小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

オリンピックは誰のために開かれるか

2021年07月12日 | エッセイ・コラム
無観客でもオリンピックをはじめようとしている。国民の多くは止めた方がいい、その方がコロナ禍が続くなかだんぜん安全策だと考えている、もちろん私もそうだ。いま政府は、開催の根拠を示すことなく、まして是非の検証すらも省き、闇雲に実施することだけに意味を見出している。 かつての蒙昧の象徴のような日本の親父が、そこに居座っている。己の頑固さを恥じ入るなんて考えにも及ばない。この七十の爺がそう思うくらいに、 . . . 本文を読む