小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

追悼 西野洋

2015年10月26日 | 芸術(映画・写真等含)

 

今回のブログは、西野洋氏の共通の友人のために書いたものです。

10月24日西野洋氏は天上に召された。享年62歳。若い、余りにも早い。彼の死を悼むことは随意にしても、生前の彼の人となりや仕事を正確に語るのは私の任ではない。

しかし、亡くなるほぼ半日前に、電話ではあるが西野洋氏と最期に会話した者として、ここに追悼の拙文を表すことをご容赦いただきたい。

彼はグラフィックデザイナーとして名をなした人であるが、映像・マルチスライドなどのアートディレクションからタイポグラフィック等の精緻なデザインに至るまで、きわめて「西野流」と呼びたいほどの独特のデザイン世界を創りあげた。
こうして書くと、多岐に亘ってなんでもこなすクリエイターとの印象をあたえそうであるが決してそうではない。
一つの仕事を引き受けたら、それを実直に「西野流」の美的センスで仕上げ、出色の世界観を提示した。そこに経済的要請や流行感覚などのニーズに応えるといった受動性はない。
彼の仕事はつねにデザイン界の最前線に立っていて、そのポテンシャルを保つ努力を惜しまなかった。その他、国立音大で非常勤ではあるが教鞭をとるなど後進の育成にも携わった。
西野氏の仕事についてふれるのはこれまでとしよう。

知り合って足かけ25年ほどであるが、彼にお会いしたことはせいぜい10回ほどかもしれない。いわゆる冠婚葬祭、展覧会、何かの打ち上げのパーティのときなどにお会いしただけのお付き合いである。
しかし最初のご挨拶のときは別にして、その大半が彼とじっくり話し合っていたという印象が深い。うまがあったのだ。
どんな話題だったか殆んど忘れたが、物をつくる、書く、批評するということは表現することであり、いわば思想的営為であり、そのことの楽しさ、やりがい、その方法の大切さ、そんな話にいつも収斂されていった気がする。
もちろん経済や社会の時事ネタにも共通認識があり、話題が尽きることはなかった。どこぞのパーティでお会いすると会釈をかわし、やがて示し合わすかのように二人で隅っこの方に行き、時を忘れて話し込むことになった。
いや、これは人がうらやむ親密な関係というものでなく、社交の場で何をすき好んで二人だけで話し合うのか、といった周囲が半ば呆れるようなものだった。少なくとも家内や友人たちはそう思っていたはずだ。

2年ほど前だったか、友人のカメラマンたちのグループ展でお会いし、トルコ料理を食べながら例によって話し込んだ。それが最後の出逢いとなった。

それが今年の8月頃に友人のフェイスブックを通じて、西野氏もFBをはじめていることを知り、家内ともども「友だち」になった。

ただ、彼のFBはなぜかいつも閉鎖中で、一日のほんのわずかな時間しかアクセスしていない感じだった。タイムライン上になんらのアクションをしたという形跡もない。FBの「西野流」の使い方なのか・・。今おもえば、世の中の動きというか、「友だち」の動向を傍観しているだけだったのだ。

私は65歳になることもあってFB上のプロフィール写真を、ある決意をもって実写に変えた。翌日、西野氏からメッセージが届いた。

彼らしい簡素な励ましコメントであったが、文章の変換がぎこちなく、その訂正を間をおいて送ってきた。明らかにキーボードを打つ作業に支障があるようだ。それから何回かFB上で「いいね!」したり、メッセージを交換した。身体の具合は芳しくなく、大学病院での精密検査中であることが分かった。心配には及ばないという気丈さも感じられたのであるが・・。

その後、彼からFB上で国立競技場建設の反対キャンペーンの賛同のお願いがあった。社会的な動きに即応する、コミットメントすることは西野さんらしくない。よほどの決意があったのだろうし、私は賛同しコメントも付け加えた。その賛同記事が日をおいて、彼は二度もアップロードした。言葉であらわせない嫌な予感がし、わたしは全身を縛られるような感覚をおぼえた。(大袈裟ではなく本当だ)

22日彼の家に電話をした。留守(電話まで移動することもできなかったのであろう)翌日、午後7時頃(この時間帯に彼がFBにアクセスすることが判明)、携帯に電話した。直ぐに応答したのでびっくりしたぐらいだ。

両足が上がらない。(もちろん両手も不自由であろう)食事は宅配弁当が主であり、ヘルパーなり仕事のアシスタンもいるからなんとか生活しているとのこと。彼はもっといろいろなことを話したはずだ。ただ呂律が回っていない。何を話しているのか理解できない。私は話を制止し、とにかく会って話したいから、明日にでも伺うと言って電話を切った。

