小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

「松の内」を過ぎて

2019年01月12日 | 日記

 

年頭は、地元の神社への初詣と、ちょっとした買い物に行った。齢を重ねるごとに外に出かけることは少なく、それは自然の流れというべきもの。その分、とりためたビデオやネットを見て過ごす。金もかからず、気楽なものだ。松の内つまり六日頃に妻が風邪を引き、食事のことを小生が受け持つことになった。その自慢話をしたいのではない。

翌日、小生も風邪をひいた。熱はないけれど、喉が痛くて体がだるい。二人で寝込んで、たらたらと過ごした。それが続いている。しょうがないことだと諦めるしかない。

昨年末に、生まれて初めてインフルエンザの注射をした。今回のそれは、まったく因果関係ないのだが、これほど長引く風邪で調子を崩すのは初めてだ。面白くない。インフルエンザ対策のための注射が、小生の免疫力を低下させたのではないか、などといらぬ邪推をする。

まだまだ、体の復調は実感できない。日頃の運動不足が祟っているんだろうか、単なる気力の減衰なのか、ほとんど寝て過ごしている。ブログなぞやっていなければ、こんな駄文を書くことはないし、これを読んでいただいている人がいれば、出かけて頭を下げてお詫びしたい。

ここ最近十日ほども間をあけたことはなかった。とはいえブログを書かなければならないという強迫観念に縛られるのも嫌だ。ただ、ミニシアターほどの読者さまがいると思うと、不遜ながら自分の書くブログを続けたいと念じたいのだ。

なんでこんな駄文を書いているのか。あることに励まされたのだ。

小生の家の裏手に公園があり、ときたまそこに、保育園の園児が集団で来たり、小学生らしき年端のゆかない子どもたちがジャングルジムで遊んでいたりする。自室にいると彼らの声が聞こえてき、うるさいなと思うときもあれば、その無邪気な声に未来は大丈夫だな、と殊勝なことを夢想したりすることもある。

ふだんは静かだからなんとも思わない。だが、さきほど子どもたちの「ヤッホー」という声が聞こえてきた。最初は二人ほどで、だんだん四・五人ほどの声が重なって「ヤッホー」の大きな声が繰り返された。山じゃないから山彦は聴こえないよ、なんて野暮なことは考えない。

とにかく元気なかけ声が響いてきた。嬉しさがこみあげてきて、寝てなんかいられない気分だ。だーっと書いて、やっぱり疲れた。

 

 

▲最近はスーパーリアリズムの画集を見て過ごしている。上は礒江毅の画集、下は野田弘志の画集「聖なるもの」から。礒江は夭逝したが、野田はもはや八十を超える。野田は、端正な文章を書き、そして言葉の使い方にも厳密である。彼の画風を見るようだ。

 



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