小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

窪みの中のイエス

2017年02月25日 | エッセイ・コラム

 

小学校に入ってから5年生の頃まで習字塾に通っていた。家からすぐ近くのSさんの個人宅で、そこの奥さんが先生である。昔ながらの二階建ての日本家屋で塀もあり、小さな内庭もあった。ご夫婦と姉弟の二人の子供、そしてお祖母さんの五人家族。弟つまりS家の長男は、私より一歳上だが遊び友達、成績優秀かつ運動もできたので、よき兄貴分といったところ。お父さんはデザイナーみたいな仕事をしていて、いつも家の二階にいた。偶に気が向いて表に出て来ると、子ども相手に遊んでくれたりした。

「鉄は燃えるかな」と、私に問いかけて「燃えないよ」と答えると、「それは間違いだ。知らないくせに、知っているように言ってはダメだ」と、その時は子供でもバツの悪い気分を感じたのかもしれない。「ぜったい燃えるもんか、鉄は。鉄人28号は火のなかでもへっちゃらだよ」

「これをみてごらん。鉄が真っ赤に燃えているだろ。ここ、製鉄所っていうんだ」と、仕事場からわざわざ持ってきた写真本を私に見せた。私は悔しくて泣いてしまった。

 

習字は居間が教室で、質素な木の机が並んでいた。立派な師範名のあるS家のお母さんは上品で優しく、その指導がていねいで学校とはまったく違った。生徒が大勢押しかけた時には、お祖母さん、高校生ぐらいのお姉さんも書道の免状があるらしく、子供達の習字を見てくれていた。(大人も習いに来ていたのだ)

「Mくんは素直だから、上手くなるよ」と、よく褒めてくれて、週に一度の教室は楽しみだった。そのように言ってくれるのはSさんだけで、私にとっては特別な家だったといえる。

S家は家族全員がキリスト教信者で、教室の隣の部屋にキリストの磔刑がある祭壇があった。先生は時間になると短くお祈りし、胸のところで十字を切って教室に入ってきた。書道する前の厳粛な儀式ではないが、ほかの生徒たちも(3,4人ほど)神妙な気持ちになったと思う。

S家では、親を「お父さま、お母さま」と呼び、ご主人は奥さんを名前で呼び捨てにしていた。これだけでも、当時の下町の家庭とはまったく違ったし、仏壇ではなくイエス・キリストの祭壇がある家は珍しかった。また、S家みんなの言葉づかいが丁寧で、家の中の雰囲気に緊張感があった。下町の風情にはない、引き締まった「秩序」を子供ごころにも感じたのである。


家も近いせいか、私はよく誘われて日曜学校に行った。教会がどこであったか、今は場所の記憶がない。ただ、その頃の都電に乗って行き、御茶ノ水あたりだったか・・。そこから歩いて何度か後楽園に行った思い出が甦ってきた。

日曜学校に行った思い出はほとんど失われている。讃美歌を唄ったり、神父(牧師?)さんの説教をきいたり、そんな断片的なことしか想い出さない。

S家の長男(仮にタカマサ君と書く)は聖歌隊の一員だった。誇らしげに合唱しているタカマサ君。彼が身に着けているマントのような制服がとてもカッコよく、私はそれが羨ましく思えた。

タカマサ君は成績もいいしハンサムな顔立ちだ。近所の子供のなかでは、背丈もだんぜん高かった。そう、S家の人たちはお婆さん以外みんなスラリと背の高い家系。堂々とカッコよく見えるのに、タカマサ君はあることで、よく苛められることがあった。

キリスト教の信者だからではない。胸の中央のところに、拳骨ほどの陥没があった。胸に大きな穴があるように見えて、夏になるとそれが目立った。近所の仲間たちはそれを揶揄したのである。

傷もないのに肋骨のところが大きく窪んでいるのだ。私にもそれが不思議に思えてならなかった。

「どうしてそんな大きく凹んでいるの?」「僕だって分からない、生まれた時からだしさ」

お母さんである先生は「イエス様がそこに入れるように、胸を開けてくれたらしいの」と、真面目な顔をして話してくれたことがある。子供にもわかる嘘である。

胸の中央の窪んだところに、ネックレスの銀色に光った十字架がうまい具合に収まっている。タカマサ君はそれを、本当は誇りたいのだ。さりげなく自慢したこともあった。

しかし、近所の子供達とタカマサ君が喧嘩などした時などには、「胸がえぐれている」「結核の残骸だ」とか悪口を言われていた。(弱い相手には報復したが・・)

下町の口さがない大人のなかには、「天罰が下ったんじゃないのか」などと酷い陰口を吐く者もいたらしい。いろいろ思い出があるのだが、この辺にしておこう。

S家はそれから10年ほどしてから、突然のように家を売り、サイタマの方に引っ越した。その頃の私は家を出ていたので、詳しくは知らない。お父さんが仕事で失敗したという噂が立ったらしいが、嘘かも知れない。ただ、さらにだいぶ経って、懐古したタカマサ君とお母さんは、ご近所や我が家に訪れたのだ。母が応待したのだが、その時にも私は不在で、残念無念。

「M君にはよく助けられた。苛めがあると、いつも守ってくれた」と、タカマサ君は母に語ったらしい。兄貴分としていつも面倒を見てもらっていた印象がつよいタカマサ君。そんな彼が、御愛想だろう、私に対して感謝するような言伝を残して帰ったという。

まだ、胸のなかに十字架のイエスが居られるか、タカマサ君に確かめてみたかった。そして、胸に窪みがある理由も、会っていれば普通に訊けた筈だと悔やんだ。それから、S家の方がこの地を再訪したという風聞はない。

 

▲こんなシンプルな十字架だった。


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