翌日の土曜日、午後3時頃彼のマンションに妻と二人で訪ねた。応答なし。オートロックだから玄関先にも行けない。歩けないので外出できないことは分かっている。何かの事情があるに違いない。近くのドトールで1時間ほど時間をつぶし、再度訪問したがなしのつぶてだった。マンションの管理会社に連絡しても埒があかない。住民の方に事情を話して中に入れてもらえるか玄関先でしばらく待ったが、そんなときほど往来は静かなもの。

諦めて翌日出直すことに決め、帰宅してからほんの1時間ほど経った頃、カメラマンの友人からメッセージが入った。西野氏が亡くなった、という悲報だった。

昨夜7時半頃に私と話をしたときは、すぐに斃れる様子はなかった。簡潔に記せば、翌朝アシスタントの方が鍵をあけ部屋に入ったら、彼は倒れていてその時にはこと切れていた。検死のため午前中に遺体は警察署に搬送されていたのである。発見したアシスタントの方が、西野氏と極めて親しい方に連絡し、やがて私たちにもその連絡が届いたというわけだ。私たちが自宅を訪問したときには、亡きがらは警察署に安置されていたのである。

慌しくもあったろう、ご家族の方々はその日に葬儀(仮通夜)を手配し、私たちは参列した。主だった友人たちと再会し、故人を偲んだ。意外な履歴、微笑ましいエピソード、驚くべく事実、誰もが肯き懐かしむこと、そして称讃すべきことの数々・・。惜しい人を喪失した悲しみはしばらく癒えそうもないだろう。こうして書いていると、なんだか救われる気がしてくる。

彼の病名はパーキンソン症候群のなかの「多系統萎縮症」という難病とのことだが、正式には認定されていなかった。両足が上がらず、キーボードを正確に扱えない状態でも、介護認定は「1」だったという。直接の死因は不明である。その直前、何かしようとして倒れ、顔をなにかに打ちつけた。最初、その痛々しい痕跡がみとめられ涙をさそったが、帰り際には化粧され若々しいきれいな顔になっていた。

生前にお会いし話せなかったことは痛恨であるが、死の前日に彼の声を聞けただけでも、少しの安寧としたい。合掌


〇↓写真はタイポ・グラフィックデザインの泰斗ヘルマン・ツァップ、そのデザイン哲学に関連した西野洋の著作「翻訳テクストにおける可読性の追求」(朗文堂)

 

〇 ↓西野洋のエディトリアル・デザイン作品(ネット上にあった作品を掲載させていただいた)

 

      

 

 


最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
西野さんのこと (北村瑤子)
2017-09-09 14:27:54
デザイナーの北村と申します。
今年に入ってなぜか何度も西野洋さんの事を思い出しておりました。一度連絡をしたいと思いながら日常に流されて失念していました。アイデア誌の記事がかすかに記憶にありながら確認もしていませんでしたが、先ほど本ブログの記事を拝見して亡くなられたことを知りました。
少しの間でしたが同じ会合で同席したり、個人的な悩みを心配していただいたりと、仕事を離れての交流でしたが、ブログを拝見していて、西野さんとの交流の温度感が伝わってきました。本当にそうだった…と思うことが多いです。さいごの時間を知ることができて感謝しております。ありがとうございました。
西野さんと知り合いになったことで、デザインは一生仕事に値するものだと改めて感じたことを思い起しています。
返信する
秋になると、彼の面影が (小寄道)
2017-09-09 17:50:59
北村さま
コメントをお寄せいただきありがとうございました。
西野さんという方は、とても忘れがたき人ですね。彼が逝かれてから度々感じます、その存在がはかり知れないほど尊いものだったか・・。
このブログにも、「西野洋の私たち的回顧」をはじめ、「N氏の~」という題で、3,4回も書いており、彼を偲んでおります。同一の人物をこんなにも書くことは、自分でも不思議だと思っています。

これを契機に、西野さんについて書いた過去の記事を引っ張り出してみました。
去年の12月「N氏の『思考と形象』」、11月「N氏の生地へ」、10月「N氏の一周忌」、2月「N氏を偲ぶ会、そのレクイエム」、「N氏の兄上からの手紙」、1月「西野洋の私たち的回顧」。
 驚きました、昨年だけで6本もの記事を書いていたのです。お時間があるときに、どうか拙文をお読みください。少しでも木村さまのお役にたてれば幸いです。

いま9月初旬。少しずつ忍び寄ってくる秋の気配。10月になると、自分の誕生月でもあるのですが、どうしても西野さんが思いだされます。
妻はもうデザイナーを辞めていますが、西野さんを想う気持ちは変わりないと言っております。

木村さまにおかれましては、末永くデザインの仕事を続けれられることを念じております。天上のN氏もまた、きっとそう願っているでしょう。
返信する
過去の記事 (北村瑤子)
2017-09-10 14:40:06
小寄道さま
コメントありがとうございます。
ご紹介いただいたブログ記事拝見させていただきます。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。