小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

シロバナ彼岸花に引き寄せられて

2021年09月14日 | 日記

今年は秋の訪れがはやい。昨日、近所のお寺「了俒寺」さん(※注)の前を通ったら、曼殊沙華が盛りをむかえていて驚いた(9月13日)。そこの曼殊沙華は、例の赤い花に混じって白い花を咲かすので珍しく、毎年楽しみにしている。

別名を彼岸花という曼殊沙華は、桜(ソメイヨシノ)と同じように花が咲くときに葉がなく、葉のあるときに花がない。
しかし、桜が北進する開花とは反対に、寒い北から南下して「お彼岸の日(秋分の日)」の頃になると、関西地方では盛花の時期をむかえる。古来より、そんな植物だとして見なされてきた。
彼岸花という名の由来もそこから来ているが、近年の異常気象のせいか、この南下スピードでいけばお彼岸の頃には、九州でさえもそのピークは越えているかもしれない。

彼岸花は、根に毒をもつ。また、縁起でもない頃に盛りをむかえるといって、昔から忌み嫌うひとも多い。個人的には、その花の独特のカタチ、繊細で高貴な雰囲気は嫌いではない。かつて曼殊沙華の毒について調べたことがあった。

貝原益軒は、飢饉のときにそなえて「球根を砕いてよく水を通し、毒性を除けば食用になる」と、救済植物として畦道に植えることを推奨した。球根に含まれるでんぷん量が多く、いざというときに重用されたらしいが、小生いまだに口にしたことはない。

さて、前述の白い曼殊沙華は、「シロバナ彼岸花」といって朝鮮、九州からつたわってきた多年草植物。株によっては純白というよりクリーム色の花、或いはうっすらと赤みを帯びた花を咲かせる。

植生的には地下に球形状の鱗茎を多重的に伸ばし、群生して花を咲かす多年草だが、赤と白がどうしてミックスするのか・、調べてみても分からない。

境内の曼殊沙華は、たくさんの赤い花のなかに負けじと咲く白い花が目立つ。そう、「シロバナ彼岸花」は殊更に美しく、高貴さが漂う。

この花々を見るまえに、「曼殊沙華かなしみは一蹴す」という拙句を毎月投句する会誌に寄せた。この赤のなかの白い、曼殊沙華の花々を見た後で詠んだら、もっと良い句ができたかも知れぬやと、ちと悔やんだ。

 

 

 

(※注)了俒寺さんは、60近くある谷中のお寺さんのひとつ。春から夏にかけては、色々な種類のめだかを育てたり、見事な蓮の花を咲かせて行き交う人たちの目を和ませる。

了俒寺さんはまた白い蓮の花も咲かせている。白と赤の混合に何かこだわりを持っていらっしゃる?


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