鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

261 大佛次郎の路地

2022-09-08 12:57:00 | 日記

今週末は中秋の名月だがまだ当分は残暑で大気は澄まず、もう鎌倉の暦は立秋も中秋もひと月遅れに書き変えるべきだろう。

よって隠者の夏安居の読書三昧は彼岸過ぎまでは続く。


猫好きで有名だった鎌倉文士、大佛次郎の旧邸が売りに出された。

大佛邸は私の日々の買物の路にあって、近隣の家並みも含め昔ながらの狭く美しい路地だったが、この一帯も最近相次いで取り壊されてありふれた新興住宅地となって行く。

ーーー炎昼の光に眩む路地の奥 ダリア燃え立つ幻の庭ーーー



大佛邸門前で「鞍馬天狗」苦楽社版初版を持って、一応記念写真を撮っておいた。

苦楽社は大佛次郎自ら敗戦直後の鎌倉の文芸復興のために作った出版社で、雑誌「苦楽」の表紙は毎月鏑木清方が描いていた。

清方もその随筆で失われ行く江戸明治の街並みを痛切に惜しんでいる。

毎日そこにあって当然の大して気にも留めなかった物が、いつの間にか一つづつ失われて行く。

楽園とは須らくこうして緩慢に消え去るのだろう。


「鞍馬天狗」苦楽社版は小説としては初出では無いが、その見所は何と言っても鰭崎英朋の挿絵にある。



(鞍馬天狗 苦楽社版 初版 大佛次郎)

近年愛書家の中で人気沸騰の英朋の絵には現代コミックイラストに近いダイナミズムがあり、当時の浪漫主義小説に適した画風だ。

同時期イギリスのラファエロ前派にも似た感性で、ドラマチックな場面の絵は彼の独壇場だ。

ただ最近まで埋もれていた作家なので画集類は少ないのが残念だ。

ネットの画像を探せば泉鏡花や柳川春葉の本の挿絵は見られるが、隠者はまだ安価な頃に彼の口絵版画を集められたのでそのうち紹介しよう。


戦前の大佛次郎は「赤穂浪士」の大ヒットで人気作家となった。

当時は上の写真の路地ではなく鎌倉大仏の裏に住んでいて、そこから大佛のペンネームを付けたそうだ。



(赤穂浪士 上中下巻 初版 大佛次郎)

大佛が他の悩み多き鎌倉文士達と違ったのは、最初から大衆文芸(エンターテイメント)と割り切って小説を書いた点だろう。

鎌倉では小説を中途半端に芸術扱いすると必ず挫折するようで、久米正雄は芸術をやりたいなら詩や俳句でやるべきと言っていた。

ーーー夕立が打つ大仏のがらんどうーーー


大佛次郎は自分の最高傑作は「スイッチョねこ」だと語っている。

この短編が載っている「猫のいる日々」の初版本(文庫版は持っている)を探しているのだが、そんな古い物でも無いのになかなか見つからなくて焦っている。

すいっちょやちちろが鳴いている内に何とか手に入れたいものだ。


©️甲士三郎


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