小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

街の灯り

2016年12月24日 | 旅行記

 

スペイン・ポルトガルの旅ー⑤

スペインとポルトガルに旅行したとき、路地をよく撮ったことはブログにも書いた。当然、住まいの門がまえ、あるいは店先の佇まいや看板などに目がゆく。ドアノブ、ドアノッカーの写真は前にも紹介したが、沢山あって載せきれない。

路地を歩いてその他にも美しいと感じるものに街灯がある。ヨーロッパでは同じような形態の街灯が多いことが知られている。昔ながらの電球を使っているのは、むろんそれが好ましいもの、美しいものとして人々から支持されているからだ。

基本的に吊るすものと、下から支えるものと二通りだが、広場には4つある大きな街灯があり装飾も凝っている。

でも私は、どの町にも見かける四角垂を切った形の、シンプルな街灯が好きだ。飾らないけど、どこかセンスを感じさせる。


          

▲ドアと同じく、移動しながら撮ったので質は悪いし、腕も素人。


▲これは19世紀パリの路地。たぶんオイルランプ燈だが、どうやって点燈したのであろうか。たしか専門職がいたことを本で読んだ。ウジェーヌ・アジェの写真です。街灯の原型ではないか。スペイン・ポルトガルでは、いまだにこの手のデザインの街灯が多い。


日本のそれはもう、高度成長期にすっかり変わって蛍光灯が普及した。最近、LEDが主流になりつつあるが、灯りの色味も蛍光色が好まれている。私が子どもの頃はいうまでもなく電燈である。黄色っぽい電球に雨除けのお皿のような傘がついたシンプルなものであった。もっとも、銀座あたりに行くと、「ガス燈通り」という路地があるくらいに、昔のガス燈を模したいわゆるヨーロッパ風の電燈が街路に並んでいる。銀座通りから一本西寄りの路地で、洋食の「煉瓦亭」のある通りで思い当たる方もいるであろう。鰻の赤瓢箪とかキャバレー「白いバラ」は今はあるか?

▲銀座。ガス燈もどきでも風情あり


東京の街並みは、関東大震災と太平洋戦争によって、大きく2回も様変わりしたとされる。ガス燈は震災でなくなり、徐々に電燈になった。

戦後もしばらくは昔ながらの安直な裸電球に傘をつけただけの電燈だった。私の子供時代の記憶では、この電燈でありたぶん全国どこでも設置されていたと思うがどうか。

黄昏どきに灯るとなぜか感傷的になり、家路につきたくなる。蛍光灯にはない適度な明るさが、街並みのやや暗い雰囲気をととのえる。電球の周囲をほんのり照らすほどの明るさがいい。「物の怪」がまだ闇を支配をしていた時代である。


いまは安全・安心を優先し、蛍光灯よりも強い白熱灯もしくはLEDを使っているから、情緒のない明るさで目も眩む。衛星写真からの夜の地球を撮ったものを見ると、日本だけが異常に明るく輝いている。都市だけなく日本全体が明るく見える。山が多いのにそう見えるのは、都市部と海岸線、道路の照明が強い証拠だ。

エネルギーの過剰消費に慣らされてしまった私たち。3.11以降原発がすべて停止し、自主的に節電にみんなが心がけたこともあった。ネオンの消えた繁華街、半分ほどの明るさしかないオフィスに、私たちは違和感を感じることはなかった。夜の帳がおりたら、それなりの暗さに順応してゆく。かつて、日本の文化はそうした陰翳のもつ明るさに育まれたとさえいえる。

谷崎の日本文化論である「陰翳礼讃」は、そうした暗さを演出する建築、照明こそ日本の「粋」が発揮されたと説いた。かつて京都の料理屋に、蝋燭の灯り、燭台の元で食す店があって、谷崎はそんな店を贔屓にした。最近では、ようやく陰翳を配慮した照明を演出する店もでてきた。しかし、繁華街やオフィス街ではアメリカ流の煌々とした明るさが主流だし、私を含めて高齢化した社会では、ストレスなく文字が読める明るさが基準になったのかもしれない。しかし、これからのエネルギー事情などから再考の余地はあるだろう。

街灯の話が大きく逸れた。


実際電燈などはもう我われの眼の方が馴れっこになってしまっているから、なまじのことをするよりは、あの在来の乳白ガラスの浅いシェードを附けて、球をムキ出しに見せて置く方が、自然で、素朴な気持ちもする。・・・今では時代おくれのしたあの浅いシェードを附けた電球がぽつんと燈っているのを見ると、風流にさえ思えるのである。    (谷崎潤一郎 「陰翳礼讃」)


        
▲懐かしい電燈。繁華街では傘ではなく、摺りガラスのボール状のものに電灯が収められていた。




{蛇足}

今日はイブだ。わが家でもいちおうローストチキンを買うしきたり。並ばないと買えない焼き鳥屋さんは、地鶏を炭火で焼く。味は申し分ないが、生肉を売らなくなった。

           

▲女主人であったおばあさんは今年三回忌とのこと。「うちの鳥ですき焼きやってごらんよ」と、私にいつも自慢するのだった。私のシチューづくりはここが原点であるが、もう店は週末しか開けない。

 


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