鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

84 花鎮めの独吟

2019-04-11 15:30:40 | 日記
---いにしへの都の鬼門風の谷戸 宙(そら)逆しまに散花吹上げ---

(花下独酌の古唐津徳利と盃 江戸時代)
我家の和洋折衷化の話はまだ前途多難なので、今回は純和風の隠者流花鎮めの秘儀を少し公開しよう。
花鎮め(鎮花祭)とは散っていった花を悼み湧き立った命を鎮める祭事だが、鎌倉の鬼門守護職である探神院では鎮めておかないと花鬼と化す花屑を滅却するのが勤めとなっている。
以前お見せした護法剣もその為に伝来する武具である。
やる事は有り体に言えば花霊滅却の和歌吟詠とそれに合わせた護法剣の演舞だ。
鎮花の心情は西欧のレクイエムに近いが、花にも霊性を感じるかどうかが違う。
カトリックでは人間以外の鳥獣草木に霊性を認めていないのだ。

---落椿蕊を保ちて朽ち行きぬ---

(我が探神院脇の小流れ)
私の人生では六十数回の春が去来したが、その内幾つの春を憶えているだろうか。
多分六十年の半分も無く、何の記憶も残らない空虚な年月が如何に多かったか。
出来事や感動を生き生きと覚えていたり、良い絵や詩歌を残せたりした春は少ない。
誰の想いにも記憶にも残らない春というのは、花精達にとってはきっと一番悲しい事だと思う。
従って当院の花鎮めの秘儀は絶後の歌舞を催し、歳々の春の想いを己れの魂に刻み込むのがその眼目である。
誰かがこの春を心の隅に留めてくれれば、花屑も鬼と化さず寂滅の想いを遂げる事ができる。


(苦吟中の隠者)
現世では歳を取れば取るほど物事に対する感受性は鈍くなる。
ただ食って寝て漫然と暮らしている者には、真に感動するようなドラマはもう生涯訪れないだろう。
だからこそより希求力を強め、積極的に世界を想うべきなのだ。
例えばいっそ地べたに直に座してみれば、花冷の想いは格段に深まる。
例えばカメラのホワイトバランスを操作すれば、色界は劇的に変容するのだ。
現実世界に能動的に感応し、より美しく感動的な夢幻世界を観想する。
その辺りの虚実皮膜の行き来が、言うなれば隠者流の秘儀と言えよう。

---花冷が臍に及べばさやうなら---

©️甲士三郎