鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

78 大正の耽美

2019-02-28 15:54:18 | 日記
御近所の大正時代頃の瀟洒な家と丹精の行き届いていた庭が、ある日知らぬ間に更地になっていた。
木造二階建ての典型的な大正時代の和洋折衷様式の渋い家で、玄関の左右が客間と書斎と思われる洋風の窓で、その奥の南庭に面したあたりは和風の重厚な家屋だった。

(旧古賀邸は保存されたが、我々が住める民家では無い)
鎌倉も最近こうした風情のある家がどんどん壊され、今風の平凡な建売住宅に姿を変えてしまう。
ロンドンにはビクトリア時代の古い家具付きの家が沢山あり、住人達は今もそこに住んで築年数の古さを自慢しあい、新築住宅なんぞ移民以外は見向きもしないそうだ。
平成日本人もそれに倣って、父祖達の遺産を金でなく歴史と祖魂のこもった建物や家具美術品で受け継いでいれば、小なりとも荘重な生活環境を労せずして手に入れられたろう。
特に鎌倉には大正の文士達始め趣味の良い木造家屋や家具も庭も沢山あったのだから、若い人たちが大事に住んでいてくれれば将来はきっと世界遺産になり得る景を成していただろう。
鉄筋コンクリートは精々4〜50年、しっかりした木造家屋は数百年もつ事を知って欲しい。

この際私も壊され行く古き良き鎌倉を悼んで、我が和室の一部に大正の和洋折衷様式の導入を決意した。
まず購入したのは英国アンティークのライティング ビューローで、時代は勿論日本の大正時代に当たる1910〜30年頃の、アールデコ様式のやや無骨な物を選んだ。
隠者にはビクトリア様式からアールヌーボーの貴族的装飾過多はどう見ても似合わない。
ついでに元からあった清朝の貴婦人用の椅子と合わせて和洋中折衷だ。
長崎では和(日本)、華(中華)、蘭(阿蘭陀 オランダ)、で「わからん」と言うらしい。

(蝶形のアンティーク真鍮皿に散り椿)
我が国の文芸の分野では、大正時代は黄金期だった。
特に詩俳句短歌は綺羅星の如き作家達が競い合い、当時の夢二らの挿絵入りの詩集歌集は古書界でも一番人気だそうだ。
若い世代の人達にも精神生活向上のために、そんな古書を捲りながらアンティークの机と茶器で珈琲でも嗜む耽美の深さを知って欲しい。

©︎甲士三郎