピアソラのコピーバンドかと思いきや、彼らの音楽はしっかりとしたオリジナリティがある。「泥の河」という曲は、ピアソラをもっと前衛にした感じ。安部公房の映画のような観念的映画のバックに流したら、ぞくぞくする緊張感と美しさをそえるのではないか。

その他、映画音楽やコマソンに使ってほしい曲などもあり、キキオンが選ぶ対バンは私を裏切ったことはない。北村氏のピアソラ風のバンドネオンは申し分ない。独特の旋律とタメが叙情性をさらに知的な雰囲気にかもしだす。喜多氏と黒田さんの演奏はもちろん素晴らしいのだが、もう少し抑制をきかせてほしいと思う。演奏スタイルが確立しているためか、観客へのアピールを気に過ぎているのだろうか・・。

曲が盛り上がると自己陶酔的に演奏するアーティストは多い。それを歓ぶ観客もいる。でも、忘我のなかでも、屹立して音の一つひとつを奏でる姿をみると、私は心から引きつけられる。

 

さて、この日のキキオン。どうも音がピタッと合わない。たぶん十時さんが育児で疲れているのかもしれない。もちろんそんなことはおくびにも出さないが、曲を間違いたりしてたから気力が落ちていたことは確かだ。

 

新しいCD「カプリッツォ」に収められている「ハッピー・ラッキー・グッドバイ」はこれまでのライブで何回か聴いたことある。

「憎むべきは軽蔑と同情 だから最高にすてきなことだけ いっぱい両手に抱えきれなければ、ぽろぽろり ころがるよ溝ん中」

 

このフレーズが好きで多少気になることがあってもキキオンの世界に入れる。佐々木さんがシンバルとバスドラムみたいなものを使っていた。

彼女は映画に出たり、灰野さんとジョイントしたり、蛇腹姉妹を組んだり進境著しい。髪型もお洒落なショートカットで良かった。彼女のアコーディオンは相変わらず素晴らしい。

旋律のベースラインは彼女で決まっている。マンダラでやるときはリズマクセノバスとの共演が多いがこの日は3人。小熊さんのギターがしっかり聴けるチャンスである。正直言って可もなく不可もない。メロディをギターでやるパートがあってもいいのになといつも思う。


「夜のハープ」を繰り返し愛聴する私にとって、小熊さんのギター(この場合ブズーキ)は、心に浸透するやすらぎをあたえてくれる。そのやすらぎはといえば、「いまここでない」という異空間に連れていってくれるような居心地の良さである。中近東とか東ヨーロッパあたりの、日本人では想像できない曖昧な場所。私たちの文化とは関係ない土地の人々が親しむ音楽にふれたとき、それを歓びとする人はやはり少ないだろう。日頃聞きなれたポピュラーな音楽だけを聴く人は圧倒的に多いし、ちょっと異質な音楽をきいたらやはり傍観的な立場で聴くだろう。だからどうだというわけではないが、キキオンの音楽はアジアの遥か向こうの香りがある。それは例えばロックのような普遍性はないのだが、定型ではない安寧がある。


音楽は言葉では語れないことは分かっているが、キキオンを聴くと何故かなんとか表現したくなってくる。小熊さんの存在を通じてキキオンというバンドを知ったからなのか・・。それにしても、ライブのときは自分の著作のこととか自分の関心あることは一言も発しない。これによって、私は尊敬の念が深まったことはいうまでもない。

 最後に新作「カプリッツォ」は期待に違わない出来であるし、録音も素晴らしい。

 もっと色んな所で活動すればと思うが、みなさん別の顔をお持ちだから、それは叶わないことか・・。

 


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