小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

身罷れし義母の優しさ秋の暮れ(※)

2019年10月12日 | 日記

約40日間ほど入院していた義母だが、先日容体が急変した。そして、突然のごとく亡くなってしまった。94歳、愚生の母親と同年で、その言にあったように、青春は戦争に奪われた人生だったのであろうか。

いや、義母は夫から愛され、2男1女を産み育て、入院する4,5日前まで洗濯などの家事に勤しんだ気丈のひと。疲れを知らず、ただただ子どもたちの幸せのために、献身的に尽くした女性であった。

ほんとに小柄なひとで、老いてから知らぬまに圧迫骨折により背骨が曲がり、さらに折りたたむように小さくなった。つらいとか、くるしいとか、愚痴などは決して口にしなかった。

一緒に連れだって、人出の多いところに行ったことが何度かある。無遠慮なひとがよく、義母の小さき体躯をじっと、憐れむように見つめていた。外見は小さくても、ハッピーはギュッと詰まっているんだぞ、と小生は言いたくてしょうがなかった。

拙宅に来てもらって、のんびりと余生を過ごすことを何度も提案したが、義母はいつも笑いながら、ありがとうの言葉で返すだけだった。何がしたい、何がほしい、そういうことを一切口に出さず、良かれと思ってこちらがしたことはすべて受け入れてくれた。


愚生は家族の一員であっても、義母の弔いについて口出しはしない。家族葬というのだろうか、孫や近親者さえも遠慮してもらい、子どもたちだけによる葬儀を行なった。五人だけの野辺送りであったが、脚絆を履かせたりして三途の川を安らかに渡っていただいたかと思う。

棺に入ってから、色とりどりの花を手向けたとき、つるっとした頬があまりにも冷たく胸が痛んだ。「あの世でも私たちを見守ってくださいね」なぞと、身勝手な言葉を吐いたのは、心の片隅にまだ親に頼りたい、愛されたいという幼児的な心理がはたらいたのかしらん。

義母の子どもたちは、長男は毅然として別だが、次男そして長女である吾が妻は、静かに嗚咽していた。

今生の悩みや不安なぞ一切なくなったであろう。安らかな大いなる眠りにつかれることを祈ります。合掌


人々の、生きること別れることの、悲しみを嚙みしめるように歌にした永井陽子から、二首を。

生命の全量をもて丹の色にものみな染むるゆふぞらを見き

折りたためばわたしは小さな蝙蝠傘になるだらう今日こんなに疲れ


▲弔って後、高速バスの中から神奈川方面の夕暮れを見る。

(※)当初は、タイトルを「冷たさ」にしていたが「優しさ」に替えた。「優しさ」という言葉は、多義的かつ曖昧で、さらに多用され過ぎていて好きな言葉ではなかった。しかし、義母の生前を偲ぶにつれ、やはりこれこそ相応しいと思いなおした。「冷たさ」は、詠むべき対象に寄りそう、実証する言葉として選んだが、要らぬ誤解を生むかもしれない。(2019.12.3追記)



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