梅雨の時期でもこの後の9月まで続く灼熱地獄よりは余程過ごし易い。
この季節を楽しまないのは大きな人生の損失だと、この歳になってようやく気付いた。
ーーー鎌倉の丑寅(うしとら)の方谷裂けて 蛍炫ろふ鬼門の間淵ーーー
我家の傍の小流れに近年絶えていた蛍が復活している。
今年はその数がだいぶ増えたようだ。
梅雨時も雨の降らない夜には、我が荒庭まで飛んで来る。
残念ながら十枚以上の写真を撮ったものの、この病眼では一枚もまともに写せなかった。
写真右の草の上に仄かに小さな光があるのだが、ほとんどわからない。
見えない代わりに歌に詠んでおこう。
和歌は例え老病苦の身でも心眼で詠めるから有難い。
ーーー葉を透きて表と裏に照らし合ふ 蛍を抱く闇優しかれーーー
上の小川は龍脈の地である永福寺跡の池にも繋がっている。
この水辺には多種多様な鳥が居て、夏の朝夕は水鶏も鳴く。
写真の鴨はいつでも見られるし、鶺鴒は白黒と黄色の種が仲良く暮らしている。
たまに青鷺もやって来て、悠々と小魚や川虫を漁る姿も涼しげだ。
古(いにしへ)の龍脈のほとりでBGMに美しきシンフォニーなど聴きながら、散歩がてらに一句歌でも詠めるなら至福の日々だろう。
ーーー玉しぶき幾瀬連なる煌めきの 光の中に棲める鳥影ーーー
どう言う訳か古句歌には雨の名作が少ない。
私もこれまでは余り詠んで来なかったから、今年からは雨の題を多く詠もうと思う。
写真は雨過に咲く十薬の花。
十薬は地味な上に香りが強いので嫌う人もいるが、隠者の荒庭にはまさにふさわしい花だ。
花期も長く、活けるにも根締めの添え花として重宝する。
窓からはショパンのピアノバラードが流れ、夏の夕暮れが味わい深いひと時となった。
ーーー静かなる楽の音絶えぬ古庭の 淡き月日に花の寂びゆくーーー
最近気が付いた事に、俳句には洋楽は合わないが京極派以降の叙景的な和歌にはロマン派あたりのクラシック音楽がとても良く合うのだ。
これは我が残生にとっての輝かしき福音だ。
ーーー梅雨の間の龍神の谷轟きて 月に滴る巌の高枝(たかえ)ーーー
この歌などはラフマニノフのピアノコンチェルト2番がぴったりで、我ながらなかなか荘厳な世界に浸れる。
©️甲士三郎