鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

254 河童忌の祭壇

2022-07-21 13:13:00 | 日記

7月24日は鎌倉文士の芥川龍之介の命日(河童忌)なので、隠者の都合で少し早いが供養の祭壇を用意しておこう。

彼は若くして自ら命を絶ってしまったが、鎌倉にいた頃は友人知人達と楽しそうに過ごしていた逸話が沢山ある。


中でもとりわけ親しかった久米正雄や室生犀星らとの遊俳は、遺された手紙や手記に生き生きと書かれている。



(澄江堂句集 芥川龍之介 句集返り花 久米正雄 魚眠堂発句集 室生犀星 共に初版)

上段中央が「澄江堂句集」。

大変な愛煙家だった芥川には、大正頃の喫煙具で煙草をお供えしよう。

久米正雄や室生犀星は芥川にとってかけがえの無い文雅の友で、皆俳句好きだったらしく芥川が高浜虚子に句を褒められた時には得意になって久米正雄への手紙で自慢している。

句友たちとの吟行やカフェでの風雅の語らいの楽しげな様子なども菊池寛や犀星の随筆にも書かれている。

彼の死後に友人達はみなあのまま鎌倉に居ればこんな事にはならなかったろうと、また生前の芥川自身も鎌倉から移ったのは失敗だったと語っている。

学生時代以来の友人に加え虚子や釈宗演といった偉大な先達とも触れ合えた鎌倉は、風雅の士達にとっては正に楽園だっただろうに。


小説の方も鎌倉で執筆した短編に佳作が多く、田端に移ってからはやや低調な作風になってくる。



(羅生門 影燈篭 傀儡師 夜来の花 黄雀風)

いずれも鎌倉在住前後に書かれた芥川らしい気の利いた短編集で、この後の中国旅行あたりから作中にも苦悩が窺えるようになる。

田端に移った後も度々鎌倉近辺に静養に来ていて、鵠沼あたりに居を構える気もあったようだ。

芥川龍之介の初版本は元々高値で安定していたが、ここ2年ほどは泉鏡花や柳川春葉ら他の作家の古書価格急騰の陰で、今では相対的に安く感じるようになった。

私は古茶器と同じく古書も時代相応に汚れている方が好みなので、印刷したてのようなまっさらな美麗本より痛んで安く売られている物ばかり探してしまう。


私が芥川の本の中で最も気に入っているのが下の「澄江堂遺珠」だ。



(澄江堂遺珠 初版 芥川龍之介 古志野香合 明治〜大正頃 古銅観音像 清朝時代)

芥川の死後遺された手帳に書かれていた詩画を、総手漉き和紙の豪華版で追悼した本だ。

胴体が芋虫になった恩師漱石の戯画まであって面白い。

掲載の詩はほとんどが未完のままだが、彼がいかに詩や俳句に心引かれていたかが良く伝わってくる。


ーーー風吹けば去る白服の詩人かなーーー

大正文士達の時代を振り返って見ると、古き良き鎌倉の風土あっての文芸であり、文士達が居てこそ鎌倉は楽園楽土たり得たのだろう。

この鎌倉文士の命日は、時の狭間に稀に現れた当時の詩神達の楽園を心に刻む日としたい。


©️甲士三郎


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