小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

マスクしてなお美しい日本語

2021年02月21日 | エッセイ・コラム

マスクは西洋由来のものだ。ある意味で西洋医学のエッセンスであり、医者や看護師が着る白衣と同様に、清潔さと衛生美(こんな言葉あったか?)を表わす指標となる。マスクは、その上さらに、感染や病原菌から守るための必須アイテムとなった。

かつて日本でもスペイン風邪が猛威をふるったことがある。ちょうど100年ほど前、40万人もの人たちが亡くなった。たかが風邪と思うなかれ、誰もが死に至る疫病として恐れられたのだ。そんななかにも感染を広げまいと、マスクをいち早くしたのは全国のお母さんたちだった。風邪が流行る兆しがあらわれたら、まずマスクを着用する。この日本ならではの習慣は、百年の計があったのだ、お立合い。

▲1918~20年にかけてスペイン風邪は世界をパンデミックに陥れた。第1次世界大戦が大きく影響した。

 

一方、欧米でマスクが普及しなかったのは、諸説ありと伝え聞く。まずは、銀行強盗とか重病人に間違われるので、マスクすることが忌み嫌われたという風説。マスクして店に入ると強盗だと疑われ、即、銃を向けられることはないだろう。しかし、過去にはマスクして顔を隠した犯罪者は多かった。いまもなお不審者として見られるのは、あながち誇張とはいえない。

新型コロナウイルスの感染拡大からほぼ1年。ヨーロッパではマスク着用に抵抗感を示す人が未だに多いらしいのだが、ロックダウン下では罰則が科せられるので、仕方なく誰もがマスクをしている。それでも、ソーシャル・ディスタンスさえ守れば、マスクなんて不必要だとする説は根強いらしい。

欧米でマスクが普及しないのは、それ以外の理由も大きい。口元を隠すマスクは、コミュニケーションに支障をきたすので疎ましいと考えられている。

英語の発音では、「LとR」や「BとV」の発音する際の微妙な違いがある。日本人にとって特に、LとRを発音するのは本質的に難しい。日常的に使わない音声だし、聴いてもその違いを聞き分けることは困難だ。

たとえば、「pray」(祈る)と「play」(遊ぶ)では、文字も意味も全く違う。多くの日本人はこれを正確に発音できない。極めつけは「rice」とlice」で、前者が「米」で後者「シラミ」だ。下手に発音すれば、英語を母語とする人から気持ち悪がられること必定。発音をミスしても、文脈から分かってもらえると思ったら甘い。それ以前に、人間性が問われるぐらいの失礼なミスになってしまう。

この歳でいまだ細々と英語を勉強しているが、気づいたことは多々ある。ネイティブの方が「L」を発音するとき、小さく舌を出しているように見える。人によるが白人のネイティブは、これが頗る顕著だ。「th」や発音記号「ð」の「ズ」の音などは、舌先を歯の間に挟んで息を出すように学校で習ったが、これだって意識しないとできない。日本語には、そんな舌づかいの発声がない。

もう言わんとしたいことにお気づきになられたかと思う。欧米の言語はことほど左様に、舌や唇を微妙につかって発音する。また単語と単語が結びついて、発音が変化するリエゾンがある。さらに、言葉の配列によって発音しなくなるケースだってある。特に「T」の音はそうで、ふつうネイティブの「about」のtは聞えない。

「T」はまた、前後の関係で「D」や「R」の音のように聞こえるときがある。とにもかくにも、英語、仏語など欧米語は、母音中心の日本語とは大きく異なって、唇や舌を駆使する言語といっていだろう。

つまりである、口元を隠すマスクをしていると、正確なコミュニケーションに支障をきたすのだ。何事にも自己主張し、意見を闘わすことを厭わないあちらの人びとの気持ちを考えると、マスクをかけろと命令されるのは「個人の自由、権利を侵害」されるぐらいの怪しからんことなのかもしれない。

さあ、日本語はどうだろうか。ほとんど母音によって発話される言葉は、舌や唇を使うことはない。多少、オノマトペでは巻き舌を使うとインパクトが増すか・・。正しい日本語の発音を学んだことがないので詳しいことはわからない。だから自国語の正しい言葉を聴いたりすると、心に染み入るほどの美しい言葉だとおもう。もちろん、英語だったらシェイクスピアのセリフを俳優が語ったならば、英国人は私たちよりも遙かに英語の美しさに酔いしれることだろう。

さいきん、コロナ禍ということもあり、YouTubeで外国人の動画を見る機会が増えた。その話している最中の口元をどうしても見ることになる。すると、いやに舌がちょろちょろ見え隠れしているのが気になる。

これまでの書いてきたように、然るべき理由があって舌や唇を使っているし、それが本来の発音なのだ。当然のごとく、彼らのコミュニケーションにおいて、マスクをしながら会話は鬱陶しいだろう。見ず知らずの人と何かを話す場合では、余計にマスクごしに相手の言葉を聞き取るのは、普段よりも神経をつかうことになるのかもしれない。

その点において、日本語はマスク越しに話しても意味が通じやすい言語だ。「しあわせ」が「しわわせ」あるいは「しやわせ」と発音されても、前後の言葉づかい、文脈から意味が通じやすい。入れ歯もしないご高齢の方が喋っていても、その内容が伝わってくる。マスクをして話しても、英語ほどに誤解を招くことは少ないのではないか。

あくまで私見だが、日本人は舌を見せて話すことを避けてきた民族ではないだろうか。あくまでも母音だけで話すように、言葉や言葉づかいを進化させてきた。そんな風に思えてならない。

この記事を書くにあたって、日本語を美しく話すメソッドみたいなものがあるのか調べてみた。いろいろあったのだが、劇団四季では「美しい日本語の話し方」の方法論を開発していて、「母音法」「呼吸法」「フレージング法」など独自のメソッドがあるという。特に「母音法」では、喉、舌、口などを使う基本フォームのもとで発声をする。これはプロの領域の発声技術だからこそ、舌やのどをつかうのであろう。私たち庶民のレベルではない。

例によって、話が込み入ってきた。兎にも角にも、日本語はマスクをしていても、コミュニケーションにさほど問題なく話せ、聞き取ることができる言語だということ。マスクをとって発話すれば美しく、歌をうたえばより美しくとどく言葉だと言いたかったのだ。

 

 

 


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