ーーー古壺の大口開けて春を待つーーー(旧作改題)
以前に壺中天の故事を話したと思うが、私は冬籠り中は花瓶より壺をよく使う。
枯草や実の枝を投入れるにはすらっと立つ縦長の花器より、ひしゃげて地に蹲るような形の壺が冬らしく思えるのだ。
また傷んだ壺が生き延びて来た数百年の星霜を想うには、冬籠り中の止まったような時間が適している。
(古信楽種壺 室町時代)
隠者が一番気に入っているのは焦げ石爆ぜ火色に自然釉の吹き荒ぶ、異形に歪んだこの信楽壺だ。
寒中にも火種を宿すような、戦国中世の壮絶な景を観じる。
小仙となって壺中の天地に暮すなら、是非この種壺を選びたい。
隣には前々回の写真の、大き過ぎてまだ食べていない冬瓜を侍らせている。
隠者の正月は旧暦なのでまだ先だが、来客用に小さな正月飾りだけ添えておいた。
こちらは盛大な火膨れが歳月によって冷え枯れた伊賀(信楽かも)の大壺に、荒地に立ち枯れていた薄をどさっと入れた。
(古伊賀大壺 室町時代)
寒中にも燭の炎色で、壺面の悲惨な凹凸も温もって見える。
戦場往来の古強者のような、貫禄のある大壺だ。
壺本来の用途は種や食糧の貯蔵だったので、大壺に越冬のための沢山の穀物を溜め込むのが農民や領主の喜びであった。
隠者は毎年新暦の正月から旧暦の正月までの寒中は冬籠りだったので、疫病禍の今年も変わらずどっぷり夢幻界に籠っている。
(左から李朝青磁壺 絵唐津段首壺 古備前鳶口壺 17〜18世紀頃)
立春までに使う予定の壺を幾つか並べ、これに何を入れるかを考えるのも楽しい。
小寒大寒の間を壺中の天地に引き篭り、とことん詩画の想などを練るのは隠者らしくて良い。
詩画作品の出来は別にしても、寒中を十分楽しめるだろう。
蒼古たる破壺を抱いて古の文人達と同じ夢を見るのは、現代人のスローライフの一段深い楽しみ方だと思う。
©️甲士三郎